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2004.06.30

半年目

この「でじたる異言ノォト」は2003年12月31日から書き始めたので、今日で半年目。

一日一回の投稿ペースで、月別とカテゴリー別のバックナンバーを作成し、画像ファイルなどをあまり使っていないといった性質を持ったこのサイトだが、使用しているディスク・スペースは、およそ4.5MB程度になった。

それからココログのアクセス解析は、JavaScriptで作られていて、これはページを閲覧する度に起動される。 これによるとアクセス数は、1日平均二百数十件程度ということだが、こういう分布には旬のキーワードや話題によって、いくつか異常に突出した山が突発的にできる。 フラットなところを見れば、1日百数十件程度だろう。 この値に、RSSリーダーやカスタマイズしたブラウザで閲覧している人、それからサーバのレスポンスが悪くてタイムアウトしたアクセス解析のリクエストを上乗せし、ページをブラウザの「進む」と「戻る」で行き来した際にマルチカウントされた数を引けば、だいたいリアルな定常の閲覧数になる。

書いてきた内容は、主にコンピュータとスピリチュアリティと読書に関すること。 なるべく、スピリチュアリティ、具体的には宗教、心理、哲学、科学、etc. をうっすらと覆ったオルタナティブな世界、あるいは不思議なことを中心に書こうと思っていた。 また、活字の本に関しては、記録としてできるだけ書き留めることにしていた。 とは言え、開始した当初に比べ、新年度に入ってからは仕事が随分とハードになって、コミックの話題が増えた。 というのも、スピリチュアリティに関する話題や活字の本については、時間をかけないと書くのが難しい。 一方、コミックは、元々、話題にしている数の何倍か読んでいる。 一応、一日一回くらい更新し続けたらどうなるのかを体験してみたかったこともあったので、こういう状態になった。

書かなかったこととしては、直接生業としているもののことと、生業やプライベートややたらに身近な人間に対する直裁な悪口や批判。 一部、ぼやいたものもあったが。 身近なことに関しては、Webで悪口を書くよりは、少しでもよくなるように努力したい。 また、Webで書くということは、広く知らしめるために書くということに他ならない。 誰でも見ることができる場所で書くのは、陰口やプライベートな相談や単なる憂さ晴らし以上のことになる。 何度も、あまりにもどうかと思うような事もあった。 途中まで書きかけたこともあったが、結局、投稿しなかったのは、よかったのではないかと思う。

さて、これからどうしようか。 今、いろいろな迷いの中にいる。

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2004.06.29

南青山少女ブックセンター 1

桑島由一著、『南青山少女ブックセンター (1)』、メディアファクトリー MF文庫、2004年を読む。

本書は、女性ばっかりの中で、男一人で生活という、ギャルゲーのような設定のライトノベル。

お話は、男性恐怖症の女子高生たちが、それを克服することを目的として設立された女子高、そして克服を目的としたアルバイトのための南青山少女ブックセンターが舞台。 そこに、産まれて以来、とにかく不運続きな春山マリオが、だまされて、男性恐怖症克服のための人材であるということを知らずにやってくる。 そこで、発生するドタバタとほのかな出会いの高校生活に、南青山少女ブックセンターの店長としての萌えによる客寄せ戦略の日々というのが、おおよその概略。

タイトルとしては、南青山少女ブックセンターとなっているが、ビブリオ・マニアや書店をめぐるコアな話を求める人ではなく、萌え好きの人向きの小説。 自分の属性をよく見極めた上で読んだ方がよさそう。

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2004.06.28

水面

いろいろとライフスタイルに制限がつく宗教がある。 そんな宗教にかぶれた人物から話を聞いた。

曰く、清らかになりたいと。 そのために食事に制限を付けると。 すると、清らかになったような気がすると。

問う。 何ゆえ、その制限により清らかになるのかと。

答えて曰く。 知らず。 されど体験したと。

しかし、それは問いの答えではない。 教祖がそう言ったから以上の根拠などない。

悲しくも、寂しさをごまかして埋めようとしている景色がそこにあった。 そんな風景を見ていると、わたしの胸がちりちりと焦げる臭いが漂ってきた。

昔、経典を読み、恐怖を覚えた自分がいた。

破滅の日がやってくるという。 それは今この瞬間かもしれない。

いや、そんなことがあるわけがない。 ・・・でも、もしも万が一にも真実だったら・・・。

罪深く、信心の足りないわたしは救われない。 永遠に苦しみの中に囚われる。

それは怖い。 いやだ。 救われたい。

そのためには、決められた教えを守って、いい人にならなければならない。 救われるには、いい人にならなければならない。

でも。

恐怖があるからいい人になろう、そう努力することで、本当にいい人になれるのだろうか。 恐怖がなければ、いい人ではないとしたら、それは果たしていい人なのだろうか。

救われたいからいい人になりたい。 そんな欲にふりまわされた人は、いい人なのだろうか。

いい人の存在が、恐怖や救済欲によって支えられているというのはどこか歪んでいないか。 いい人というのは、恐怖にも、救われたいという欲にもよらず、いい人でいるような人ではないのか。

