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2004.03.19

三途の川・下北話

恐山の風景[撮影: ちはや]
恐山の風景

いし田々著、『三途の川・下北話 -- 青櫓の編』、文芸社、2004年を読む。

この本は、青森出身で、家業を継いで食品販売業を営んでいる、50代半ばのいし田々(いし でんでん)という人が書いたものだ。 一般から原稿を募集して「あなたの本」を出版している文芸社から出た本で、著者のいし田々氏は、いわゆる文筆業を生業にしている人ではないと想像されることを断っておこう。

死んだ一人の老人が、なぜか三途の川を渡れないで、恐山のふもとで過ごしている。 それで、その老人が、成仏する迄の間、他の死者と交わす人間模様(?)を描いたのがこの作品である。

なお、これは現実の話だが、恐山は、この世とあの世を結ぶ土地として「見立て」られている。 それで、実際に「三途の川」に見立てられる「正津川」というのがある。 この川には「太鼓橋」というのがかかっていて、これを渡ることは、あの世に行くことに「見立て」られているのだ。 更に、恐山の境内は「地獄」と見立てられ、そこを巡礼することは「地獄巡り」をしながら行う供養に相当する。 次の写真は、以前、恐山に旅行したときにわたしが撮影したものだが、太鼓橋の横に「三途川」と書かれた道標が写っているのがご覧いただけるだろう。

三途の川(正津川)と太鼓橋[撮影: ちはや]
三途の川と太鼓橋

こんな事情もあり、小説の中で老人が渡れないでいる「三途の川」は、この世とあの世をつなぐ三途の川だが、それは実際に存在している「三途の川」ともどこかだぶって思える。 これは非常に不思議な感覚だ。

また、この本の中で、死者である地元の人たちが交わす会話は方言で書かれていて、かなりわかりにくいが、その内容や考え方が生の形で見える。 宗教学者の人たちが書いた本だと、これらは整理されてしまい、信仰の背後にある「物語」の枠組み(コスモロジー)がクリアに提示されたりするものだが、本書はそうではない。 とても生々しい生活感が、会話のはしばしに現れている。

ただし、これは逆に言えば、わたし個人としては結構興味深い作品だったが、普通の意味でのストーリーテリングや学術性を求める方には、あまりおすすめではないような気も。 青森の下北地方の人の、生の感じを知りたい人には楽しめるかもしれない。

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