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2004.04.30

リヴァイアサン 9

衣谷遊作画、大塚英志原作、『リヴァイアサン(9)』、メディアワークス 電撃コミックス、2004年を読む。

終末の東京をエンドレスに描いているこの作品だが、いろいろな懐かしい漫画やSF、そして最近のサブカルチャーのリミックスで構成されている。 今回は、特に『デビルマン』を強く思い出させる内容だった。 この作品では、描かれるハルマゲドンのスケールは、とても大きく風呂敷を広げながら、小さく日常的に畳まれるので、随分印象が変わってしまう。

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2004.04.29

時をかける少女 1

ツガノガク漫画、筒井康隆原作、『時をかける少女(1)』、角川コミックス・エース、2004年を読む。

『時をかける少女』のイメージと言えば、わたしの場合、小説版の今読んでみるとノスタルジックな世界か、角川映画の原田知世主演のものだった。 今回の漫画は、それらとは全く異なったものだった。

この作品は、非常に大胆に筒井康隆の原作を翻案している。 もはや、漫画家のオリジナルと言ってもいい。 普通、そのような行為は「原作のイメージを損なっている」と表現されるのだろうが、この作品の場合はそうではなく、新しい作品を創作したと言っていいような気がする。

昔の作品のリメイクというのは、縮小再生産か、見るにたえない歪曲というのが多いけれど、この作品を読むと、新しい道の一つが見えたような気持ちがした。

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2004.04.28

関節の痛み

風邪をひいて、関節が痛む。 めちゃくちゃなスケジュールの終わりが見えたかなと思ったら、疲れがどっと出た感じ。

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2004.04.27

自由に生きる 創造的に生きる 上

菅靖彦著、NHKこころをよむ『自由に生きる 創造的に生きる -- 本当の大人になるには(上)』、日本放送出版協会、2004年を読む。

この本は、NHKのラジオ第2放送で日曜の午後に放送されている番組のテキストだ。 上巻の内容は、トランスパーソナル心理学の考え方を紹介するというもの。 具体的には、現代の社会と人間のおかれている状況に関する論評、ウィルヘルム・ライヒの「性格の鎧」、アブラハム・マズローの「欲求の階層説」と至高体験論、スタニスラフ・グロフのLSDおよびホロトロピック・セラピー、ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」と世界観というもの。 これは、ある意味、スタンダードなトランスパーソナル心理学の紹介だと思う。 個人的には、ここで紹介されている考え方を読んでいると、直感や体験やエピソードに基盤を置いているものもあり、実際のところどうなのという気が。

ところで、最後の回では、ケン・ウィルバーの「危険なカルトを見分ける基準」というのが紹介されている。 それは具体的には次のようなものだ。

  1. 前合理的である(呪いをかける魔術や動物を血祭りにあげる古代の供儀のようなものを実践形態として採用している団体)
  2. 永続的権威に率いられている(一人のカリスマが絶対的な権威をもち、集団を支配するような宗教)
  3. 正当性の根拠が単一の源に還元されている(集団のメンバーが正気がどうかを決める基準が一人のカリスマに委ねられている集団)

つまり、魔術的な行いをしたり、カリスマが存在したり、そのカリスマにみんなが従っている集団ということだ。 しかし、最初の項目に当てはまるのは、アメリカの都市伝説でよくある悪魔教かなんかのことだろうか。 それから、後ろの2つは要するに、一人の人間が支配している集団だと言っているわけで、ある意味、当たり前のことを言っているような気がする(でも、これは重要なポイントだ)。

これに加えて、世界を救うことを標榜する集団にも気をつけるべきであると述べられている。 しかし、この本の冒頭で紹介されているのは、まさに「地球を救う」物語なのである。 もちろん、冒頭の物語は、ウィルバーの用意したものではない。 ないけれどでも、その物語はユング派の心理学者が一般向きに書いた本に書かれているものであり、それが自分探しのエッセンスとして紹介されているのだ。

なんとも、判然としない気持ちになるのだった。

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2004.04.26

その後のPowerMac G4 Cube

先日取り上げた話に引き続き、秋葉原でグラフィックカードを入手。

装着してみたところ、ディスプレイが使用可能になった。 熱が気になるので、様子を見ながら使用することに。

更に調子にのって、HDDを120GBに交換。

後は、メモリの増量とCPUか。

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2004.04.25

フェッセンデンの宇宙

エドモンド・ハミルトン著、中村融編訳、『フェッセンデンの宇宙』、河出書房新社 奇想コレクション、2004年を読む。 本書は、キャプテン・フューチャー(今年の夏、復刊予定)やスターウルフなどのスペース・オペラで有名なエドモンド・ハミルトンの短篇集である。

