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2004.02.29

乗用車免許の更新

乗用車の免許の変更に行く。

法律が改正になったために、昔は更新期間は誕生日の1ヶ月前から当日までだったが、現在は誕生日の前後1ヶ月と幅が広くなっていた。 いそがしい期間もあったりするので、この方向は歓迎である。

今回の更新時講習では、法律の改正に伴ってどこが変わったのかについて詳しく紹介された。 一つ目は、この更新期間とそれに対応して免許の記載事項の変更(○○年の誕生日まで→○○年○月○日まで)。 二つ目は、更新時講習の種類が増えたこと。 三つ目は、違反したときの点数の変更(特に酒関係が高くなった)。 四つ目は、高齢者の取り扱いの変更(75才以上→70才以上)。 特に、高齢者時代が到来し、免許停止の講習に来ている人たちの中に、高齢者の割合が顕著に最近増加しているという話は印象的だった。 また、現在、検討されている法律の改正に関しても簡単に紹介され、携帯電話に対する罰則が強化されるかもしれないということだった。

ところで、ビデオも見たが、説明されている内容はともかく、ストーリーや設定は特撮物っぽい雰囲気が濃く、いろいろな意味で興味深かった。

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2004.02.28

成恵の世界 6

2003年にアニメ化もされた丸川トモヒロ著、『成恵の世界』6巻、角川コミックス・エース、2004年を読む。

この作品、コミックのタイトル自体が、A・E・ヴァン・ヴォークトのSF『非(ナル)Aの世界』をもじったものであるように、初期のころの話はSFのタイトルを借りたものが多かった(ちなみにこのコミックスには全く関係ないが、ヴォークトの非A的なものに対する興味は、後にヴォークトの人生自体に大きな岐路をもたらしている)。 ストーリーは、少年が好きになった少女は、実は宇宙人と地球人のハーフで、カルチャーとコミュニケーションのギャップや、少女の関係する非地球人たちとの間に起こる事件を通じて、絆を深めあっていくという、SF、おたく調のコメディ。 設定だけ聞くと、『うる星やつら』に近いものがあるが、お話のつくりはノスタルジックで心やさしい系。

途中3ヶ月くらい休載したりと、連載に波があるのか、前の巻から1年ぶりくらいに出た6巻だったが、今回もいいお話が読めて楽しかった。

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2004.02.27

ブック・オブ・ザ・ダンカウ

『小説 聖書 旧約篇』(仲村明子訳、徳間書店、1998年)の作者、ウォルター・ワンゲリン著、原田勝訳、『ブック・オブ・ザ・ダンカウ』、いのちのことば社 フォレストブックス、2002年を読む。

本書は、筒井正明訳で『ダン・カウの書』として1985年にサンリオ文庫から出ていたものの新訳である。 当時、わたしは不幸にしてサンリオ文庫版を手に入れそこなっていたため、今回、はじめて読むことができた。

この物語は、オンドリのションティクリアが統治する動物たちが暮らす土地に、地の底に閉じ込められた邪悪な蛇ウィルムのつかわしたコカトリスがひきいるバジリスクが攻めて来て、戦いが行われるという動物ファンタジー。 この物語では、登場するイタチにジョン・ウェスリーとかいう名前が付けられているなど、いろいろと寓意が込められている。 さて、ウィルムは地上に出ることを画策しており、コカトリスの侵攻もその計画の一端だ。 動物たちは、実は邪悪な蛇を地中に閉じ込める役割を果たしているのだが、当人たちはそのような遠大な計画には気づいていない。 そして、この戦いは、実際の戦闘という物質面と、内面でかわされる心の面といった、両面で起こっている。

読んでみて、キリスト教的な味付けがちょっとしつこすぎる感じはしたが楽しめた。 神の意図するところは小さいものたちには理解しがたく、災難は突然やってくる。 こうした物質世界での理不尽さに、心は簡単に惑わされる。 そういう世界において、信仰とは何なのかを本書は問いかけている。 こういった世界観に対してどう感じるのかが、本書の感想を左右するような気もした。

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2004.02.26

夢使い 6

植芝理一著、『夢使い』6巻、講談社 アフタヌーンKC、2004年を読む。

植芝理一は、不思議な力を持った正体不明の男の子を好きになった女の子の視点を通じて、人を好きになることや生と死などのテーマを、オカルティックに、おたくっぽく、ちょっとエッチに描いたコミック『ディスコミュニケーション』が代表作。 今作の『夢使い』は、不思議な事件を「夢使い」たちが解決するというストーリー。 『ディスコミュニケーション』に比べると、おたく度やエッチ度がかなり高かったが、描いているテーマは昔から一貫していて変わっていない。

ところで、『夢使い』は、使われていない伏線や明かされていない謎などを残したまま、この6巻でいきなり最終回をむかえている。 読んで、呆然としたのだが、納得するところもあった。 描いているテーマは一貫していると書いたが、それは端的に言えば、エロスとタナトスという大きな物語だ。 そして、それは前作『ディスコミュニケーション』で、既にたくさん描いてしまっているからだ。 このような大きなテーマで、話を何度も描くのは、過剰さで味付けをしても、大変そうな気がする。

作者の全く新しい次回作を気長に待ちたい。

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2004.02.25

急用

ちょっと、プライベートで急用があって、これから何回か、ときたま更新が滞るかもしれません。

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2004.02.24

栞と紙魚子 何かが街にやって来る

諸星大二郎著、『栞と紙魚子 何かが街にやって来る』、朝日ソノラマ、2004年を読む。 隔月刊の不思議系少女コミック誌「ネムキ」の2001年11月号〜2003年9月号までに掲載された作品が収録されている。

これは、奇怪な連中が普通の人間と同居している胃の頭町を舞台に、天然ボケの栞と古本好きな眼鏡っ子・紙魚子の女子高生コンビの周囲に起こる変な出来事を描いた作品だ。 諸星大二郎の作品は、異界の怖さや凄さを描いたものが多いが、この《栞と紙魚子》シリーズは全然怖くない。 何か凄いことが起こっても、話が終わってみると、この作品の主人公クラスの連中は、全く堪えることがない。 次の話になると、ケロリとしている。 題材にしているのは、クトゥルーやかつての自分の作品で取り上げたようなものたちだが、この作品ではそれがコミカルに描かれていて、とても不思議な感じをかもしだしている。

なんとなく、この巻を読んでいて、2003年秋放映のドラマ『TRICK -- Troisième partie』と一部ネタがかぶるような印象を受けた。 偶然なのだろうけれど。

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2004.02.23

オウム 獄中からの手紙

NHKスペシャル、「オウム 獄中からの手紙 -- 死刑判決を受けた被告たち」、NHK総合、2004年2月22日21:00-21:59を見る。 麻原彰晃の判決が2月27日に出る予定(本当に出るのか?)になっていることを受けて、NHKのこの番組(と今週の「おはよう日本」)、日本テレビの24日のドラマ、フジの29日のアニメ、TBSの3月5日のドキュメンタリーなど、いくつも番組が準備されているらしい。