別に、これは特定の教えに限定されない。 構図の問題だ。

要は、強力な妄執に支えられた修行などによって、何か高いステージに至るのだとすると、それはシステムとしていびつではないか。 その階段を上り切った先にあるものは、果たして本当に素晴らしいものなのか。

教義の構成上は、そのことに触れないか、どこかで悟りがひらけるといったことにでもしてあると思う。 でも、果たして本当にそうなのか。 実は、おそろしく執着の強い人物が、ああ到達したんだと錯覚するに至った道を、同じように歩むように構成されているという可能性はないのか。

様々な思いが巡っていく。

ふと、改めて見る。

その人物が清らかになりたいと思うのは何故なのか。 むしろ問題は、清らかなんていう曖昧で漠然としたものではなくて、清らかになった結果、得られるんだと誤解しているもの、そのものの方ではないのか。

○○←清らか←ライフスタイル

二重に遠回りして、しかもそれぞれの因果関係がまやかしだったら、いくらがんばっても錯覚以上のものが手に入るはずもない。 手に入らないのは、努力が足りないからだと誤解すれば、ますます無駄な努力は費やされるだろう。

いや、あるいはこれも救済のカタチなのか。 幸福は主観による。 水面の反対側から見れば、景色もまるで違う。 他者の価値観をとやかく言うのは、尊大なおこがましいことなのかも。

いや、しかし・・・。

そんな気持ちが胸を焼いていく。

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2004.06.27

メディアとのつきあい方学習

堀田龍也著、『メディアとのつきあい方学習 -- 「情報」と共に生きる子どもたちのために』、ジャストシステム、2004年を読む。

本書は、メディア・リテラシーの授業に関する本だ。 ジャストシステムの情報教育シリーズは、良書が多いが、本書もそうだ。 ともすればソフトやハードの使い方を教えるだけになりがちな情報教育だが、本書では、メディア・リテラシーの重要性と、その体験学習の実践例が多数紹介されている。 主に小中学校の例が挙げられているが、「こんなにうまくいくの?」という気がするくらいの事例ばかりで驚く。

一度、開発された技術は、批判されようと、大きな利便性があれば広まる。 コンピュータの使用が心を貧しくするだとか、匿名の掲示板が諸悪の根源とか、そんなことを言ってばかりいても、時計の針は元へは戻せない。 それらとうまくつき合う方法を、子どもに主体的に学んでいって欲しいというのが、本書のスタンスだ。

メディアというものは本当に理解して欲しいことなのだけれど、なかなか教えるのが難しいことだろう。 そういったチャレンジングな課題に取り組み、成果をあげている事例を読んで、既にメディアを使っている自分自身のこととしても振り返る機会になった。

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2004.06.26

山形へ

ミーティングで山形に行く。

山形といえば、フェーン現象による超高温と、米沢などの豪雪の同居した地域。 行ってみるまで、予断を許さず、果たして一体どうなるのかと心配だった。

今日の山形は、昨日雨が降って、ちょっと湿度が高い程度で、比較的気温は低め。 この時期にしては、過ごしやすい日なのだと思う。

会った人たちも、元気な人が多く、非常に充実していた。 なお、会った方に教えていただいたのだが、山形には空気を祀る空気神社というのができているとのこと。 普通、神社というと、古事記や日本書紀に書かれているような神を祀るというイメージがあっただけに、これにはびっくり。 というか、これって、宗教法人なのだろうか。 そもそも神社とは何なのか、という気持ちにもなってくるのだった。

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2004.06.25

天使のドッペルゲンガー

天原ふおん著、『天使のドッペルゲンガー』、白泉社 花とゆめCOMICS、2004年を読む。

『はちみつペアグラス』の回でも取り上げた、天原ふおんの作品。 今回は、女の子の方に顕在的な特殊な能力があるのだが、実は男の子の方にも受動的な特殊能力があったりするという設定。

主人公の橘ツガルは、生きている人間の記憶から、死者の様子を引き出して、自分の体に投影し、記憶を引き出した相手に見せることができるという、「影降(かげおろし)」という能力の持ち主。 主人公の名前・ツガルに現れているように、これはイタコの技を彷彿とさせる。 また、「橘」という姓も、生死に関係したイメージを誘起する。 イタコは、依頼者の話(おろしたい人間の名前、生年月日、死亡日や死因)を聞いて、霊を自らの体に降ろし(そういうふうに見立てて、装っているだけというとらえ方もある)、死後の世界での暮らし、依頼者への感謝、依頼者に対する予言とアドバイスを話す。 ツガルの能力は、依頼者の記憶を自らに投影するもので、これはイタコの技のヴァリアント、あるいは発展形とみることができる。

