a memory
今回は、前回の「今日における奇蹟・いやし・預言」を書いていて思い出した、かつて子どもだったものの話をしよう。
あるところに、神を信じ、この世で生きるための闘いに明け暮れながら、毎日祈りが神にとどくことを願っていた子どもがいた。 そんな子どもも、いつしか世俗にまみれ、いろいろなものを失なった。 しかし、それでも、時には迷いながら、失敗しながらも、何かを学んで、大きくなっていった。
そしてある日、家の中で、一度も開かれたことがなさそうに見える本が目についた。 その本は、ある教会の設立○○年記念に出版されたもので、教会のあゆみが記されていた。
今はもう亡くなってしまった信心深い家族のことや、自分の子ども時代のことを懐かしく思い、いつしか本を読み始めた。 本を読んでいくと、そこには、驚くべき内容が記されていた。 なんと、リバイバルが起こったというのである。
リバイバルと言われても、ほとんどの人はピンと来ないことだろう。 ここに、その教会ではじめてリバイバルが起こった明治21年(1888年)のある日に、信徒が記した記録がある。 それを、かつての子どもに代わって、わたしがおおまかに現代語訳して引用してみよう。
この夜の祈祷会は、たとえようもないほど大いなる神の恵みによって、祈りの言葉で会堂が震えるほどになり、兄弟たちはお互いに立ち上がって、恵みを受けて感話をした。 感話は同時に2つも3つも出るほどだった。 賛美歌を歌えば、その声で物音が聞こえないほどだった。 東京から来た兄弟も大いに恵みに満たされて、3回も立ち上がって、聖霊を感じたことを述べた。 わたしの兄弟たちにも同様のものがいた。 23時半にようやく会をお開きにしたが、笑い声はとまらなかった。 兄弟姉妹、みな各々の家や宿舎に勇んで帰っていった。 本当に昨年、聖霊の降臨が青山で起こって、それが各地に及び、そして1年たって、今回わたしたちの教会にもこのような降臨を賜ることができたことは、神様がわたしたちの国に恵みをそそいでくださっているということで感謝せずにはいられません。
つまり、明治20年にリバイバルが青山で起こった。 そして、翌年、その関係者がこの教会にやってきて集会に出た。 すると、この教会でも同様の出来事が起こったと言っているのだ。
そして、ここで語られているリバイバルという現象は、信徒が感極まってしゃべったり、聖霊を感じたり、大声で笑うのがとまらなくなったり、賛美歌を大声で歌い合ったりすることである。 冷静に考えてみれば、当日、さぞや近所や家族にとっては迷惑であったことだろう。 いや、もちろん、当人たちにとっては、これは大いに実感が得られた体験だっただろうとは思うが。
このような現象は、明治16年頃から、横浜や東京で起こっていたと記されている。 また、この教会で後年の明治24年に行われた会議では、「リバイバルを起こさせる最も良き方法は如何」などという議論まで行われている・・・。
かつての子どもは、読んで驚いた。 この記録から、約1世紀を経過したこの教会には、そのような信仰の姿は全く残っていなかったからである。 また、幼い頃からいくつかの教会に出入りしたこともあったが、そんな光景は全く見たこともなかった。
かつての子どもにとっても、もちろんこの記録内容は、あまりにもめちゃくちゃなことに思えはした。 思えはしたが、それでもこの記録を書いた人は、その時には真剣に「これこそ本物! 究極の現象! すばらしい伝道方法だ!」と思っていただろうということも強く伝わってきた。 この驚くほど熱い情熱は、歴史の中で、一体どのような変遷を経て、現在の教会の形におさまることになったのであろうか。 そして、それを記録としておよそ1世紀後に編纂した人は、一体どんな思いでこれを読んだのだろうか。
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