ハミルトンは、痛快なスペース・オペラの作家という顔と、読むと茫漠とした気持ちになるSFの作家という顔の2つを持っている。 後者は、SFならではの「if」によってわたしたちがよって立っている存在をゆるがす作品だ。 人間とは全く異なった自由を獲得したものたちからの視点、世の中で華やかに見えているものの裏側にある悲しい真実、etc.といったテーマがそこでは取り上げられる。

この作品集は、どちらかというと後者のような作品を集めたものだ。 このような作品集には、1972年に早川書房から出版された『フェッセンデンの宇宙』(同タイトルだが収録作品は異なる)や、1982年に青心社から出版された『星々の轟き』などがあったが、これらは現在ではほとんど見かけない。 わたしは、ハミルトンのスペース・オペラもペシミスティックな作品もどちらも好きだが、この作品集は、非常に読んでいて満足のいく、いい本だったと思う。

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2004.04.24

PowerMac G4 Cube と 20 inch Cinema Display

目の前に何故かPowerMac G4 Cubeと20インチApple Cinema Displayがある。

Cubeのビデオ出力端子は、20インチApple Cinema Displayに形状的には接続できるが、現実には映らなかった。 調べてみると、20インチのCinema Displayの要求スペックは「NVIDIA GeForce2 MX / GeForce3 / GeForce4 MX / GeForce4 Ti / ATI Radeon 7500 / Radeon 9000 Pro / Radeon 9700 Proグラフィックカードを搭載したPower Mac G4」となっているが、Cubeが搭載しているのはATI Rage 128Proだ。

G4 Cubeと言えば、コアなファンによる改造がよくあって、メモリ増設、HDD交換、CPU交換、グラフィックカード交換などの話がサーチすると見つかる。 ちょっと、この2つを有効活用するために、グラフィックカードあたりに挑戦してみようかという気持ちになりつつある。

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2004.04.23

ザ・ラスト・デイ・オン・アース キャシャーン

北条匠著、『ザ・ラスト・デイ・オン・アース キャシャーン』、集英社 スーパーダッシュ文庫、2004年を読む。

これは、映画の『CASSHERN』のノヴェライズということなんですが、わたしはエイトマンのときのことを思い出してしまいました。

うーん。 昔のコミックやアニメを、「現代的」に「実写化」する際には、共通のフィルター・プログラムみたいなものがあるのだろうか。

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2004.04.22

神社での結婚式

結婚式と披露宴の招待状が来る。

披露宴はともかく、神社での結婚式に参列したことはないので、とてもおもしろそう。 などと考えながら、今日は疲れが出ておちていた。

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2004.04.21

新ネットワーク思考

アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳、『新ネットワーク思考 -- 世界のしくみを読み解く』、NHK出版、2002年を読む。

たとえば、世の中、いろいろなサイトがある。 それらのサイトがどのくらいリンクされているのかを調べてみると、ごく一部のサイトだけが異常に多いリンク数をかせぎ、残りのほとんどのサイトはどんぐりのせいくらべになっている。 この分布はf(x)=x-2〜-3のような形の分布になっている。 これは別にサイトの被リンク数に限らず、収入や、セックス・パートナー、免疫系、人脈、etc.とさまざまなことに当てはまる。 そういう現象が何故起こるのか、そのしくみはどうなっているのかといったことを解説したのが本書である。 これは、最近、orkutなどのソーシャル・ネットワークの話が流行しているが、そのベースにあるミルグラムの「小さな世界」の話などとも関係してくる。

著者は、理論物理学者で、これらの現象の解析に、量子場や統計力学の手法を活用しているところがポイントだと思う。 繰り込み群、スケール不変性、ボーズ・アインシュタイン分布などの知見によって、さまざまな現象が解読されていく様が、明確に語られていて、非常に興味深かった。 またこれは逆に、わたし個人にとっては、量子場の理論に別な視点からの理解が深まったと思う。