一方、橘ツガルと引かれあう架乎(かや)大海(おおみ)という男の子は、一人では能力が発現しないが、ツガルとセットでその能力を高める(ただし・・・)という能力を持っていることが判明する。 ある意味、ツガルを支え、守ることが運命付けられているようなキャラクターだ。 でも、この物語では、ツガルは守られるばかりでなく、むしろ大海を守ろうとして奮闘する。 そんな一生懸命さとお互いの愛情が、実に天原ふおんらしく描かれている。

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2004.06.24

マジック・マスター 9

黒沢哲哉原作、阿白宗可漫画、柳田昌宏監修、『マジック・マスター (9)』、スクウェア・エニックス ガンガンコミックス、2004年を読む。

『マジック・マスター』は、マジシャンを目指す少年たちの勝負と成長の物語。 この物語の中で演じられるマジックは、本格的で、しかもそのタネが単行本の中で解説されているというすごい作品。 ただ、このマンガは、勝負モノで、緊張感を高めるために、すぐに「勝負に負けたらマジックをやめる」とかいう賭けに発展してしまうのはどうかと。 でも、マジックネタで他にどんな勝負が成立し得るのかというのも、考えてみるとなかなか難しいものがあるかもしれない。

この巻は、歴史に名を残す偉大なマジシャンたちが、マジックの秘密を書き記したという『聖杯の書』とかいう存在自体がかなり無茶な代物があって、それを託す「選ばれし者」を決定するという、マジック版の天下一武道会の第一回戦のお話。 今回は、4人の出場者によるマジックの描写があるが、本当におもしろそうに思えるようなステージがちゃんと描かれているところがすごい。 読んでかなりびっくりした。

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2004.06.23

名倉靖博の世界

名倉靖博著、『名倉靖博の世界』、ソフトバンクパブリッシング、2004年を買う。

この本は、アニメ「とんがり帽子のメモル」「天使のたまご」「楽しいムーミン一家」「メトロポリス」などなどで有名な名倉靖博の画集。 その独特の柔らかい絵がたくさん収録されている。 作品の分類としては、アニメ、イラスト、絵物語、コミックなどで、中には1982年の東映の「赤ずきんちゃん」の設定画など、かなり懐かしいものもある。 貴重なものも多く、購入できて大満足だった。

ちなみに、この本には、文化堂印刷の高精細印刷HBP-700という700線(普通のカラー印刷は175線くらい)の印刷が使われているそうだ。 ということは、DTP作業に使用した画像データのサイズも通常の本の十数倍相当なのか?

それから、本書のおわりのところに、富山の福光にアトリエ・ナクラがあり、土、日、祝日の午後だけオープンしていると載っていた。 前日までに予約が必要ということらしいが、北陸に行くときには同じく福光にある棟方志功記念館「愛染苑」とともに是非行ってみたなあという気持ちになってきた。

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2004.06.22

ゲド戦記外伝

先月末に購入して、余裕がなくて読めないでいたアーシュラ・K・ル=グウィン著、清水真砂子訳、『ゲド戦記外伝』、岩波書店、2004年を読む。

ゲド戦記は、アースシーという世界を舞台に、真の名前に力が秘められているという設定の魔法を背景に、自分の影の部分、思いの作り出している壁、死、などなどをテーマにしてきたファンタジー小説。 本書には、〈アースシー〉シリーズの短篇が5つと、アースシーに関する解説がおさめられている。 この短篇では、ローク学院創世記、若き日のオジオン、人と竜の秘密、そしてラブストーリーなどが、魔法を道糸に語られていく。

ところで、同様に魔法を扱った作品に、ハリー・ポッターがある。 そして、ハリー・ポッターには、魔法を学ぶ学校や、にくたらしい級友などなど、どことなく〈アースシー〉シリーズを思わせるところがある。 でも、大きな違いがあって、それはハリー・ポッターは非常に装飾過多だということだと思う。 お菓子に、おもちゃ、登場するキャラクターなど、非常にゴテゴテとディティールがキンキラに飾り付けられている。

今回、改めて〈アースシー〉の物語に触れて、何故、わたしがハリー・ポッターに違和感を感じるのかがわかったような気がした。

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2004.06.21

僕と先輩のマジカル・ライフ

はやみねかおる著、『ぼくと先輩のマジカル・ライフ』、角川書店、2003年を読む。

なんとなく気になっていたのだけれど、購入をためらっていた本だった。 今回、購入して読んでみたが、基本的に期待はずれだった。 しかし、これは趣味の違いによるもので、小説としてはおもしろいのではないかと思った。

お話は、バカ真面目で考え方が古い井上快人が、大学に入学して、家賃1万円の寮に入るところからはじまる。 いまどき、そんな寮の住人は、当然、変人ばかり。 挙げ句、最高に変人の先輩に、幼なじみの川村春奈と一緒に、オカルトの研究会に強制入会させられる。 そして、出くわすオカルト風味の事件の真相は?というもの。

