ヨブ記 箴言
並木浩一、勝村弘也訳、『旧約聖書XII ヨブ記 箴言』、岩波書店、2004年を買う。 本書で、岩波書店の新約聖書、旧約聖書の翻訳の刊行は完結した。 発売は先月の末だったが、その頃、注文して待っていたが、やっと届いた。
本書、ヨブ記は、神の義を問う神義論を語っており、それはたぶんキリスト者とは呼べないであろう、わたし個人にとっては非常に興味があるものだった。
創世記によれば、この世は神が創造したはずである。 しかし、神が創造したはずなのに、この世は、あまりに不条理であり、悪が存在し、善をなしても報われるわけでもない。 このような諸問題の原因は、他の宗教では前世の因縁、祖先の業、動物霊、婚姻、修行のレベルなどだったり、自己啓発セミナーの類では自分自身の創造といったことに押し付けられる。 そして、それぞれの説明原理に従って、回復するための処方が提示されることになる。 しかし、キリスト教などの場合には、これは神の実在や意義、能力といったものや、人間の自由意志、運命の決定論性などの問題に展開する。
ヨブ記はこんな物語だ。 ヨブは義人だった。 そして、恵まれた人生を歩んでいた。 しかし、あるときサタンが神に問う、彼は恵まれているから義人でいられるのではないかと。 神は、サタンにヨブを試練にあわせることを許す。 2度にわたる試練で、ヨブはとてもひどい目にあう。 それを聞きつけてやってきた3人の友人(プラス1名)と、神への疑問を呈したヨブの間で議論が起こるが、平行線を辿る。 最後に神がヨブに語りかける。 神との問答を通じてヨブは態度を変える。 その後、ヨブは癒され、以前以上に恵まれた生活を送る。
この物語は、非常に重要な問題を扱っていながら、シンプルな回答は示されず、一筋縄ではいかない。 そういった意味で、本書の巻末に付された詳しい解説は役に立つ。 ヨブ記の読解の困難さを説明し、訳者自らの立場と選択した解釈と異論を記し、かつ構成の深さを提示し、成立の背景を示唆してくれる。 本書が出版されるまでには長い時間がかかったが、わたしには待った甲斐があったと思われた。
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