本書の主張は、基本的には単純だ。 たくさんポイントがあって、それが結ばれているような現象があったとする。 世の中のそういった現象の一部では、特定のいくつかのポイントに線が極端に集中し、残りのほとんどのポイントはせいぜい何個かの線で繋がっているだけである。 このことによって、あるポイントから、任意の別のポイントまで、何回のステップで到達できるかという回数が、小さい値におさえられ、「小さい世界」が実現されている。 このような現象は、ポイントがだんだん増えることと、新規のポイントができるときに、たくさん線が集中しているポイントと線を結びたがる傾向があるような場合に起こりうる。 こういう世界は、ランダムに発生する事故には強いが、特定の線が集中しているようなポイントを狙い撃ちする攻撃には非常に弱い。 そういうポイントに注目しておけという話だ。

たとえば、以前取り上げた悪徳商法? マニアックスGoogle Japanの検索に現れなくなった事件があった。 これに関しては、この他にもいろいろと経緯があったが、悪マニBeyond氏と一緒にウェディング問題を考える会が設立され、4月17日の第1回総会などを経て、現在、一応決着がついたかのように見えている。 この出来事のポイントは、インターネットの情報流通に関して、線が集中しているのはGoogleだったということだ。 これは、ボーズ・アインシュタイン凝縮が起こった状態のようなものだ。 このような状況では、別に末端のポイントに対応しなくても、その末端のポイントが繋がっている付近に存在している、線が集中しているポイントを抑えてしまえば十分だということだ。 現在のネットワークの特性を把握して利用した出来事だったと言えるだろう。

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2004.04.20

ヨブ記 箴言

並木浩一、勝村弘也訳、『旧約聖書XII ヨブ記 箴言』、岩波書店、2004年を買う。 本書で、岩波書店の新約聖書、旧約聖書の翻訳の刊行は完結した。 発売は先月の末だったが、その頃、注文して待っていたが、やっと届いた。

本書、ヨブ記は、神の義を問う神義論を語っており、それはたぶんキリスト者とは呼べないであろう、わたし個人にとっては非常に興味があるものだった。

創世記によれば、この世は神が創造したはずである。 しかし、神が創造したはずなのに、この世は、あまりに不条理であり、悪が存在し、善をなしても報われるわけでもない。 このような諸問題の原因は、他の宗教では前世の因縁、祖先の業、動物霊、婚姻、修行のレベルなどだったり、自己啓発セミナーの類では自分自身の創造といったことに押し付けられる。 そして、それぞれの説明原理に従って、回復するための処方が提示されることになる。 しかし、キリスト教などの場合には、これは神の実在や意義、能力といったものや、人間の自由意志、運命の決定論性などの問題に展開する。

ヨブ記はこんな物語だ。 ヨブは義人だった。 そして、恵まれた人生を歩んでいた。 しかし、あるときサタンが神に問う、彼は恵まれているから義人でいられるのではないかと。 神は、サタンにヨブを試練にあわせることを許す。 2度にわたる試練で、ヨブはとてもひどい目にあう。 それを聞きつけてやってきた3人の友人(プラス1名)と、神への疑問を呈したヨブの間で議論が起こるが、平行線を辿る。 最後に神がヨブに語りかける。 神との問答を通じてヨブは態度を変える。 その後、ヨブは癒され、以前以上に恵まれた生活を送る。

この物語は、非常に重要な問題を扱っていながら、シンプルな回答は示されず、一筋縄ではいかない。 そういった意味で、本書の巻末に付された詳しい解説は役に立つ。 ヨブ記の読解の困難さを説明し、訳者自らの立場と選択した解釈と異論を記し、かつ構成の深さを提示し、成立の背景を示唆してくれる。 本書が出版されるまでには長い時間がかかったが、わたしには待った甲斐があったと思われた。

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2004.04.19

神の系譜 特別篇 竜の秘密

西風隆介著、『神の系譜 特別編 竜の秘密』、トクマ・ノベルズ、2004年を読む。

埼玉県南を舞台に、神の血を引く天目マサトを中心として、歴史部のメンバー土門巌と麻生まなみ、そして麻生まなみの異母兄で認知心理学者の火鳥竜介が、歴史と神仏の謎を解き明かしていくのが、《神の系譜》シリーズで、既に6冊の本が出ている。