本書は一種の推理小説。 オカルトっぽい事件だけれど、実は謎解きは全然オカルトではない。 オカルトなのは、主人公を取り巻く人たちだけだ。 個人的には、現実感覚の強いタイプの古いジュブナイルのような読後感があった。

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2004.06.20

映画 下妻物語

前々から観ようと思っていて機会を逸していた、嶽本野ばら原作の『下妻物語』を観る。

この映画は、茨城県の下妻(しもつま)を舞台に、ロリータ・ファッション命の女の子とレディースの女の子のデコボコ・コンビの出会いと友情を描いているのだが、基本はものすごくバカな話をとても丁寧に映像化したもの。 コメディも安っぽく作ってあると興醒めだけど、この映画はそういうことはなかった。 とにかく観て楽しめた。

そういえば、カンヌ映画祭では、『カミカゼ・ガールズ』というタイトルで上映されて、数カ国で上映が決まったらしいけれど、一体、どういう評判だったのだろう。

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2004.06.19

1回休み

疲れ果てて1回休み

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2004.06.18

ゲーム屋のお仕事

島国大和著、『ゲーム屋のお仕事 -- それでもゲーム業界を目指しますか?』、毎日コミュニケーションズ、2004年を読む。

この本は、ゲーム開発の人が書いた、泥舟気分な仕事の実態紹介だ。 ゲーム会社に入社して、ゲームの仕事にはじめて取り組み、次には最初から開発に関わり、最後にゲームが完成するという順番で、泥舟に乗ってドンブラコなツアーが体験できる。

ほとんどの人は、一人で仕事をしているわけではなく、複数人の運命共同体の一員として、仕事に取り組んでいることだろう。 場合によってはギリギリのところで維持されているような運命共同体な組織のはずなのに、コミュニケーションのギャップ、ムダな仕事、バカでジャマなヤツには、必ずと言っていいほどたくさん遭遇するだろう。 もしも、そうでなければ、運命に感謝してもいい。

さらに、ソフトの開発の場合、作っているものの性質上、バグや仕様変更といった、独特でいろいろと困難な問題が発生する。 そもそも、他人の書いたプログラムは読みにくいことがあるので、そういうのを直す羽目に陥ったら最悪だ。 おまけにゲームの場合は、実際に完成したけど、さっぱりおもしろくなかったという可能性だってある。 うまくいかないときのゲーム開発の悲惨さは、想像してあまりがある。 本書には、そんなうまくいかない話がいっぱいだ。

ついで言えば、この本に載っている多くの事例は、不幸にして他の仕事の場合でも結構発生することが・・・。

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2004.06.17

エスプガルーダ

2003年の暮れからアーケードで稼働しているシューティング・ゲームの「エスプガルーダ」PlayStation2版を買う。

このゲームは、なんとなく、プレイ感覚としては「雷電」を思い出させるが、「雷電」よりは画面が派手な感じ。 ストーリーの設定としては、錬金術の発達した世界で、人間と聖霊を融合した超人類ガルーダを誕生させ、その力で世界を征服しようとした王がいたが、開発者が誕生したガルーダを伴って逃亡。 やがて成長したガルーダたちの前に、魔の手が迫る・・・というもの。 仮面ライダーのファンタジー版といったところか。 ガルーダはアゲハとタテハの男女1人ずつだが、ある程度の時間の間、覚聖状態になることができる。 覚聖状態では、いろいろと能力が上昇するだけでなく、性別が転換する。

アーケードではあまりプレイしていなかったが、早速ゲームをやってみたところ、結構難しかった。 ゲームの閾を下げるために、敵弾はかなり大きくはっきり表示されたり、最初の方では難易度が低かったりする。 また、システムも単純なものが採用されている。 でも、最近のシューティング・ゲームの流行で、画面が派手。 それはつまり敵や敵弾の数が非常に多いということで、なかなか必要な情報を見極めるのが大変。

ところで、このゲーム・ソフト、なんと上級者のプレイを収録したDVDが同梱されている。 シューティング・ゲームの上級者のプレイというのは、神業でも見るが如きものなのだが、それが最初から同梱されているというのもすごい話。 上級者の高みには、到底到達できないとは思うけれど、こういう特典はありがたいです。

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2004.06.16

ブルームス・ディ

「ジョイスを読む」の回でも取り上げたが、今日、6月16日は、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の主人公にちなんで、ブルームス・ディと呼ばれている。 特に、『ユリシーズ』は1904年6月16日の出来事を描いた長編小説で、今年はその100周年に当たる。

というわけで、ジェイムズ・ジョイス著、柳瀬尚紀訳、『ユリシーズ 1-3』、河出書房新社、1997年を読み始めた。 『ユリシーズ』は、朝っぱらから、主人公の一人のスティーヴン・デッダラス(『若き芸術家の肖像』でも主人公)がうじうじとしつつ、悪友たちにうだうだとからまれるというのが、出だしだったりする。 当時のアイルランドを取り巻く、宗教と政治的情勢がもたらしている閉塞感もいきなり全開な感じ。