オウム真理教と宮崎勤の事件は、わたし個人にはそれぞれ大きな衝撃を残した。

わたしも、「向こう側」に魅せられるタイプの人間だ。 サリン事件の実行犯のコメントを見ると、あり得たかもしれない自分の姿を想像してしまうことがある。 この世の中はあまりいいものではないと思っていたし、隠された真理への到達こそが、この世や自分の生をドラスティックに改善させる鍵だとも思っていた。

「向こう側」の果実は、甘美で熱く、真実への接近を感じさせる。 「向こう側」へ行ってしまうと、意味が解体され、別な形で再構成され、現実に対する認識が変貌してしまう。 「向こう側」での認識と、「こちら側」での認識は異なっている。 異なった認識に基づけば、「こちら側」の認識では理解しがたいような行動もあり得る。 認識が変容してしまうと、自分たちに関する認識も変容してしまい、倫理も変わってしまうからだ。

この番組で流された修行のいくつかを見て印象的だったのは、意味を置き換えたり、現実に対する認識を変えるような方向に努力しているなということだった。 それは、これまでの世界からの解放でもあり、乖離でもある。 何かを手に入れる際には、何か代償を払っている。 見えにくいかもしれないが、その代償には注意を払っても払い過ぎることはないだろうと思う。

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2004.02.22

コンピュータ科学者がめったに語らないこと

ドナルド・E・クヌース著、滝沢徹、牧野祐子、富澤昇訳、『コンピュータ科学者がめったに語らないこと』、エスアイビーアクセス、2003年を読む。 これは、先日取り上げたように、とびきりのコンピュータ科学者による信仰に関するMITでの連続講義をまとめた本だ。

クヌースは、この本を出す前に、Donald E. Knuth, "3:16 Bible Texts Illuminated", A-R Editions, 1991という本を出している。 これは、クヌースが自分の通っている教会の人たちと、勉強会で聖書の各文書の3章16節を自分で読んでみるという試みを1978年にはじめたところに端を発している。 読むにあたっては、3章16節(および関連する部分)のいろいろな翻訳に目を通し、James Strongのコンコルダンスを使用したという。 また、それをはじめて数年後に、DTPに関係するようになり、そのことがきっかけで、自分たちの翻訳したものを世界の一流のカリグラファー(文字の造形とレイアウトを中心としたイラストを書く人)にお願いしてカリグラフにしてもらった。 それをまとめたのが、"3:16"である。

なお、"3:16"におさめられたカリグラフは、本書でも見ることができるが、びっくりするほど美しい。 文字を使ったデザインの可能性をつくづく考えさせられてしまった。 本書では、どれも白黒で小さい図版なので、これをカラーで大きいサイズで見てみたくなった。

本書では、この"3:16"の話を中心として、乱数、ランダム・サンプリング、翻訳、CG、無限と有限など、コンピュータ科学と数学の知見をからめて、いろいろなことが語られている。 コンピュータは、数学的なしくみに基づいて、何か問題を解くために設計されたプログラムを動かす機械だ。 なので、コンピュータ科学者の視点は、問題分析者だったり、設計者だったりする。 そしてそれは、聖書を分析することや、この世の設計者としての神に関して思いをはせることに関係してくる。

ところで、この世のプログラマとしての神という視点で思い出されたのは、「超常現象は神からのメッセージ」という仮定で書かれた山本弘著、『神は沈黙せず』、角川書店、2003年だった。 この小説でも、神とコンピュータを扱っているが、クヌースとは全く異なったスタイルになっているところがポイント。

なお、本書『コンピュータ科学者がめったに語らないこと』は、最後にパネル・ディスカッションが収録されているが、これは時系列的には第4回講演と第5回講演の間である。 前から順番に読んでいったところ、第5回の本文を読み終えた後でこれに気づいてちょっと残念だった。 このことは、前書きとして書いておいて欲しかったかも。

ところで、本書には、クヌースが、"3:16"の作業のために、Adobe社にでかけ、カリグラフをスキャナで読み込んで、それをMacの上で発売前のPhotoshopを使って、1ピクセルずつ修正していたという話が載っている。 当時のスキャナやコンピュータの性能を考えただけでも気の遠くなるような話・・・。 というか、世界有数のコンピュータ科学者がそんな作業をしている姿というのも・・・。 いや、TeXの話もそうだけど、本当に、クヌースという人は凝り性なのだなあ(しみじみ)。

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2004.02.21

ちょっとへなへなに

ハード・スケジュールすぎて、ちょっとへなへなになって、一回休み。

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2004.02.20

まどろみの中で

ここのところ、スケジュールがきつくて、今日は本を読みながら、ついうとうとしてしまった。 手にしていた本は、ドナルド・E・クヌース著、滝沢徹、牧野祐子、富澤昇訳、『コンピュータ科学者がめったに語らないこと』、エスアイビー・アクセス、2003年。

クヌースは、数式がバリバリ使えるDTPソフトTeXの開発や、先日新訳が出たばかりの名著『The Art of Computer Programming Volume 1 Fundamental Algorithms Third Edition日本語版』などで有名なコンピュータ科学者。 ルター派の信徒でもあるクヌースが、MITで宗教に関して1999年の秋に連続講演したものをまとめた『コンピュータ科学者がめったに語らないこと』については、また後日語ることもあるだろう。

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2004.02.19

スタイルシート スタイルブック

有坂陽子、長谷川恭久著、『スタイルシート スタイルブック』、翔泳社、2004年を買う。

世の中にはWebデザインの本はいろいろあるけれど、その本自体や、載っているページのデザインがクールではないことがけっこうある。 書店で実際に本の中を見てみて、デザインにひかれて欲しいなあと思わされることは少ないが、本書はそんなめずらしい例の一つだった。

本書は、どちらかというと「全くのCSS初心者」向きではなく、「これからもっとうまくCSSを使いたいと思っている人」向きの本だ。 たとえば、最初の「STYLE BOOK編」では、いろいろとクールでCSSを活用している実際のページを例にあげて、CSSの使い方を紹介しているが、これはCSSに関する簡単な知識がないと理解できない。 そして、CSSに関して、ある程度解説されているのは、本書の後半だ。 ここは最初に、「へえーこんなことができるんだ」と理解した上で、読み通してから戻ると役に立つ。 また、本書では、世界的な動向に関しても解説されていて、とても参考になった。

本書で取り上げられているテーマは、現在のWeb制作において、ポイントになる課題だと思う。 つまり、美しくマネージメントしやすいページを作りたいし、できれば仕様も尊重したい。 でも、ページはできるだけたくさんの人に見てもらいたいし、昔ながらのブラウザを使っている人もわずかだが、確実にいる。 この2つの両立は、極端な話、自分のページだったら、あまり気にしなくてもいいけれど、仕事でやる場合とか、組織とか団体のページになると別だ。

本書で解説されているJeffery Zeldman提唱の「ハイブリットデザイン」の方法は、基本的な骨組みをテーブルで作り、他のデザインの要素はできるだけCSSを使うというものだ。 わたしも以前にある団体のページを制作した際に、これととても近い方針をとったことがある。 そのときには、試行錯誤しながら、デザインのあれこれを一人でいろいろと悩んだが、そういったことが本書の「実践編」ではクリアに書かれていて、多少すっきりした気持ちになれた。