本書は、これまでの6冊の作者自身による解説本である。 このシリーズは、読んでいると、とにかくうんちくとややこしい謎解きに埋もれてしまうので、これまでのお話を振り返るという意味で、少なくともわたしにとっては、とても意味がある一冊になった。 これまでのお話で出てきた場所や、関連するものの写真が、白黒ながらも多数収録されているところもいい(カラーの口絵だったらもっとよかったかも)。

このシリーズ、謎の敵が出現し、神の秘密の一端が見えてきたという感じで、これからまだまだ盛り上がりそうで、次巻以降にも期待。

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2004.04.18

機械仕掛けの蛇奇使い

上遠野浩平著、『機械仕掛けの蛇奇(じゃき)使い』、メディアワークス 電撃文庫、2004年を読む。

この本は、《ブギーポップ》シリーズが有名な上遠野浩平の新作。 世界としては、『ぼくらは虚空に夜を視る』などの《ナイトウォッチ》シリーズの夢の世界に当たる。 つまり、舞台は本人にとっては現実としか思えない夢世界。 その一方で、現実世界では強力な敵との戦いが繰り広げられている。 今回の夢世界は、不思議な科学技術が発達した中世風の世界になっている。

お話は、帝国の皇帝になったローティフェルドは、結局、自分のしたいことは何もできず、唯一の心のなぐさめは、過去に世界を破壊し、鉄球に封じられた「闘争と破壊の化身」バイパーを眺めること。 そのバイパーの封印を解こうとしたところ、皇位を巡る争いに巻き込まれる。 そして、帝国の背後にあるものや、自分を転写したバイパーを通じて、自分が何なのかを見つけていくというもの。

初期の頃の上遠野浩平の作品では、登場人物の個性が見えにくく、読んだ後で名前を聞いても誰だっけ?という感じになることが多かったが、この作品の登場人物はそれぞれキャラクターが立っていて、それが物語の魅力になっている。 その一方で、たぶんこの作品はこの一作だけで完結だと思うが、伏線が使われないままに、物語が終わってしまったりもしている。

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2004.04.17

浅虫温泉とかたくりの花

かたくりの花@浅虫温泉.青森
かたくりの花

昨日取り上げた、デジタルコンテンツグランプリ東北2003フォーラムは、パネル・ディスカッションが、時間を30分以上も延長して、まだまだこれから盛り上がるぞというところで残念ながら終わった。 パネラーはモンキー・パンチ、ゲームクリエイター・水口哲也、CGアーティスト・檜山巽の3名、そしてコーディネーターはプロデューサー・河原敏文というメンバーで、「デジタル・キャラクターの創造と育成」というテーマで、どの人も語りたいことが山ほどあるという感じだった。

その後の交流会は、青森の浅虫温泉で行われた。 昔ながらの温泉という感じで、結構よかった。

なお、上の写真は、旅館近くで撮影したかたくりの花。 桜もかたくりも、これからが見頃という感じだった。

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2004.04.16

デジタルコンテンツグランプリ東北2003フォーラム

今日は、青森で行われるデジタルコンテンツグランプリ東北2003(注・2004の間違いではないらしい)のフォーラムに参加する予定。 通信環境があったら、追記するかも。

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2004.04.15

自称メルマガ

いままで、在宅ビジネスで○億円の収入者が続出というメールが、何度も、何度も、何度も送られてきていたアドレスから、今日は「お天気メルマガ」と称するものが送られてきた。 その本文の多くは、在宅ビジネスに関するもので、末尾に全国主要都市の今晩と明日の天気予報がついているというものだった。

一瞬、メルマガと書いてあるので、ワームかなんかによって、自動登録されたのかと思い、配信解除のURLにアクセスして解除しそうになった。 でも、もしも、これがアクティブなメール・アドレスを採集するための新手の方法だったらと、その瞬間思い、過去のメールを調べ直してみて思いとどまった。

くわばら、くわばら。

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2004.04.14

宗教が往く

松尾スズキ著、『宗教が往く』、マガジンハウス、2004年を読む。

これは、アングラの芝居、バンド、etc. の勢いをそのまま小説にした無茶苦茶な本だ。

そういった芝居やバンドでは、それこそ捨て身の自分が表出する。 「なんで、そこまでするの?」というレベルで、変で、偏って、ダメダメな自分が全開で表現されたりする。 この小説の登場人物は、ほとんどがそんな造形をしている。 また、ストーリー自体も、とにかくハチャメチャだ。