ところで、『ユリシーズ』は18章から成り立っているが、柳瀬尚紀の訳は、1〜3章、4〜6章、12章の3冊だけが出ている。 と言っても、後に行くにつれて1章当たりの分量が増えるので、1/3程度翻訳が終わっているわけではない。 そして、非常に長い小説だ。 たとえば、集英社から出ている丸谷才一らの新訳だと、ハードカバー版で、600〜750ページ程度のものが3冊にもなる。

雰囲気としては、柳瀬訳の方ががらが悪く、丸谷ら訳の方が普通の文章っぽい感じ。 この辺は好みが分かれるところかも。 随分、印象が違うので、興味がある人は読み比べてみるとおもしろいと思う。

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2004.06.15

ココログの障害

「お知らせココログ」によると「6/13(日)23:30より深夜時間帯にログインや記事の投稿ができない状態が発生しております。」とのこと。

確かに、昨日は、まさにその時間帯に投稿に挑戦して、何度もProxy Errorという画面を見る羽目になったのだった。

毎日1件ずつ投稿するスタイルを取っている人の場合、投稿は日の変わり目に集中する傾向が想像される。 これは、別に自前でCGIをインストールしてウェブログのシステムを使っている場合には、同じホストで同じシステムを使っている人がそんなにいるわけがないので、一カ所に集中して負荷が高くなるということはないだろう。 でも、ホスティングで専用にサービスを行おうとする場合には、深刻な問題になり得る。 個人的には、昔、Intel Pentium III 500MHzにOpenBSDをインストールしたマシンに、MovableTypeをインストールして使っていたことがあるが、特にサイトの再構築などを行おうとすると、非常に負荷が高くなったことが記憶に鮮明に残っている。

なお、ココログでは、システムのチューニングやハードの増設などを行う予定とのことで期待してます。 他にも、TrackBackが送りきれないことがあったり、送れたのにTrackBackの入力欄に残っていたり、ページの閲覧時にアクセス解析用のサーバへの送信の待ち時間が発生したりするなどの現象もときたまあって、これも治るといいなあ。 がんばってください。

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2004.06.14

〈美少女〉の現代史と空の境界

昨日、『空の境界』を読み終えて、それ以来、恋愛物語としての『空の境界』を考えていた。

殺人衝動を秘めた少女である式(しき)は、ほとんど感情移入を拒絶したキャラクターだが、クライマックス付近で、その構造が崩れ、突然、物語は甘い香を放つようになる。 それを見守る立場である黒桐(こくとう)幹也は、とても「いいひと」でありながら、超越した何かを持っている。 この男女関係には、『高機動幻想ガンパレードマーチ』の芝村舞と速水厚志のそれがだぶって見えた。 このような強烈だが奥手の少女キャラクターを描いた作品は、いくつか思い浮かぶ。

ササキバラ・ゴウが『〈美少女〉の現代史』で描いた輪郭をなぞれば、こういった少女キャラクターのかわいらしさを作り出しているのは、対になっている男性キャラクターの視線だ。 そこに奥手なかわいらしさを見いだすものがいなければ、その少女キャラクターは強烈なだけで終わってしまう。 また、極端に「いいひと」である男性キャラクターたちは、究極に少女キャラクターを傷つけない(実際には傷ついて、それが転機になる)ための癒しのキャラクターなのかもしれない。

そんなことをしばらく考えていた。 そう、考えていた・・・。

そして、ふと見回して見れば、物語だけではなく、現実自体も実はササキバラ・ゴウの描いてみせた構造になっているのかもしれないと・・・。

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2004.06.13

空の境界 下

那須きのこ著、『空(から)の境界 下』、講談社ノベルス、2004年を読む。

昨日『空の境界 上』を読み始めて、『空の境界 下』までを一気に読んだ。 読んだ感触は非常に満足。

舞台は現代。 背景として、魔術を操る技術を持っている人々が隠れて存在している。 そして、なにか存在の根源のようなものがあり、それと魔術は深く関係を持っているという設定。 主人公は、黒桐(こくとう)幹也という「いいひと」と、魔術的な目的を持って維持されてきた両儀家が生み出した殺人衝動を秘めた式(しき)という少女。 連続殺人事件事件の後に昏睡し、2年間の眠りから覚めた式には、さまざまなモノを殺すことができる線が見えるようになっていた。 それで、この2人の前に、根源につながる式の性質を狙った魔術的な事件が次々と起こるというのが、『空の境界』のストーリー。

この物語が描いているのは、「特別」だ。 誰もがどこかしら持っているいろいろな「特別」さへの憧れ。 その「特別」を描くことで、逆に「普通」で「当たり前」といったものを照らし出してみせる。