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2004.02.18

犯罪潜入ルポルタージュ Vol. 01

村田らむ著、裏BUBKA3月号増刊「犯罪潜入ルポルタージュ」 Vol. 01、2004年を買う。 自己啓発セミナーに関するSaki's 掲示板2の2月11日の「日創研情報」で、上記の本が取り上げられていたので購入した。

内容は、村田らむによる潜入レポート。 対象は多岐に渡るが、個人的に興味深かったのは、アレフと自己啓発セミナーとマルチ商法とラエリアンムーブメントの取材。

自己啓発セミナーに関しては、現在、おそらく最も人を集めていると思われる企業を対象とした「日本○○○○研究所」というセミナー会社の第一段階と第二段階に潜入。 カラーのページでは、坂村真民の「念ずれば花ひらく」と書かれた石や二宮金次郎が飾ってある都内某所のセミナー会社の玄関の写真や、Joseph LuftとHarry Inghamにちなんで「ジョハリの窓(Johari Window)」と呼ばれる絵の写真、「基礎コース(SA)」との張り紙が印象的な第一段階の写真や、「可能思考研修 東京変革コース(SC)」と書かれているやたらに写っている人の表情がみょーに笑顔全開な第二段階卒業式の記念写真などが印象的。 ルポの内容に関しては、この自己啓発セミナーの内容は旧来のものとほとんど一緒。 しかし、メンバー構成は、中小企業からの参加者が多いという特徴が見られ、そのために雰囲気がよりダサくなっているように思えた(そもそも自己啓発セミナー一般が、ダサいものだけど)。

なお、「自己啓発セミナーと精神世界」フリートーク掲示版の2月17日に村田らむ本人が書き込みをしているが、これを読むと運営者の藤倉氏とはお知り合いのようだ。

ところで、UFO、セックス、クローン人間などの話題で人目をひいているラエリアンムーブメントも、内側からの記事はあまり見たことがなかったので、興味深く読んだ。 特に、潜入先で同じような目的の潜入者F氏と会ったというくだりがなかなか笑えた。 意外と同じようなことを考えている人は多いということなのか。

なお、後日談によれば、この同業者F氏と次の潜入先を画策しているそうだ。 でも、この手の潜入は、人格にかなりダメージが来るような気がする。 個人的には、潜入ライター自身に関するルポというのも見てみたいような。

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2004.02.17

色彩の科学

金子隆芳著、『色彩の科学』、岩波新書、1988年を読む。 なお、同著者による、姉妹編の『色彩の心理学』、岩波新書、1990年という本もある。

色は不思議だ。

光の三原色は、赤、緑、青のRGBと言われる。 しかし、実際には光は連続スペクトルなので、RGBといった特定の3つの波長だけで表せるわけがない。 この3つの色ですべての色が表現できてしまうのは、人間の視神経の色を感じるものが3種類あるからだ。 これは逆に言えば、本当は異なったスペクトルを持った光が目に入っても、同じ色に見えてしまう場合もあるということにもなる。 更に、目は、たやすく環境に順応してしまう。 たとえば、わたしは、プールで泳ぐときに、青い色のゴーグルをかけているが、このゴーゴルをはずすと世界が黄色く見える。 目が青い世界に順応してしまった結果だ。 また、明るい屋外から、暗い照明をされた室内に入ると、ものがよく見えない。 しかし、夜になると、その暗い照明でも十分室内が明るく見える。 また、同じ色でも、隣接している色によって色味が変わって見えることもある。

色は、こんなふうに、物理現象と生理現象と認知現象によって作られている。

本書『色彩の科学』は、実験心理学者による色彩学の本である。 しばしば、数式が多用されている色彩学の本では、非常に大切なことだけど、さらりと書き流されて気がつきにくいような話も丁寧に書いてある。 数式はほとんど出てこないけれど、色彩学の発展の歴史とその原理が、実験装置や図形やグラフでしっかりと説明されている。 なので、どちらかというと色のことをまじめに勉強したい人向けだが、流し読みすればニュートンにはじまる科学的色彩学と、アリストテレス、ゲーテの系譜の哲学的色彩学の歴史の本としても楽しめる。 新書で、何といっても、この内容が読めるところが、すごいことのような気がする。

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2004.02.16

未踏15シンポジウム@国際フォーラム

2月14日に引き続き、昨日15日にも未踏ソフトウェア創造事業のシンポジウムに行ってきた。 14日の午後のものは石田PM単独で実施されたが、こちらの「未踏15シンポジウム@国際フォーラム」は、14、15日の2日間、プロジェクト・チーム6つが主催、1つが共催という形で、パラレル・セッションで行われた。 こちらの方は、たくさんの話を1箇所で聞けるというメリットはあるが、発表内容は多岐に渡り、あまり突っ込んだ議論にはなりにくい感があった。 ものによっては、かなりの知識を前提とした発表になっていたため、一般参加が可能とは言え、いきなり行って話を聞いてもわかるかどうかは微妙なところ。

目を引いたのは、東京大学大学院 情報理工学研究科 コンピュータ科学専攻の五十嵐研究室のメンバーとゲーム関連のソフト開発の発表だった。

五十嵐健夫氏は、大学院時代に、スケッチする感覚で3D CGを描くことができるJavaのプログラムTeddyを開発したことで有名である。 普通、3D CGは、簡単な形状のものでも入力に手間がかかり、描くのが面倒だが、Teddyでは比較的簡単なものに限られるが直感的に素早く描くことができる。 この技術は、3D CGソフトのマジカルスケッチ、それから先月出たばかりのゲーム『カイジュウの島』(GameCube)、『ガラクタ名作劇場 ラクガキ王国』(PlayStation2)、他に応用されている。 また、この研究の後にも、直感的に3D CGを作成する技術の開発は継続されており、過去の未踏ソフトウェアの公募にも通り、その成果も大いに評価されている。

さて、ところで今回の、五十嵐研究室の大和田茂氏の開発した「三次元テクスチャエディター」の話は興味深かった。 通常の3D CGは、物体を面で構成する(厳密には必ずしもそうではないけれど)。 たとえば、人間のCGなども、そのモデルの中身がパンパンに詰まっているわけではない。 面を持った立体を組み合わせて作っていて、それぞれの面にテクスチャを貼付けている。 なので、そのモデルを切断するには、その切断面に合わせてテクスチャをあらかじめ用意しておく必要があり、即興で自由に切断するわけにはいかない(あるいは、切断すると意味のないテクスチャが貼られる)。 大和田氏のソフトでは、簡単なルールに従って、モデルの中身のテクスチャを直感的に指定できて、モデルを任意に切断することができるというものだった。 それから、同研究室の岡部誠氏の「手書きスケッチによる樹木の3Dモデリングとその拡張」も非常に興味深かった。 これは、普通モデリングするのが面倒な樹木を、スケッチするような感覚で、直感的に簡単に短時間で作成することができるソフトだった。