更に、本編の前に、64ページ近くも前書きがある。 その前書き自体が、松尾スズキの自身のフツーじゃなかった昔の彼女との同棲生活に関する、捨て身のカミングアウトであり、それがこの小説の存在理由にもなっている。 もうとにかく、そういう表現で満ち満ちた本になっている。

お話は、田舎のいいとこのボンボンに生まれた、どこから見てもフクスケそのもののフクスケくんが、女中にレイプされて人生が狂う。 その後は、上京していきなりすべてを失ったり、凶悪な伝染病のキャリアになって人口が激減したり、コントグループの作家になったり、・・・とあらすじを紹介しても意味がないような怒濤の展開が続く。

とにかくハチャメチャな小説が好きという人向きの本だと思う。

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2004.04.13

おちる

おわったのか?

もう、今日は、山場にテレビに講習会と、これで限界。 おちる。 ねむる。

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2004.04.12

新年度ではまる

新年度で、年度代わりにドタバタしたため、最高に危機的な状況を迎えてしまった。 既に自転車操業になりつつある。

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2004.04.11

blosxom

ふと思い立って、シンプルなウェブログ・ツールのblosxomで遊んでみている。

blosxomは、Perlで書かれたツールで、CGIとして使えば動的なウェブログ、コマンドラインから実行すれば静的なウェブログが生成できる。 これなら、CGIが使えない環境でも、単純にページを見せるだけだったら、問題ない感じ。 記事の日付はデフォルトでは、記事の最終更新日時になる。 これは、touchコマンドを使えば、好きな日付に設定できるので、けっこうおもしろい。

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2004.04.10

ブレイブ・ストーリー 〜新説〜

宮部みゆき原案、小野洋一郎漫画、『ブレイブ・ストーリー 〜新説〜(1)、(2)』、新潮社 バンチコミックス、2004年を読む。

宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』(角川書店、2003年)は、傑作だと思う。 このお話は、ある日、幻界とこの世をつなぐ扉と出会った小学5年生の亘が、突然襲った不幸な出来事を解決しようと、望みを叶えてくれるという幻界にある運命の塔をめざして冒険するというものだ。 このレベルで見てみれば、『ブレイブ・ストーリー』の骨格は、普通のファンタジーやRPGと共通だ。 そして、普通、RPGは、冒険して、悪の大王を倒して、願いが叶えられて、おめでとうで、はい終わりだ。

でも、それでいいの? それが、宮部みゆきの問いだ。

そして、RPGではそうだ。 でも、現実の問題は、そんなに単純じゃない。 現実の世界では、「悪の大王」を倒しても、しばらくすれば、また次の「悪の大王」と戦うことになるだろう。 これは、問題を一つ解決しても、すぐ次の問題が現れると言い換えてもいい。 それから、そもそも倒すべき「悪の大王」さえいないかもしれない。 非常に微妙な立場の違いで、敵と味方にわかれることだってあるかもしれない。 ゲームは、時間さえかければ、たいていの人がクリアすることができる。 でも、現実には、クリアできる人が限られている問題だってある。 そして、大変だったり、問題を抱えているのは自分だけじゃない。

そんな問いがたくさん込められているのが、『ブレイブ・ストーリー』だ。

さて、本書は、その『ブレイブ・ストーリー』を原案にしたコミックだ。 そして、また、宮部みゆきの作品の初のコミックス化という記念すべき作品でもある。 とは言え、この作品は、宮部みゆき原案と言っているように、たとえば、亘が小学5年生でなく、中学2年生だったりというように、かなりアレンジが加えられていて、原作のイメージから随分異なったものになっている。

わたしは、原作を読んでいたせいか、違和感を感じた。 また、アレンジと言っても、強すぎる原作のパワーにふりまわされていて、ちょっと微妙な感じ。 そうは言っても、原作を知らなければ、普通に楽しめるような気もする。 だんだんのってきたような感じなので、次巻以降にも期待。