そういえば、『少女革命ウテナ』という作品があった。 この作品では、決闘に勝ちつづけることで、天空の城にあるという、世界を革命するディオスの力が手に入るという設定があった。 登場人物たちは、失ってしまったもの、あるいは決して手に入らないものを手に入れるため、心に痛みを抱いて、世界を革命する力を求めて決闘する。 しかし、主人公であるウテナだけは、世界を革命する力を求めていない。 世界を革命する力を必要としないのに、あるいは求めないからこそ、決闘に勝ち残ってしまう。

そんな「特別」の力を、根源に触れる魔術として描き、オカルトであり、アクションであり、謎解きであり、ラブ・ストーリーとして成立させたのが、『空の境界』だった。

いや、読めてよかったです。

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2004.06.12

空の境界 上

那須きのこ著、『空(から)の境界 上』、講談社ノベルス、2004年を読んでいる。

本書は、同人誌を単行本化したものということだが、その量、質とともにびっくり。 ちょっと、最初の方が読みにくい感があるが、途中からぐいぐい引っ張られていく。 作品としてはたぶん超人類ものだと思うが、読み切るまでは何とも言えないところ。 作品のつくりとしては、上遠野浩平の〈ブギーポップ〉シリーズを思い出させる。

はやく続きが読みたいのでこの辺で。

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2004.06.11

あなたの作りたいもの

CGを作成する会社に入社したいという人の作ったCGを拝見する。

3D CGソフトは、一頃に比べれば容易に手に入るようになったし、コンピュータの能力も上がって、その気があれば、誰でも一応3D CGを作成することができるようになった。 もちろん、3D CGの作成は、結構面倒な作業で、3次元の座標を2次元の入力デバイスで指定して形を作り、表面材質を指定し、光源を設定し、カメラを設置して、レンダリングするというたくさんのステップが必要になる。 だから、細かいところまで作り込んだCGを見ると、うわあ、根気あるなあと思う。

そう、今回見たのは、根気「は」あるなあという作品だった。 でも、どう見ても習作で、大変な割には、「何をしたいのか」がよくわからない作品だった。 どうしても、CGのソフトの入門書の作例のような印象を受けてしまう。

わたしはもちろんクリエイターではないし、CGを制作するような会社の社員でもない。 それでも、敢えて自分が採用する立場だったら採るかという視点で見てみると、なんか「いつかこいつはでかいことをしそうだ」という感触が作品から得られず、どうにも微妙な気分に。

「何をどうしていいのか」というところで立ち止まっているばかりで、いつまでも就職しない人が多いこの頃、とにもかくにも挑戦しようという気持ちは大いに買いたい。 問題は、就職に至るまでの、適切な方向への大きな努力と、対象とする職に対する現実感覚か。 元手がなさすぎる状態では、レアなチャンスがあっても、ゲットすることはできないし、ゲットできたとしても後で使い物にならないだろう。 いやあ、がんばって欲しいんだけど。

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2004.06.10

スペシャリストの帽子

ケリー・リンク著、金子ゆき子、佐田千織訳、『スペシャリストの帽子』、ハヤカワ文庫FT、2004年を読む。

この本は、突き抜けたファンタジーを刊行している〈プラチナ・ファンタジイ〉シリーズの一冊・・・、なのだが、ちょっと突き抜け過ぎな感じも。 この本は短篇集で、収録されているお話は、どれも現代小説なファンタジーだ。 また、読んでいて、とても幻惑される。 でも、なんでこういう表現になっているのかがわからない。 非常にシニカルな表現に充ちているのだが、何をシニカルに表現したいのかが見えないのだ。

うーん、たぶん、作家との相性が悪かったのだろうなあ。

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2004.06.09

DVD作り

今さらながら、MacでDVDを作成してみる。

これまでは、DTPものが多く、映像やサウンドはほとんどいじったことがなかった。 3D CGソフトで作成したムービーと音楽素材を組み合わせて、iMovieで編集してみたところ、あまりにお手軽なので驚く。 もっとも、お仕着せの範囲内であればのことだが。

素材さえ、そろっていれば、短時間でDVDが作成できてしまうのにはびっくり。 もっとも、それとはあまりに対照的に、容量の大きいムービーのコピーや、エンコードなどに無茶苦茶時間がかかる。 今、ちょうど、背後でエンコード中だったりする。 ありがとう、マルチタスクOSといったところか。 はじめての映像素材作りだったが、この世界の大変な部分の一部がおぼろげに見えたような気になった。 錯覚かもしれないけれど。

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2004.06.08

韃靼タイフーン 1

安彦良和著、『韃靼(だったん)タイフーン volume:1』、メディアファクトリー MF文庫、2004年を読む。

これは、MFコミックスから出ていた作品を、文庫化したものだ。 わたしは、MFコミックスの方を持っていないので、今回購入した。 なお、MFコミックス版の方は4巻で完結している。

お話は、函館を舞台にした派手なドンパチの冒険活劇もの。 舞台は現代だがロマノフ王朝やアラハバキといったミステリアスな設定があったり、ロシアと日本との艦隊戦があったり、なかなかおもしろい。 こんなことなら、MFコミックス版で読んでおけばと後悔。 続刊に期待。

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2004.06.07

PowerMac G4 Cube最終形態(?)