ゲーム系の話では、UNTRODの大谷淳平氏による3Dゲームの開発を容易にするシステムLampに関する発表「教育的かつ実用性のある3Dグラフィックスミドルウェアの開発」。 それから、筑波大学大学院 ビジネス科学研究科の西森丈俊氏による3Dアクション・ゲームのデザインにおける試行錯誤をサポートするシステムに関する発表「ゲーム記述に特化したプログラミング言語と環境の開発」などがあった。 実際のコンシューマ機のゲーム開発者の方も来場しており、コメントなどもあった。

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2004.02.15

黎明の王 白昼の女王

イアン・マクドナルド著、古沢嘉通訳、『黎明の王 白昼の女王』、ハヤカワ文庫FT、1995年を読む。 実は、この本は既に持っていて、以前は途中で読むのを断念したのだが、改めて2003年10月31日二刷のものを購入した。 というのも、以前取り上げた、『地球に落ちて来た男』と同じく、古沢嘉通氏が訳者なのだが、彼のページに、「重版を機に数十箇所を改訂」したとの記述を見つけたからだ。

さて、このお話は4部から構成されている。 最初は20世紀初頭のアイルランド。 当時は、科学技術がめざましく発展しつつあった。 その一方で、H. P. ブラバッキーの神智学にはじまり、アレイスター・クロウリーが活動していたりという、神秘主義の流行した時期でもある。 そして、カトリックとプロテスタントの間でくすぶり続けたアイルランド紛争(参考: 「鋼鉄のシャッター」の回)に火がつき始めていた。 これらの要素が、この物語を読むと、いきいきと伝わってくる。 そんな時代に、天文学者を父に持ち、イェイツらの神秘主義的な文学サークルにおける有名人の母を持つ、多感な少女エミリーは、妖精の世界と触れ合うようになり、いつしか妖精王と結ばれることを夢に見る。 しかし、その結果、起こった一連の事件は、現世の常識から見れば、単なる強姦事件と精神疾患の発症と蒸発事件にしか見えないのだった。 そして次は、それから十数年後。 IRAのメンバーと恋に落ちる、おてんば娘ジェシカ。 いつしか、彼女は妖精に襲われ、第1部の事件の場所に引き寄せられる。 取り込もうとする母親とむかつく現実とで板挟みになっていく。 第3部は、短く書かれたジェシカのその後。 第4部は、ほぼ現在。 異界と触れ合う性質により、現代における人生がすっかり複雑になってしまった女性、イナイが事件に決着をつけようとあがく。 なお、この最後の部では、原書の発行が1991年だが、この頃話題になっていたサルマン・ラシュディに関係した箇所がいくつもある。

このサブカルチャーのガジェットをちりばめた不思議な小説からは、現在アイルランド在住のイアン・マクドナルドだからこそ書けた、アイルランドへの複雑な思いが伝わってきた。 今回、改めて読むのに挑戦してみたのだが、全体の俯瞰が見えにくく、やはりあまり読みやすくはなかった。 しかし、この不思議な物語には、このスタイルが正しいのかもしれないという気もしている。

ところで、同じ訳者による、東京創元社から出版予定らしい"Scissors Cut Paper Wrap Stone"の紹介を読んでみた。 時は21世紀、日本の治安体制は崩壊した。 フラクタル図形パワーの使い手イーサンくんが、心を癒すために、おともだちの人気ナンバーワン・アニメクリエイターの雅彦くんと、四国お遍路の旅に出る・・・ということで、非常におもしろそう。 早く出版されることを期待。

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2004.02.14

未踏ソフトウェア創造事業 石田PM 2003年度最終報告会

IPA2003年度の未踏ソフトウェア創造事業石田亨プロジェクト・マネージャの「情報共有とコラボレーション支援のためのソフトウェア」最終報告会(PDF)へ行く。 なお、この報告会は、一般参加可能である。

IPAの未踏ソフトウェア創造事業と言えば、独創性と優れた能力を持った研究者を発掘し、開発に専念できる環境を整えて、ソフトウェアの開発支援を行う事業である。 たとえば、最近、遠隔地との間に暗号化された安全なバーチャルLANを作れるSoftEtherの配布一時見合わせ事件があった。 このSoftEtherは、「イーサネットのソフトウェア実装とトンネリングシステムの開発」の支援を受けて開発されたもので、開発者はなんと19才の大学生である。

今回の石田亨プロジェクト・マネージャによる「情報共有とコラボレーション支援のためのソフトウェア」の報告会は、非常にウェブログと関係が深い技術の開発が多く、大変興味深いものだった。 いや、正確に言えば、「ウェブログ」が「情報共有とコラボレーション支援」の一分野だと言えるのだろう。

たとえば、「個人に適応した情報オントロジに基づくコミュニティ支援システム」は、用語辞典提供サーバを活用して、見ているページに注釈を自動的に挿入したり、類似ページを見つけたり、情報をフィルタリングしたり、仲間同士で回覧板をまわしたりするシステム群の開発。

「ハイパーリンク型経験共有システムの構築」は、掲示版などのスレッドの人間関係を、人工知能系の技術を使って推論して、カテゴリー化して、それをFlashの漫画にして、ブラウザの画面上に表示してくれるシステム。 なお、これは、議論の参加者Aさん、Bさん、それぞれの視点で、漫画を切り替えることができる。

「異なる言語の環境で知的触発を引き起こす発想支援ソフトウェア」は、要するにネットワーク経由でブレインストーミングを行って、アイデア出しとまとめを作るのを助けるツール。 しかも、これは外部の自動翻訳システムを活用して(なので翻訳精度はきっとびみょー)、複数の言語間で使うことができる。

「位置情報を用いた都市型空間情報ハイパーリンクシステム」は、GPS内蔵の携帯電話で撮影した画像をメールで送り、それをサーバ上で取り込んで、画像と位置と時間と書き込みで構成されたアルバムを作成するツールという感じ。 なお、このデータを活用して、ウェブログのエントリーもダイレクトに作成できる。

「Semblog: セマンティックウェブ技術を用いたスモールコンテンツの再編集・共有プラットフォーム」は、RNA: RSS-based AntennaとRSSリーダーglucoseを含む、Semblogのシステム。

「不正者追跡・排除可能な匿名認証ライブラリシステムの開発」は、要するに、名前や住所などの個人情報と、あるWebサービスの利用履歴を分離することを可能にする暗号化技術SENSUの開発。 しかも、このサービスの利用には、個人情報などと切り離されていながらも、使用制限もかけられるというもの。

この報告会は、ほとんどの発表は話がとてもわかりやすく、また大いに質問も歓迎され、非常に盛り上がった。 参加できてとてもおもしろかった。

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2004.02.13

AppleScript -- The Difinitive Guide

Matt Neuburg, "AppleScript -- The Difinitive Guide", O'Reilly, 2003 を買う。

この本は、2003年の11月に出たばかりのAppleScriptの入門書で、Mac OS X の最新版 10.3に対応している。 画像ファイルのコントロールなどで、AppleScriptを使う機会が増えているので、この機会に勉強しておこうと思って購入した。

