精神道入門
小栗左多里著、『こんな私も修行したい! 精神道入門』、幻冬舎、2004年を読む。
本書は、マンガ家の小栗左多里による、修行の体験漫画+エッセイだ。 紹介されているのは、メディテーション、写経、座禅、滝行、断食、お遍路、内観など。
これらの「修行」は、商業化・レジャー化されており、「ちょっとした入門」講座が、お寺などによって開かれていたり、精神世界系の人によって開催されていたりする。 著者が出かけていったところも、そんな感じのものが多く、一部のものを除けば、敷居は低めに設定されていたり、俗っぽいところがあったりする。 このような外部からのお客さんを受け入れることに積極的な、ある意味、経営に意欲的なお寺に行ったお話では、モダンでお金のかかっていそうな建物を見て、檀家の負担は大丈夫か?と著者が考えるシーンが何度か出てきたりしている。 一方で、精神世界系の人がやっているものに行った話では、プチ・グル化しているような雰囲気があったりして、どことなく神秘的というよりはうさんくさい感じも。
もっとも、このような傾向は、主催者の側だけではなく、参加者の側の要望との二人三脚で生み出されてきたものだろう。 参加者の側も、そもそも悟りとか、解脱とかについて、それほどシリアスではなく、むしろ、なんとなく平常心や心の平安が得られたらいいなあとか、なんか神秘的なことに出会いたいなあとか、心が変化するような見たことがないようなアトラクションを体験したいなあとか、そういう感じであることが想像される。 どうせなら、こぎれいな場所で修行したかったり、ありがたいお話を聞いてみたり、なんかこの世には不思議なことがあって、そういうものが自分にラッキーな何かをもたらしてくれるという願望を強化して欲しかったりするのだろう。
さて、話を戻して。 本書の場合、とにかくいろいろやってみた結果、修行の意味、修行者の現実、雑念や幸せとは何かといった根本的な問題に回帰した。 また、最後まで読んで、改めて最初から読み直すと、「修行」を行うにあたって、しばしばつらいのはいやだとか、少しでも心地よくしようとか、そもそも「何のために」修行しに来ているのかと思わずにはいられなくなるシーンが続出することにも改めて驚く。 これらは、修行にまつわる、なにがしかの真実の断片のような気がしてならない。
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