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2004.04.09

リゾート開発と自己啓発セミナーだった頃

昨日とりあげたホームオブハートのMASAYAは、1990年にアイランドという会社をおこしている。 当時、いろいろな雑誌に取り上げられたが、その頃はリゾート開発系の会社として紹介されていたと思う。 当時のMASAYAの談話には、πウォーター、ハンガー・プロジェクト、ナポレオン・ヒル・プログラムなどの単語が出てきていたと記憶している。 その頃は、「愛ランド」計画というのがあり、勝ち負けがなくて愛と優しさと思いやりを共有できるといったスローガンで、東京湾に浮き島型リゾートをつくるんだという話だったと思う。 今にして思えば、これは80年代バブルと、ニューエイジ、精神世界思想と、自己啓発セミナー的な成功哲学の結びついた、一種のコミューン設立計画だったのだろう。 これはさまざまな変遷を経て、思想を共有している人たちによるクローズドな共同生活団体という形へ行き着くことになる。

自己啓発セミナーやグループ・セラピーの中では、参加者間でお互いに深く理解しあえたという錯覚が発生する。 それは、一見、とてもすばらしいことに思える。 さらにこの延長で、セミナーやセラピーの手法や、そして団体そのものもすばらしく思えてくる。 しかし、このような感覚は、日常に戻ったときに継続しない。 人と人とで深く理解しあえる! すばらしい! と実感した参加者を待ち受けているのは、理解がなくて、いやみったらしく、偏見にみちた配偶者や家族や友人や職場や学校の人たちだ。

このとき、参加者たちにとって、この日常に適応するか、日常をセミナーやセラピー空間に適応させるかの選択肢がある。 そもそも、うまくいっていない人生をうまくいかせたいのであれば、それは日常の中でどう生きるかの問題で、日常に適応するのが妥当な解決方法だろう。 セラピーという営みは、人工的につくられた異界の中で、ほんの一瞬、日常の軛から解放された状態になり、そこで何かを見つけて、日常に戻ってきてちょっとだけ何かが変わるという、「行きて帰りし物語」の形式にならないとうまく機能しないだろう。 でも、人工的に作られたセミナーやセラピーの空間は、非常に刺激的で心地よく、日常にもどってくるとそこで見た素晴らしいものが色褪せてしまうことがあるので、戻ってくるには努力が必要だ。

一方、セミナーやセラピーの人工的な空間こそが本物であり、日常は何か間違っているという、思いを抱くと、最終的に行き着くところは、世界の人の○○%(場合によってはすべて)にセミナーやセラピーを受講させたいとか、わかっている人たちが集まって理想郷を作ろうとかいう方向になりがちだろう。

そう言えば、過去にとあるグループ・セラピーの指導者が、「セラピーのセンターを作って、みんなでそこで共同生活をしたい。 そして、毎日、ずっとこうやってセラピーを続けられたらいいのになあ」といった主旨の発言をするのを聞いたことがあり、そのとき、わたしはかなりこわかった。 「毎日、毎日セラピーをするって、何のために? セラピーは、日常生活でうまくいってないと思うことがあるからしているわけで、日常生活のないセラピーや、セラピーが日常化した世界というのは、そもそも何なんだ。 目的を失って、手段が自己目的化したマスターベーションのようなセラピーって、どこに行くかわからないじゃないか。 こわい」。 そう思った。

さて、ホームオブハート関係では、以下のようなページができている。

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2004.04.08

ホームオブハート

X JapanのTOSHIが心酔しているMASAYA主催の自己啓発セミナー、ホームオブハート(元・レムリアアイランドレコード)に立ち入り調査が行われた(参考: asahi.com 「自己啓発施設に立ち入り調査、5人保護 栃木」)。 この団体に関しては、「きっとまた会える」の回でも取り上げた。

MASAYAのこのセミナーは、更に過去にはアイランドという名前でも実施されており、1990年代の半ばにNHKの「おはよう日本」で自己啓発セミナーについて取り上げた回で、取材を受けている。 あの番組で、名前も顔も出してしまった参加者の方たちはさぞや複雑な気分であろう。

この件に関しては、また今夜、詳しく書きたいと思う。

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2004.04.07

凹村戦争

西島大介著、『凹村戦争』、早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション、2004年を読む。 本書は、元気のいい日本のSF作家の作品を刊行しているハヤカワSFシリーズ Jコレクションの一冊として出版されたが、小説ではなくコミックだ。

凹村(おうそん)という隔絶された田舎が舞台。 ガキのままの凹沢、大人ぶって日常に埋没したい凹伴、享楽的な凹坂の3人は、男の子2名+女の子1名という黄金パターンな幼なじみ中学生トリオ。 ある日、凹村に、X字型をした謎の巨大物体が空から降ってくる。 どうやら、首都は火星人の侵略を受け、戦争が勃発しているらしい。 そして・・・というお話。