なかなか、最初の方に載っている例がおもしろかった。 なんとそれは、AppleScriptと、UNIXなどでよく使われるコマンドラインのオブジェクト指向スクリプト言語のRubyMicrosoft Excelという、普通考えないような組み合わせのサンプル。 実行すると、指定したテキスト・ファイルの中に出てくる単語の上位30個の数を調べて、Excelのデータとグラフを作成するというプログラムだ。

早速、プログラムを作ってみた。 手近にあった、アメリカの宗教心理学者による20世紀の初頭に刊行されたある有名な本を元にしたテキスト・データを、読み込ませてみた結果が以下のイメージ(ちょっとサイズ小さいですけれど)。

ASRExcel.gif

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2004.02.12

先輩とぼく

沖田雅著、『先輩とぼく』、メディアワークス 電撃文庫、2004年を読む。 これは、第10回電撃ゲーム小説大賞の銀賞受賞作を改稿した、沖田雅のデビュー作である。

幽体離脱体質のぼく、山城はじめの想いの人、平賀つばさ先輩は、オカルト好きで、人格破綻者。 よりによってクリスマス・イブに何故か先輩とUFOウォッチングにでかける羽目になったぼくは、宇宙人にアブダクションされた挙げ句、宇宙人のミスによって先輩と脳を交換されてしまう。 そして、その後起こる、ぼくの受難の日々は・・・、というお話。

普通、このような男女入れ替わり系の話は、どちらかというとエッチ(場合によってはポルノ)な内容だったり、体が入れ替わったことで男女や立場の違いに主人公が気づいていき絆が深まるといったパターンがある。 でも、このお話では、そういうことは、さらりと流されてしまい、濃い友人たちとのドタバタや、先輩にいじめられるぼくといった部分に力点が置かれている。

でも、個人的には、この作者のギャグはどちらかというと痛く感じられ、むしろいいお話をとてもまじめに書いている部分の方が好感が持てた。 とは言え、このデビュー作から設定や伏線が構成されているし、まだまだこれからもっとおもしろいお話を書いてくれそうな気がする。 個人的には、このお話の続編よりも、全く新しいお話を希望。

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2004.02.11

NEF形式

Nikonの一眼レフ・タイプのデジタル・カメラでは、JPEGやTIFF以外にも、撮影の生の詳細なデータであるRAWデータ(参考: Adobe.co.jpの「RAWファイルとは?」)であるNEF(Nikon Electronic Format)形式で、撮影画像を保存できる。 このNEF形式のデータは、Nikonが出しているNikonViewかNikonCapture、あるいはAdobe Photoshopの旧版にCamera Rawプラグインを導入するか、最新版のPhotoshop CSを使えば取り扱うことができる。

このNEF形式のデータを大量に取り扱う必要があって、なんとか自動化できないかと試行していた。 一番、お手軽には、Photoshopのアクションを記録する機能を使って自動化することなのだろうが、残念ながらCamera RawプラグインもCSも手元にはすぐに用意できない。 Nikonのソフトの場合には、AppleScript最新版で可能になった、GUIアプリケーションをコントロールするUI スクリプティングを使って、自動化するという方法もないわけではないが。

それで、一番自動化しやすいコマンドラインのツールはないだろうかと探してみたのだが・・・。 Dave CoffinさんのRaw Digital Photo Decoding in Linuxというページで、88種類ものRAWデータをPPM形式に変換できるCのプログラム、dcraw.cを発見。 ページのタイトルには"in Linux"となっているが、それ以外のプラットホームでも問題なく使うことができる。 それで、試してみたのだが、どうも画像がぼやけたような印象(錯覚か?)に、また撮影時の情報が詳細に記されているExifデータが失われてしまうのがいまいち。 なかなかうまくいかないらしい。 場合によっては、カメラのメーカーが提供しているツールよりも高いクォリティの出力が得られるといったケース(ただし、Nikonのものではない)もあるにはあるらしいのだが。

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2004.02.10

超人騎士団リーパーズ

平井和正著、『超人騎士団リーパーズ』、講談社 青い鳥文庫 fシリーズ、2003年を読む。

講談社 青い鳥文庫 fシリーズは、2003年5月にスタートしたジュニア向けのSFを中心とした新書のシリーズで、眉村卓の『ねらわれた学園』、『なぞの転校生』(近刊)や小松左京の『空中都市008』などの昔懐かしいSFが読める。

本書、『超人騎士団リーパーズ』は、1970年に旺文社「中一時代」に連載された読者参加型ハチャメチャSF小説『超革命的中学生集団』の改作である。 つまり、元々は30年以上前の作品なのだが、現在の読者にあわせて、中身を書き換えたものだ。 わたしは、『超革命的中学生集団』を持っていなかったので、今回はじめてこの作品を読んだ。

ある日、果たし合いをしていたヨコジュンたち6名は、UFOにアブダクションされてしまう。 UFOの中で声が言うに、地球人は宇宙でも最大級の凶暴な種族だが、このまま宇宙に進出されては困るので、試験をする。 試験は、お前たちに超人能力を与えるから、それで地球を滅亡させるなりなんなり好きにしてみろというものだった。 最初は、発現した能力で、地球をすばらしい方向に導こうとしていた6人だったが、いつしかお互いの考えややり方に齟齬を来たし、仲間割れからだんだんエスカレートして・・・というお話。

世界には、いろいろと問題がある。 個人の力ではどうしようもないものもたくさんある。 そういう問題については、わたしたちはふつう外野の視点でもの見ている。

でも・・・。 もしも、仮に、すばらしい力が得られたとしよう。 それは人間を超えた、神のような力かもしれない。 そして、その力があれば、問題に対して外野ではなく、プレイヤーになれるとしよう。 そうしたら、一体、どんなことができて、どんなことが起こるのか。

・・・それは、ひょっとすると、今よりももっとひどいことかもしれない。 だとしたら、それは一体何故なのか。 どこでボタンをかけ間違えてしまうのか。

そんなことを問いかけられるのが、この作品だった。

なお、読んでみると、平井和正の《幻魔大戦》シリーズに通じるところがあるのがわかる。 『幻魔大戦』では、石ノ森章太郎と組んだ漫画版(幻魔と超能力者たちの戦いを描く)でも、後に書かれた小説版(幻魔との戦いからはじまり、東丈が新宗教教団を設立していく)でも、大いなる意志フロイによって、超能力者ルナ姫が導かれる。 仲間割れ、というか組織の変容も、両者にみられる要素だ。 また、『超革命的中学生集団』の翌年に、石ノ森章太郎と組んで、「S-Fマガジン」に連載したコミック『新幻魔大戦』は、失敗してしまった戦いを、時間跳躍者(タイム・リーパー)お時が、過去に戻ってやり直そうとする話である。 これらのモチーフはくりかえし《幻魔大戦》シリーズでは語られていく。

