〈美少女〉の現代史
ササキバラ・ゴウ著、『〈美少女〉の現代史 -- 「萌え」とキャラクター』、講談社現代新書、2004年を読む。
本書は、1980年代と1990年代を中心とした美少女キャラクター論。 吾妻ひでお、宮崎駿、高橋留美子、あだち充、DAICON FILM、ビッグウェスト、富野由悠季、そして近年の美少女ものなどを論じている。
本書で目立ったのは、「少年の戦う理由」の変遷に関する議論だ。 昔、「世界のため」、「巨人軍のため」、「あしたのため」、etc. といった戦う理由を持っていたキャラクターたちは、時代の変遷により、1980年頃から「○○○(女性の名前)のため」といったものしか、共感を呼ばなくなっていってしまう。 たとえば、「未来少年コナン」だったら「ラナのため」、「カリオストロの城」だったら「クラリスのため」だ。 この変遷によって、どのような作品がどのような表現をなし、それを見る側がどのようなスタンスを取ったのかを、美少女に焦点を当てることで語っている。
最終章「美少女という問題」では、「見られる存在」である美少女キャラクターの存在は、「見る存在」である男性消費者の存在によって形成されるという議論から、「透明な存在」、「泣ける」エロゲー、オウム、BL(ボーイズラブ)的特撮、ドールといった現象を俯瞰している。
著者の指摘するように、自分が「○○○のため」に戦っているのか、そして「○○○」の部分に入るものは何なのかには注意をしたい。 そして、その「○○○」は、世間の人々の抱いている「かっこよさ」みたいな共通規範と思い込んでいるものだったり、あるいは「本当の自分」の気持ちだと思い込んでいるものだったりするのかもしれない。 でも、それは、ひょっとすると神聖なものでもなんでもなく、ただの風潮かもしれないのだから。
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