主人公の凹沢は、はっきり言って「バカ」だ。 火星人だ、物体Xだ、非常事態だなんて騒いで。 それは何にもわかっちゃいなくて、気持ちがはやっているだけだ。 でも、凹沢を見ていると、この作品に出てくる女教師の凹瀬戸のように、つい何かを託したくなる自分がいる。 かつて、どこかで、何かをあきらめちゃった自分が思い出される。

あの日、あきらめたはずだった。 もう、納得しているつもりだった。 でも、本当は、納得しようとして、納得しきれない自分がいる。 そんなことにこの作品を読んでいて気づいた。 まだまだ、ガキってことですか、わたしも。

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2004.04.06

感覚情報処理

Ph. D. 安井湘三編著、『感覚情報処理』、コロナ社、2004年を買う。

この本は、日本エム・イー学会編のME教科書シリーズの一冊である。 「エム・イーって何?」と思って、日本エム・イー学会ページを見ると、いろいろと名称に関して長い説明がある。 でも、英語名を見れば、"Japan Society of Medical Electronics and Biological Engineering"ということで、医療系の電子工学と生物工学に関する学会だと理解できる。

本書を買ったのは、「色」の勉強をしようと思ってのことだ。 早速、九州工業大学の古川徹生氏による第二章「視覚」を読んでみた。 結論を言えば、色覚に関してはたくさん紙幅が割かれていたわけではなかった。 しかし、色の教科書にはあまり書かれていない、人間の視覚の全貌が簡潔に書かれており、非常に刺激的だった。 色覚に関しては、色を感じる3種類の錐体の話が、単純化されたモデルで明確に説明されていた。 普通、色の本では、これはややこしく書かれていて、その本質について本書ほど明確には書かれていない。

また、本書には、聴覚、味覚と嗅覚、皮膚感覚と深部感覚、平衡感覚などについても書かれていて、非常に興味深い。 後で、これらも読んでみようと思った。

そういえば、NLP、EMDR、TFT、他のセラピーでは、あたかも一見、これらの感覚情報処理の取り扱う分野の事柄を活用しているように見える。 中には、最新心理学の成果と自称しているものもある。 でも、理論的根拠がなかったり、治療のメカニズムが解明されていなかったり、実験してみると主張が認められなかったりするものもあったりする。 うーん、ある意味、こういう分野って、まだまだ神秘的に見えるのだろうなあと思った。

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2004.04.05

最後にして最初の人類

オラフ・ステープルドン著、浜口稔訳、『最後にして最初の人類』、国書刊行会、2004年を読む。

オラフ・ステープルドンと言えば、宇宙の発生から終末までを描いた『スターメイカー』(浜口稔訳、国書刊行会、1990年)が有名。 本書は、『スターメイカー』と並ぶ、特異な作品だ。

1930年に原書が出版された本書『最後にして最初の人類』は、<最後の人類>が、時を越えて<最初の人類>であるわたしたちに語りかけてきた物語という体裁を取っている。 本書では、第一次世界大戦からはじまり、20億年後の第十八期人類である海王星に棲んでいる最後の人類までの叙事詩が語られる。

普通の小説では、一人(あるいは複数)の主人公が存在して、一人(あるいは複数)の人間を取り巻く物語が展開する。 しかし、この『最後にして最初の人類』では、ほとんど一人の人間が語られることはなく、主語は「種としての人類」になっている部分が大半である。 まず、最初のうちは、国家間の争いが語られるが、次第に種としての人類にシフトし、ガス状の火星人類との攻防、理想的な形態への自己改造、金星改造と金星人類の殲滅、地球の滅亡と金星への植民、金星での人類、太陽の膨張と海王星への退避、種としての零落と発展、太陽系の崩壊と最後の人類・・・という感じで語られていく。

その語りは、これまでの人類の歴史と、人間観察をフルに活用し、皮肉と信じられないくらい膨大な想像力によっている。 この物語の中で、種族は、あっけなく滅亡したり、それでも雑草のように勃興したり、変な風習にとらわれたり、独特の社会システムを築いたりする。

「壮大な年代記」というと、わたしの場合、ふと、ガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社、1972年)などが頭に浮かんでくる。 しかし、スケールだけで言えば『最後にして最初の人類』の方が比べ物にならないくらい大きく、密度も高い。