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2004.02.09

夢からさめない

白倉由美作品集ベストセレクションシリーズ VOL. 2 アニメDVD『夢からさめない』、2003年を見る。

白倉由美と言えば、漫画家であり小説家、ときには音楽関係の仕事もする。 個人的には、イエスの方舟事件をモチーフにしたコミック『贖いの聖者』、角川書店、2002年(太田出版、1991年)と、ドラマ『多重人格探偵サイコ』のサウンド・トラック、ロリータ℃、『ロリータの温度』、キングレコード、2001年がお気に入り。

ところで、この『夢からさめない』は、1986年に発売された、白倉由美原作(というか絵コンテのようなもの?)、川西蘭脚本、佐野量子が主役の声優を演じた、40分程度のアニメ作品。 当時、白倉由美はおよそ20才だった。 なお、白倉由美著、『夢からさめない』、角川スニーカー文庫、1997年という小説もあるが、タイトル以外はDVDとは別もの。 わたしは、これを知らずに購入してしまった。

ところで、この作品の感想は・・・。

十数年近く前のOVAを見るのは、やはりちょっと・・・。 演出、作画、ストーリーが、つらかったかも・・・。

なお参考までに、『夢からさめない』がリリースされた前々年の1984年には、《くりいむれもん》シリーズがリリース開始。 リリース当時の1986年は、アニメ『機動戦士ガンダム ZZ』、『聖闘士星矢』の放映開始。 また、この年にリリースされたOVAには、『魔法のスターマジカルエミ -蝉時雨-』などがある。

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2004.02.08

教会がカルト化するとき

ウィリアム・ウッド著、21世紀ブックレット 18 『教会がカルト化するとき -- 聖書による識別力を養う』、いのちのことば社、2002年を読む。 これは、「「信仰」という名の虐待」の回で取り上げた本に引き続き、いのちのことば社の21世紀ブックレットで出版された本である。 ウィリアム・ウッドは、エホバの証人を中心に取り組んでおり、真理のみことば伝道教会 カルト研究リハビリセンターなどの代表をつとめている。

本書では、カルト研究リハビリセンターのページの元カルトの体験談のコーナーでも取り上げられている、統一協会、エホバの証人、モルモン教の3つの団体の他にも、牧師が大きな権力をふるったり、奇蹟を強調したり、信者間で強力な師弟関係を形成しさまざまなことを束縛している教会などに関して言及している。 この本の議論は、基本的に、スティーヴン・ハッサン著、浅見定雄訳、『マインド・コントロールの恐怖』、恒友出版、1993年のマインド・コントロールの話と、聖書の解釈によっている。

比較的たくさんの文章を費やして書かれた、聖書の解釈によって問題を論じている部分は、基本的に次のような形式になっている。 それは、「聖書の○○を引用して○○と解釈して○○を行わせる人たちがいる。しかし、正しくは聖書の○○に○○と書かれており、○○するべきである」というものである。 この部分は、かなり細かい話になっており、たぶん、問題がある運営をされている教会のメンバーになったことがない人にとっては、あまり実感がわかず、わかりにくい内容なのではないかという気が個人的にはした。

つまり、この話のポイントは、普通に話したのでは伝わりにくい、ある状況下における人たちにメッセージを伝えたいということにある。 そのためには、その人たちに伝わるように、その人たちに理解しやすい論理で、その人たちに届く言葉で書く必要がある。 でも、それはそれ以外の人にとっては、必ずしも意味があるものでもないし、わかりやすいものでもない。 結構、これは本で出そうとする場合には、悩ましいことではないかなと思った。

とはいえ、最後に載っている、「教会のカルト度を測るチェックリスト」は、権威主義度、排他性、教育(と書いてあるが、教化と運営の方法)の3つの観点から、一般的にわかりやすくまとめられている。 しかし、これでひょっとして問題があるのかもと思った人がいても、「教会員へのアドバイス」や「牧師へのアドバイス」の章で書かれている、教会の健全化への取り組みには、かなりの困難が予想されそうだなと思った。

世で聖職者と呼ばれる職業についている人たちは、人々から多大な期待を寄せられる。 そのような職業を全うするのは、とても大変なことだ。 人から感謝されれば、のぼせ上がってしまうこともあるだろう。 一度、得たステータスを失いたい人はいないだろう。 みんなが熱中してがんばっていると、正しいことをしているような錯覚にもとらわれる。 また、間違いがあったとしても、それを認めることは、大きな苦しみが伴う。 神ならぬ人間の築いた教団組織の中では、矛盾や上級職への不満や権力への誘惑もあるだろう。 中には、大きな問題を抱えた人たちがいて、実際には凡夫に過ぎない聖職者に対して、勝手に多大な期待を押し付け、応えられないと声を大にして誹謗中傷することもあるだろう。 本当はそういう人にこそ救いは必要なのかもしれないが・・・。

非常にいろいろと未解決な問題がたくさん転がっていそうだが、『「信仰」という名の虐待』や『教会がカルト化するとき』のように、自分たち、あるいは近接領域の問題に取り組もうとする姿勢には注目したい。 それが、単なる教義上の異端の排除やポーズではなく、実質的な意味を持つことを期待して。

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2004.02.07

式神の城II 陽の巻/陰の巻

海法紀光著、『式神の城II 陽の巻』および『式神の城II 陰の巻』、ファミ通文庫、2003年を読む。 これは、前々回取り上げたシューティング・ゲーム『式神の城II』を原作とした小説である。 海法紀光と言えば、テーブルトークRPGやアメコミの翻訳などが記憶に残るが、最近は、ゲームのノベライズの仕事も増えてきたようだ。

この『式神の城II』の陽の巻と陰の巻は、ゲームの『式神の城』を原作としつつ、ゲームでは描かれていない部分をうまく補っていると、わたしには感じられた。 ゲーム《式神の城》シリーズの魅力は、ゲームそのものだけではなく、それを支えるキャラクターや「物語」の占める割合も高いので、これは重要だと思う。 陽の巻では、主人公(?)である悪をぶっとばす青年探偵・玖珂光太郎と人類の決戦存在だった・結城小夜を中心に物語を描き、陰の巻では、それをとりまくキャラクターたちの視点から物語を描いている。 この2巻構成は、非常に精緻で芸術的にとまでは言いがたいものの、結構バランスよく描かれていると思う。 個人的には、どちらかというと、陰の巻の方がおもしろかった。

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2004.02.06

「信仰」という名の虐待

パスカル・ズィヴィー、福沢満雄、志村真著、マインド・コントロール研究所編、21世紀ブックレット 17 『「信仰」という名の虐待 -- Spiritual Abuse』、いのちのことば社、2002年を読む。 キリスト教関係者によって書かれた、この本で描かれているのは、主に牧師が専制君主のようになってしまったキリスト教会などの問題である。

特に、パスカル・ズィヴィー「「信仰」という名の虐待 -- Spiritual Abuse」と福沢満雄「信仰生活の中で虐待され、傷ついた人々の訴え」では、この問題を取り上げている。 そのような教会では、最初、訪れた人々は大いに祝福され、もてなされる。 そして、そのような環境に心地よさを感じ、依存するようになる。 すると、やがて、聖書の言葉による脅しやプレッシャーが用いられたり、すべての罪の告白するように指導されて生活や思想を把握されて管理されたり、いつの間にか教会や牧師のためにいろいろなもの(労働、献金、伝道)を提供する羽目に陥る場合があるというのだ。

