日本の偽書
藤原明著、『日本の偽書』、文春新書、2004年を読む。
本書は、古史古伝ともいわれる種類の、偽書の成立とその受容のされかたを論じた本。 偽書を論じようとすると、擁護でも批判でも、そもそも証拠を集めるのが非常に大変で、本書はできるだけクリアに論じようとしているのが伝わってくるが、それでも話が込み入って歯切れが悪くなっている感がある。 なお、メインに取り上げられるのは、『上記(うえつふみ)』、『竹内文献』、『東日流(つがる)外(そと)三郡誌(さんぐんし)』、『秀真(ほつま)伝(つたえ)』、『先代(せんだい)旧事(くじ)本紀(ほんぎ)』、『先代(せんだい)旧事(くじ)本紀(ほんぎ)大成経(たいせいきょう)』など。 本書では「仮に内容が真実であったとしても、作者名を偽った書物のこと」を偽書と仮に定義して論じている。
偽書が残るには、ある程度の支持者が不可欠であり、その支持者にウケる要素が必要だ。 それは、支持者の夢をふくらませてくれるものだったり、プライドを支えてくれるものだったり、行動指針や思想に正当性を与えてくれるものだったりする。 支持者のコミュニティ・グループ全体の価値を高め、賛同者をより集めるという要素も必要だろう。
そういう意味では、非常に宗教に近いと思う。 というか、「作者名を偽ったもの」という本書の定義を採用すれば、エスタブリッシュメントから新宗教まで、経典として正統とされ、多くの人が読んでいるものの中にだって偽書がいっぱいある。 内容が荒唐無稽であるところも共通だ。 そういえば、佐藤弘夫著、『偽書の精神史 -- 神仏・異界と交感する中世』、講談社選書メチエ、2002年は、日本中世に、鎌倉仏教が生み出した偽書を論じていた。
ふと、本棚を見ると、「歴史読本スペシャル 1990年5月特別増刊号30〈マンガ〉禁断の古代史書「古史古伝」」という本が眼にはいった。 これは、古史古伝の内容をマンガにして紹介したもの。 もちろん、古史古伝の肯定で描かれているんだけれど、マンガで読んでみると、できの悪い古代SFものとしかいいようがないものになってしまうところが・・・。 最後についている古史古伝のトピックス紹介の文も、今読んでみると、エコロジーだ、DNAに刻印だ、覚醒のサインを送信だ、力の場だ、物質至上主義の西洋文明だ、霊性だと、精神世界系のノリ。 その中の一文、「彼ら[註・海の向こうから来た侵略者]は平和(ピース)で簡素(ナチュラル)で謝恩(スピリチュアル)な生活をおくっていた[日本の]先住民たちを傲岸不遜にも支配していった。」という、ルビの振り方ははじめてみた。
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