いずれにせよ、全く普通の小説ではなかった。 ありがちな小説の楽しみ方としてキャラクターに感情移入するというのがあるが、そうしようにも、適切なキャラクターが出てくることは稀であり、それもほんの須臾の間でいなくなってしまう。 その辺は覚悟して、ほとんどお目にかかれないような特異な作品だということをふまえて、読んだ方がいいんじゃないかと思う。 とにかく、とてつもない作品だった。

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2004.04.04

帰還

秋田の田沢湖からもどってきた。

昨日は、前日降った雪がまだ残り、天気もあまりよくなかったが、今日は晴れていい天気だった。 花見の季節にはまだ早かったのが残念。 秋田の角館には武家屋敷があるが、桜が咲くと、そのたたずまいにぴったりで、とてもいい感じなる。

秋田では、いろいろな人に会って話をしたり、やや土色がかったお湯の温泉につかったりした。 連日、引っ越しその他でたまっていた疲労が、温泉につかったらいきなり出て、ぐっすり寝てしまう。 何日かいれば復活しそうだったが、やることが山積みなので、残念に思いながらも戻ってきた。

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2004.04.03

秘密のみつえちゃん

百合ブーム以前から、女の子が好きと言ってはばからなかった女性マンガ家、青木光恵著、『秘密のみつえちゃん』、朝日ソノラマ、2004年を読む。

この本には、朝日ソノラマの隔月刊のマンガ雑誌「ほんとにあった笑っちゃう話」に連載された「秘密のみつえちゃん」、ベネッセの「こっこクラブ」に連載された「青木光恵の朝から晩まで」、白泉社の今はなき「PUTAO」(「メロディ」の前身?)に連載された「お楽しみ生活図鑑」などが収録されている。

「秘密のみつえちゃん」は、下ネタや性的なタブーをとことんあけすけに語るという企画(ここに企画の内容を書いたら、ある種のフィルターがかかっている環境では、このページは表示されなくなること間違いなし)で、青木光恵らしい作品で楽しかった。 たぶん、青木光恵以外の人が同じような内容で描いたら、きっと、すごく後味の悪いお話になったことだろう。

「青木光恵の朝から晩まで」は、実話にもとづく育児マンガ。 これまた、非常にあけすけで、「夫婦としては決してうまくいってへんよ。」とか、さらりと書いてある。 こういうところが、青木光恵の本当にすごいところだと思う。 作品としては、ちょっと不完全燃焼かも。

「お楽しみ生活図鑑」は、わたしは「PUTAO」の連載で読んでいたが、テディベアを作って、同人誌即売会のようなイベントにサークル参加して、販売するという活動がメインに描かれていて、こんな世界もあるのねとびっくりした。 個人的には、掲載誌のカラーに合わせた作風なのかもしれないが、もうちょっとはじけて欲しかったかも。

これらの作品は、それぞれ実話にもとづいているという以外には共通点がないので、ちょっと一冊の本としてみると微妙な感じではあった。

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2004.04.02

秋田へ

明日は、秋田の田沢湖にでかける。 天気悪そうだけど、どうなるのか? どきどき。

所属が変わったり、引っ越ししたりで、へとへとな今日この頃。 果たして大丈夫なのか?

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2004.04.01

職業としての学問

マックス・ウェーバー著、尾高邦雄訳、『職業としての学問』、岩波文庫、1936年(1980年改訳)を読む。 これは、ウェーバーが学生に対して1919年にミュンヘンで語ったものをおこした文章である。 ちなみに、ウェーバーはこの翌年に肺炎で亡くなっている。

この本は、大学のときに、レポートか何かの課題で一度読んだことがあった。 しかし、今回読み返してみて、改めて含蓄の深さを知った。 以前の知識や問題意識では、読み取れないようなことをウェーバーはたくさん語っていた。 特に、近代化によって、世界が魔術の呪縛から解放されつつあるのであるという強い姿勢は、今回特に印象に残った。 そして、ウェーバーはこの講演の中で、大学に「体験」を求め、教師に「指導者」を求める当時の青年たちを敢然と情熱的に批判してみせる。 ウェーバーは、この後のドイツのナチスや、今日の宗教を取り巻く事情をもちろん知らない。 そして、それらのことを経験してきたわたしたちには、彼の批判がなおさらに心に響くのかもしれない。

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