これらは、非常に微妙な問題なのだが、教会の魅力と表裏一体のものだろう。 つまり、わたしたちは、寂しい心を抱えている。 そして、支えてくれる人たちや、やさしくしてくれたり、プライドを満たしてくれる人たちと一緒にいると気持ちがよくなる。 世界は、誘惑や不善に満ちているように見える。 もしも、イエスをキリストと信じる人であれば(仮定)、その教えに指導され、悪を為さず、正しく生きたいと思うだろう。 冒した罪を打ち明け、受け入れてもらえれば、カタルシスを感じられるし、心の重荷をおろし、人のつながりの温かさを感じることができる。 もしも、その教会や牧師が真理であると確信を持てるなら(仮定)、それにみんなで貢献できれば、一体感を感じ、すばらしい人たちの一人として大いに自尊心が刺激されるだろう。

問題は、そうした魅力にひかれて関わった結果、自分が何を手に入れ、何を提供してしまっているのかということだ。 献金や労働の強制、全体主義的体制への恭順、家庭崩壊・・・。

しかし、この場合、厄介なことに、魅力と虐待は表裏一体になっている。 最初、すばらしく見えたもの、それを否定することは、自分の感性を否定することにもつながる(でも、残念ながら、人は簡単に誤るものだ)。 また、わたしたちは周囲の人々と同じように振る舞うと安心できる。 だから、一度、中に入ってしまうと、自分が何をしているのかは、非常に見えにくくなる。 一体、自分が何に魅力を感じるのか、何を求めているのか。 その団体に関わったことで、何を得たのか、何を提供することになっているのか。 長期的に見て自分は、そしてメンバーには一体どんな影響が表れているのか。 社会との関係は、うまくいっているのか。 困難ではあるが、そういうことを、一つ一つ検証することが大切かもしれない。 別に、これは教会に限らず、強く関わることになる人や団体については、十分考えてみる価値があるかもしれない。

また、志村真「「信徒を虐待し危害をもたらす宗教思想・信仰信条」を考える」では、一般的にカルト問題ではその団体の行動にのみフォーカスする(たとえどんなに珍妙な思想を信じようと、問題を起こさない限りは、その人たちの自由)が、問題行動を生み出している思想や信条についても考える必要があるのではないかというものだった。 この2つは、非常に微妙だが、必ずしも矛盾せずに両立する考え方かもしれない。 この問題は、わたしは個人的には、もう少しじっくり時間をかけて考えてみたいと思っている。

なお、この本の最初には、新約聖書の「コリント人への第一の手紙」13章が引用されている。 意味深なものを感じつつ、早速、先日購入した岩波書店の『新約聖書』で同12〜14章を読んだ。

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2004.02.05

式神の城II

PlayStation2のゲーム、『式神の城II』タイトーアルファ・システム、2004年をプレイする。 いそがしくて、発売されてから、約1週間近く、ゲームを一度も起動していなかった。

《式神の城》シリーズは、アルファ・システムが開発し、タイトーが販売し、アーケードなどを中心に展開しているシューティング・ゲームである。 2001年に『式神の城』が出て、2003年に『式神の城II』が出た。 この間に、無印の方は、コンシューマ機であるPlayStation2、Xbox、それからPC機であるWindows版が出ている。 IIの方は、GameCube、PlayStation2版が出て、今度DreamCastとXbox版が出ることになっている。

このゲームでは、プレイヤーは、式神を操る人間(?)のキャラクターを操り、東京上空に出現した「ねじれた城」の事件を解決するために戦う。 特徴は、普通のシューティング・ゲームにある通常の弾、ボムによる攻撃の他に、式神攻撃というのが存在していることだ。 それは、通常「式神」という言葉で連想されるものとは随分異なり、巨大な剣を出現させて振り回す攻撃だったり、術者を守護する式神が勝手に敵を攻撃してくれるものだったり、人工衛星からの極太レーザー攻撃だったりする。 この式神攻撃の種類は、キャラクターによって異なっていて、その性質も全く違う。 異なったキャラクターを使った場合には、ゲームが全く変わった様相を呈するのだ。

とりあえず、下手の横好きなシューティング・ゲーマーであるわたしは、逃げた好きな男を、持ち前の速い足で、一途に追っかけるニーギでプレイしている。 あの無口な先輩をつかまえたら、何て言ってやろうかと考えながら。

なお、わたしのようなへたれプレイヤーと異なって、シューティング・ゲームで高得点を競うプレイヤーにとっては、シューティング・ゲームは「出題される問題を全部暗記して立ち向かう試験」になる。 つまり、そのような勇者(廃人?)は、どの瞬間に(When)、どこに(Where)、どの敵が(Who or Which)出現し、どんな攻撃(How)を仕掛けてくるかを把握する。 そして、自分なりの解法の方程式を組み立て、慣熟し、それをゲーム機の上で再現するのだ。 だから、そういう人たちにとって、シューティング・ゲームをアーケードからコンシューマなどに移植するとき、その移植度は大きな問題になることもあるらしい。 なにやら、PlayStation2版でも、この移植度は、たとえば開発元のアルファ・システムの式神の城IIの掲示板で、NO.10897に続くスレッドなどで話題になっている。 世の中いろいろな人がいるものと、しみじみ。

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2004.02.04

キャプテン・フューチャー復刊

今年、2004年は、《世界破壊者》とも呼ばれた、スペース・オペラ作家エドモンド・ハミルトンの生誕100年である。 1977年に彼はこの世を去った。

ところで、復刊ドットコムキャプテン・フューチャー全20巻 復刊交渉情報から、こんなニュースが!

なんと早川書房から発行されていたエドモンド・ハミルトンの《キャプテン・フューチャー》シリーズが、全巻プラス短篇集として、創元SF文庫から2004年夏から復刊されるとのこと。 しかも、イラストは鶴田謙二。 特に短篇は、「鉄の神経お許しを」以外は、単行本未収録だった。 S-Fマガジン 1983年7月臨時増刊号『キャプテン・フューチャー・ハンドブック』に収められただけの作品がほとんどである。

キャプテン・フューチャーと言えば、最近、衛星放送でも再放送されたNHKのアニメが思い出されるが、アニメが楽しめた人は、原作も楽しめると思う。 個人的には、アニメ化されていない『月世界の無法者』と短篇「太陽の子供たち」がお気に入り。

ところで、ハミルトンの妻、リイ・ブラケットは、一部のファン以外からは、ハードボイルドやSFの作家としてよりは、『三つ数えろ』、『リオ・ブラボー』、『ロング・グッドバイ』、あるいは遺作である『スターウォーズ 帝国の逆襲』第一稿の脚本家として知られているかもしれない。 その彼女の作品、『非情の裁き』が、なんと昨年の2003年夏に、浅倉久志訳で、扶桑社ミステリーから文庫本で出ている。 なお、この本の序文は、レイ・ブラッドベリによる「B&B ブラケットとブラッドベリ 一九四四年」だったが、これほどの"ラブレター"を、わたしはそうそう読んだことがない。

