今日における奇蹟・いやし・預言
高木慶太、テモテ・シスク共著、『今日における奇蹟・いやし・預言』、いのちのことば社、1996年を読む。
聖書には、数々の奇跡が描かれている。 預言者の見た映像、危地からの脱出、癒し、災害、神の子の宿り、復活、・・・。 しかし、聖書に描かれた時代は遠い昔となり、いまや奇跡の数々も灰燼に帰して伝説なのか真実なのか、わたしたちには知るすべもない・・・。 そう考えるのが常識だと思っている人も多いかもしれない。
キリスト教徒は、日本では人口のたった0.25%程度しかいないが、日本におけるイメージは概ね知性や社会的地位の高さや篤志といったカテゴリーに分類される。 だから、一部のイエスの名を借りた新興宗教でもない限り、教会に行っても、奇跡じみた話が聞かれることはない。 たとえば黙示録などに描かれたことがマジで近いことだとかいうのは、本当に一部のカルト宗教だけだ。 そう思っている人も多いかもしれない。
ところが、1980年代ころから、謎の言葉で突然しゃべりだす現象である異言、癒しの業などの現象を伴ったキリスト教がアメリカで出現し、各国に広がり、急激に成長した。 これは、「第三の波」、「力の伝道」などと呼ばれている。 なお、以前取り上げた『キリスト教のことが面白いほどわかる本』の一番最後の方で好意的に取り上げられている派でもある。 アメリカにおいては、政治的に保守的、宗教的に原理主義的で、やや過激と言えるだろう。
本書、『今日における奇蹟・いやし・預言』は、そのような宗教ムーブメントの批判書である。 著者の一人、バプテスト派のテモテ・シスクは、このムーブメントのことを(非信者として)知るために、その代表的なフラー神学校で学んだという経歴を持つ。
本書のスタンスは、非常にプロテスタント的と言えるが、基本的には聖書が中心であるべきだというものだ。 要約すれば、奇跡にばかり夢中にならず聖書に帰りなさい、これらの奇跡は本当に神のはたらきかどうかわからない、聖書に書いてあることと矛盾しているところがあるという3点を中心としている。
今回、本書を読んで、ムーブメントを批判する側の論理、(批判のフィルターを通して見たものではあるが)ムーブメントの様子、ムーブメントに対する個人的な違和感など、いろいろと認識を深く新たにした。 この種の内容は、賛否ともに多くは語られないので、いずれにせよ貴重な読書体験だった。
なお、沖縄では、それまでの沖縄の文化と不思議に融合した形で、現在、カリスマ運動が盛んに展開されていることが、駒沢大学教授の池上良正氏の研究などから知られている。
ところで、これは「第三の波」とも呼ばれているように、当然、第一、第二もあった。 この種の奇跡によって信仰が盛り上がる現象は、歴史の中で何度か現れてきている。 人は、結局のところ何によってその宗教を信じるのか、新しい宗教団体の形成とは一体どんなものなのかということについて、いろいろと考えさせられる現象だと思う。
ところで、服部弘一郎さんの『新佃島・映画ジャーナル』の「日記|LOTRは長蛇の列」を読んで、うんうんと思い、わたしも段落の先頭を1文字程度字下げするように設定してみました。
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