「PowerMac G4 Cube と 20 inch Cinema Display」「その後のPowerMac G4 Cube」で取り上げた、PowerMac G4 Cubeの後日談。

たぶん、増強はこれで終わりだと思うが、現在の状況は以下のような感じ。

  • CPU: PowerPC G4 1.2GHz
    SonnetのCRESCENDO/ST G4シリーズのSG4-1200-2MとCubeディーラーインストールキットSGC-KIT使用
  • メモリ: 1.12GB
    512MB×2個と128MB×1個
  • グラフィックカード: nVIDIA GeForce2 MX 32MB ADC端子付き
  • HDD: 120GB

これに20 inch のCinema Displayを繋いでいる。 一応、ファン(Cubeディーラーインストールキットに付属)を内蔵しているが、本体、そして電源の熱には注意が必要そうな雰囲気。

なお、この増強では、いろいろ試行錯誤する羽目になった。 次のような理由から、個人的には慣れていない人には向かないと思う。

  • 機器、ファームウェア、OS、インストール・プログラム間の相性
  • 分解して組み立てたりする際の難易度

そもそも、このような作業はメーカーの保証の対象外だし、作業を行う人は、その人自身の責任で行うことになる。 失敗したり、故障しても、それは行った人自身の責任になる。

個人的なメモとして、作業記録を記しておこう。

グラフィックカード交換編

  • GeForce2 MXに交換(カードの選択に注意が必要、また交換には技術が必要)
  • Mac OS Xの起動を確認
  • 20inchのCinema Displayを接続して表示を確認

HDD交換編

  • HDDを120GBに交換(難しい作業を含む)
  • Mac OS Xのインストールと起動を確認

CPU交換メモリ増設編

  • 20inchのCinema Displayをはずして、OS9で表示可能なディスプレイを接続し、表示を確認
  • Mac OS 9インストールと起動の確認
  • ソフトウェアアップデートにより、ファームウェア等をアップデート
  • CPU交換(難しく、リスキーな作業が多数)
  • Mac OS 9起動の確認
  • Mac OS Xのインストールと起動の確認
  • メモリの交換と増設
  • Mac OS Xの起動の確認
  • 20inchのCinema Displayを接続して表示を確認

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2004.06.06

神前結婚式

都内の神社での、神前結婚式に参加する。

気温は高く、日差しも強く、更に夏用の礼服ではなかったので気が遠くなっていた。 しかし、境内は木陰が多く、長時間外にいても暑くなかったので救われた。

結婚式というと、ファッションの面から教会で挙げるパターンが多かったので、神社は今回がはじめて。 儀式も噂には聞いたことがあっても、実際に生で見るのははじめてのものばかり。 宮司さんや巫女さんも素敵だった。

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2004.06.05

ホームオブハートで保護された児童

4月7日に、ホームオブハートとトシオフィスで児童5人が一時保護され、全部で6名が調査対象となった。 それで、結局、「不適切な養育環境」ということで、2人の幼児が乳児院へ入所し、4人の児童の保護者が指導措置となったという。 4人の児童は、ホームオブハートやトシオフィスとは違うところで親子で生活するということらしい。

参考: 紀藤正樹弁護士の「ホームオブハートとToshi問題を考える」2004年6月3日、HOHとToshi問題を考える会の「HTP最新情報」2004年6月4日

しかし、そもそも、子どもを段ボールに閉じ込めて育てていたり、学校に行かせなかったりしたのは、何故なのか。 紀藤弁護士の「虐待赤ちゃんの現実」2004年4月12日には、実に衝撃的な絵とともに、MASAYAの思想に沿って、「エゴ社会に触れないように」と、食事、入浴、着替えなど以外は段ボールに閉じ込めて育てていたという話が紹介されている。 また、HOHとToshi問題を考える会のMASAYAの言葉には、そのような思想の片鱗と、学校に対する批判が見られる。 そもそも、これらは、自己啓発セミナーの思想にもつながる内容だ。

自己啓発セミナーでは、人間はもともと光り輝くダイヤモンドのような本質を持っていると考える。 しかし、生きてきた過程で経験により習得した、観念や思い込みがゴミや殻のようにダイヤにくっついて覆ってしまい、台無しにしてしまっていると主張する。 そして、セミナーのトレーニングでは、それらの殻を取り除き、本来の輝きや可能性を取り戻すのだというのだ。

これが自己啓発セミナーの思想だ。 ここから、「それならそもそもゴミや殻がつかないようにして子どもを育てればいいじゃないか」というところまでの論理的な距離はほんの僅かだ(し、自己啓発セミナー云々に限らず、現代に対する批判を同様に持った団体がコミューンを作って、そこで子どもを独自に育てるなんて方向に行っちゃった例もいくつかある)。 もちろん、別れ道となるのは、そこから実際にどうするかの部分だ。 そうやって育てようとするかしないか、そしてその実際の方法がホームオブハートのように実装されてしまうかどうかで、問題の度合いは全く異なってくる。 しかし、元の根っこの部分をおさえておかないと、そういう育て方をした親を指導するのに、根本的な部分で適切に機能しないかもしれない。

