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2004.01.09

お寺の事情

リチャード・アンダーソン著、岡崎真理訳、『お寺の事情 -- アメリカ人民俗学者が見たニッポンの寺』、毎日新聞社、2000年を読む(なぜかリンク先の出版元のページでは訳者名が「山口峰代」となっている)。

リチャード・W・アンダーソンは、元ボーイングで航空機の設計をしていたこともあるという、ちょっと変わった民俗学者。 単著の本としては、本書の他に、リチャード・W・アンダーソン著、土岐隆一郎、藤堂憶斗訳、『体験 -- ニッポン新宗教の体験談フォークロア』、現代書館、1994年がある。 『体験』は、日本の新宗教である善隣会(現・善隣教)、立正佼成会、崇教真光(宗教情報リサーチセンターの該当ページ)の各宗派における、法座での体験談の語り合いを調査し、そのプロセスと構造をまとめた非常に興味深い研究だ。

さて、本書の『お寺の事情』は、ある鎌倉仏教の開祖の入滅を記念して建てられた、都内にある桜のきれいな大きな寺院に、著者が滞在していたときの記録である。 当時、著者は、美術館の設立のためのスタッフとして滞在していた。 しかし、4年つとめた後、美術館設立を推進していたエラい人の任期切れとともに、美術館設立もポストも立ち消えになった。 その4年間に著者が見たものは、世俗と同じく乱れた僧侶の世界、本来の仏教とはかけはなれた数々の民俗風習、派閥間の権力闘争に最大限のプライオリティをおいている職場、日本におけるガイジンという立場、etc. だった。 大変に不愉快だったであろうこの一連の経験を経ても、著者が人々を見つめるまなざしは、非常に温かく、わたしは驚かされた。 また、たとえば小さな寺における、嫁の役割の重さについて書かれたところなど、非常に的確に観察してとらえていると思われた。

さて、ところで、この美術館の設立は、極端に言えばある一人のエラい人の趣味で実施されようとしており、それをこころよく思わない人たちがいた。 しかし、反対する人々は直接エラい人に意見するのでもなく、婉曲にサボタージュしたり、機会をとらえてはプロジェクトについて遠回しにあてこすりを述べてみたりする。 それで、結局のところ、行われているのは「何事もしない / 何事も起こらない」という時間かせぎによる妨害なのだ。

何事も有効なことが起こらないようにのみ最大限の力をそそぎ、時間をかせいでやれば、さまざまな要因で、どんなプロジェクトだって、櫛の歯がこぼれて落ちていくように崩壊していく。 できる人は、いつだっていそがしいし、そんな妨害だらけのくだらないことに関わっているのは時間の無駄だと思うことだろう。 熱い気持ちだって、長続きはしない。 これこそが、既存の権力構造の中で主流派を維持するための知恵なのだろう。 これは日本ではよく見られる光景なのだろうと思う。

解脱? 悟り?・・・。 宗教はもはや風景にしか見えないといった趣旨の言葉が、ふと思い出されてしまった。

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