関連サイト: Calling Captain Futureキャプテン・フューチャー

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2004.02.03

リフレッシュ休暇モード(気分だけは)

ちょっと一段落したので、気分だけは遠くリフレッシュ休暇モード。 今回はボーっと行きます。

CG-Online連載中の、今井神著、『あんごろもあちゃんの地球侵略にっき』、ソフトバンク、2004年を読む。 サブカル萌え系IT用語辞典といったところでしょうか。 うーん、個人的にはちょっと微妙。

「きっとまた会える」の回で取り上げた、ドラマの原作、一色伸幸・作、おかざき真里・絵、『彼女が死んじゃった。』(1)、(2)、集英社 ヤングジャンプ・コミックス BJ、2000〜2001年を読む。 個人的には、ちょっとセックス描写が濃くてつらい感じ。 この先に見えてくるかもしれない何かは見てみたいが。

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2004.02.02

美亜に贈る真珠

梶尾真治著、『梶尾真治短篇傑作集 ロマンチック篇 美亜に贈る真珠』、ハヤカワ文庫JA、2003年を読む。 なお、梶尾真治短篇傑作集には、他にも『ノスタルジー篇 もう一人のチャーリー・ゴードン』『ドタバタ篇 フランケンシュタインの方程式』がある。

梶尾真治は、『OKAGE』や『黄泉がえり』などで近年話題を集めている作家。 個人的には、地球上最初の生物からの進化の記憶をすべて受け継いでいる女性、エマノンを描いた《エマノン》シリーズがお気に入り。

この『美亜に贈る真珠』には、切実に愛することをテーマにした作品が、1971年のデビュー作「美亜に贈る真珠」から、1998年のものまで、7篇収録されている。 これを読んで、梶尾真治は、失われてしまったり、決して手に入らなかったり、必ず訪れる定めの別れといった、本当に胸が痛くなるような愛の物語を描くのが実にうまいと改めて思った。 《エマノン》シリーズの多くの作品でも、これは共通である。

個人的にちょっと残念だったのは「玲子の箱宇宙」だけは、作品のトーンが大きく異なっていたこと。 なお、この作品と「梨湖という虚像」で出て来た「フェッセンデン」の元ネタ、エドモンド・ハミルトンの『フェッセンデンの宇宙』が、河出書房新社の奇想コレクション・シリーズから中村融編訳で刊行予定で、これも大いに期待。

関連サイト: Anima Solarisより、著者インタビュー: 2001年7月 「さすらいエマノン」 梶尾真治

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2004.02.01

オウム真理教とそれ以降

池上良正他編、岩波講座 宗教 2『 宗教への視座』、岩波書店、2004年に所載の伊藤雅之、「オウム真理教とそれ以降」を読む。

伊藤雅之氏は、現在は愛知学院大学文学部国際文化学科助教授だが、20才前後には、バグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚、あるいはOSHOとも呼ばれる)にひかれ、実際にグループに参加したり、当時ラジニーシが滞在していたオレゴンのコミューンにも出かけていたこともあるという変わった経歴を持つ。

単著の本には、伊藤雅之著、愛知学院大学文学会叢書 1『現代社会とスピリチュアリティ -- 現代人の宗教意識の社会学的探究』、渓水社、2003年があり、この中では精神世界とネットでの人の出会いに関する研究を紹介している。 この本では、特に、「人はどんなときに入信するのか」に関する仮説である Lofland and Stark Model を論じた章が非常にわかりやすかった。 また、実際に自分が身を寄せていた、和尚ラジニーシ・ムーブメントに関して、詳しく変遷や歴史、内容、参加者像などがまとめられている。 更に、和尚ラジニーシ・ムーブメントでは、1985年にスキャンダルやお家騒動が発生している。 この件についてメンバーにインタビューし、騒動後もやめなかったメンバーの一連の事件の捉え方には、これは「ラジニーシが自分たちに与えてくれた自己変容のためのレッスン」だったのだというものが見られたなど、非常に興味深い記録も収録されている。

さて、ところで「オウム真理教とそれ以降」は、櫻井義秀氏、島薗進氏、弓山達也氏、渡辺学氏の4名を中心とした、現在進行形の宗教を積極的に研究している代表的研究者たちに、宗教研究について取材してまとめた研究である。

オウム真理教の事件は、宗教研究にインパクトを与えたという。 この事件に関しては、島田裕巳氏、中沢新一氏、坂元新之輔氏(現在は何をしているのだろうか?)などの学者の名前が思い出される。 しかし、それ以外の研究者はこれをどう受け取ったのか、そして、宗教研究の現在はどうなっているのか、それを描いたのが、本論である。

近年まで、新宗教の研究では、それを「創造的な革新機能を持つ」ととらえてきたという島薗進氏や、「民衆はいわば伝統宗教とか体制的なものに代わる共同体を新宗教に見いだした」という渡辺学氏や、弓山達也氏の自己啓発セミナーに関する昔の自著に関して「批判するのはジャーナリストで、アカデミズムは批判以外のことをするという暗黙の分業が、どこかぼくらのなかにあったんじゃないか」などコメントが、非常に印象深い。 そこに宗教の抱える負の側面をつきつけたのが、最近世間を騒がせているいくつかの宗教団体の問題である。 教団は真実を語るとは限らないし、(特に学生が)安易にフィールドワークを行うと取り込まれる可能性がある。 櫻井義秀氏の「語りのコンテクスト」を十分に理解した上でインタビューのデータを取り扱うべしというコメントからは苦労がうかがえる。 更に、研究には、成果発表がつきものだが、その論文なりなんなりの成果発表も、櫻井義秀氏や渡辺学氏のように、宗教関係の裁判にさえ使われてしまうという現象がある。 これは、極端に言えば、宗教を研究するという行為自体が、研究対象である宗教の今後にも十分影響を与えうるということだ。 いずれにせよ、宗教研究に関する研究といった本論を読んで、その悩ましさがよくわかった。

今後、研究者が、脱会者の調査なども行い、もしも教団のバラ色の側面だけを取り上げないとすれば、教団側も、これまでのように研究者に利便(研究所運営資金、シンポジウム開催や研究費は極端としても、インタビューの受け入れや資料の貸し出しとか)をはからなくなるかもしれない。 批判的な研究発表には、いちいち裁判を起こすかもしれない。 研究データの入手は、理想的には、量が多く、さまざまなスペクトルを含んでいることが望ましいのだろうが、現実問題としてそれは不可能だ。 教団の御用学者は教団提供のたくさんのデータと資金と掲載誌によって論文を量産し、そうでない学者は一本の論文を書くのにも資金や年月や情報提供者、場合によってはレフリーの面でも大変な苦労をすることになるかもしれない。

どうやら、宗教学者の前にそびえるのは、国立大学の独立法人化や産官学連携や任期制度や18才人口の減少だけではないようだ。

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