是非とも栃木県や児童相談所には、きっちり調査や指導を行って欲しいところ。

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2004.06.04

死海文書

買って寝かせてしまっていた、高橋正男著、『死海文書 -- 甦る古代ユダヤ教』、講談社選書メチエ、1998年を読む。 先日、グレアム・ジョイスの『鎮魂歌』を取り上げたが、かなり死海文書に関する記述がいい加減だったので、ふと、本書を本棚から取り出して読んだ次第。

ところで、最近、出版された土岐健治著、『はじめての死海写本』、講談社現代新書、2003年は、はっきり言って一般読者向けではなかった。 ある程度、聖書に関する基本的な教養がないと理解できない本だったと思う。 一方、1998年に出版された本書は、それなりに普通の人でも読むことができる本だった。

死海文書の記されたとおぼしき時代の、ユダヤを取り巻く状況が歴史をおって、かなり詳しく書かれているところが本書の特徴だと思う。 それから、学者によって意見の異なるところは、その旨紹介されている。 また、1998年に出版されたということもあり、先に出ていた『死海文書の謎』、『イエスのミステリー』という2冊のトンデモ本のこともあり、それに対するコメントもある。

あと、本書のポイントは、死海文書の中で一番長い「神殿の巻物」の翻訳が付いていることだろう。 この最長の巻物は、発見された後、靴箱に入れられ、床下に隠され、少しでも高く売れる相手を探して7年が経過し、その間に腐ったり、虫に食われてしまったという不幸な経緯を持つ(世の中に現れるまでの経緯も、まるで小説のようにドラマチックだったりする)。

「神殿の巻物」には、神殿の仕様、儀式の行い方、ケガレに関する決まり、性や信仰や戦いに関する決まりなど、多岐渡る事柄が記述されている(ので、「神殿の巻物」と称するのは必ずしも適切ではないという人もいる)。 死海文書を遺した人たちは、今のわたしたちの基準からすると、ものによっては差別的な事柄も含む、一種独特なケガレに関する思想を持っていた。 そして、そのケガレにどう対処するかということに関して、こまごまとした面倒な決まりがあったりして、興味深い。

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2004.06.03

GISデータ

国土交通省のGISホームページからは、いろいろな地理情報がダウンロードできる。

これとネット上の地図を相互参照してみているが、結構おもしろい。 必ずしも、国土交通省のデータは最新のものではなかったりするので、建物の変遷などもうかがうことができる。 重ねてみたりしても、微妙に異なっているところもあったりしてなかなか興味深いものがある。

コンピュータで地図を描こうとするときに、こういうふうに座標データがあるとかなり楽になる。 地図ソフトなどには入っていないようなデータも用意されていたりするので、いろいろ活用できそうな気配。 後は、優秀なビューアーがあれば言うことがないんだけど。

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2004.06.02

MASAYAの真実

名誉毀損損害賠償請求訴訟が行われているホームオブハートだが、1996年のMASAYAの特別セミナーでのトークの内容が、紀藤正樹弁護士のページにアップされている。 これは、2000年までに、人類進化が起き、90%の人類が死滅するなどといった、すごい内容。 それで、それに備えてトレーニングをと・・・。

そういえば、1988年に出版された森瑶子の近未来SF小説『アイランド』には、星良雅也なる、MASAYAをモデルにしたと思われる人物が出てくる。 既にこの中でも、星良雅也の口から、ノストラダムスの百詩篇5:53(通称: 「メシーの法」)や、小惑星ファエトンの地球衝突などの、カタストロフやハルマゲドンを彷彿とさせる話が語られている。

そして、この小説では、救済は「ミラクル・ウォーター」なる水によりもたらされる。 この一方で、アイランド、ホームオブハートと「水」を商品として取り上げ続けてきたことは印象的だ。

1988年に出版されたこの小説は、2003年という近未来を舞台にしていたが、現実はそれを追い越してしまった。 小説と現実を見比べたら、今、何を感じるだろうか。

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2004.06.01

もう6月ですか

6月になって、みんな急に予定を思い出したように、次々とミーティングと〆切がやってくる。 だいたいミーティングは、進捗状況を確認して、梃入れをするためのものだったりするので、次には仕事の山が発生する。

でも、今まで別にさぼっていたわけでもない場合、梃入れしようがなかったりして、気が遠くなってくる。 梃入れをするためには、今まで取り組んでいたことを整理して、何かをやめないと無理だったりする。

というわけで、あまり重要でない内容のミーティングや、二度手間になるような段取りはやめてくださいと、ぼやいてみたりする。

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