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2004.09.30

Comic新現実 vol.1

「Comic新現実 vol.1」、角川書店、2004年を買う。

「Comic新現実」の1巻の特集は、かがみあきら。 あの20年前の夏の日に逝ってしまったマンガ家だ。

わたしは、残暑の頃、かがみあきらの急逝を告げる「アニメック」の記事を見た。 そして、一瞬、それが完全に冗談だと思い込んでしまったくらい、それは信じられないことだった。 それほど突然で、現実感のない出来事だった。

本特集は、かがみあきらが到達したかもしれない、あの頃、時代を創っていったものたちが目指していた高みというものを、繰り返し訴えている。 実際に、その可能性が確かめられることはなかったのだが。

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2004.09.29

フィラメント

漆原友紀著、『フィラメント -- 漆原友紀作品集』、講談社 アフタヌーンKC、2004年を読む。

これは、『蟲師』で有名な漆原友紀の主に初期の作品をおさめた短篇集。 中では、自殺の名所の直前のバス停のところにあるお店の話を書いた「岬でバスを降りたひと」が、個人的には作品としてはよかったと感じたが、これは最近月刊「アフタヌーン」に掲載された作品。 その他のほとんどの初期の作品は、90年代の初期から中期に「ファンロード」に掲載されたものだ。 これは、今で言うところの「スロー」なもの、そして懐かしいあの日への憧憬や、子どもと大人の世界の間にあるものを、描法が完成される前のやさしいタッチで幻想的に描いている。

たぶん、表紙を見て気に入ったら、作品も楽しめると思う。

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2004.09.28

基本はかんたんレイアウト

内田広由紀著、『基本はかんたんレイアウト』、視覚デザイン研究所、2004年を買う。

本書は、レイアウトの入門書。 大きくU(=ユースフル)C(=カジュアル)S(=スピリチュアル)の3種類の雰囲気を作るためには、レイアウト様式、情報量、静動性(画像の中身の配列、輪郭)、図文率、ジャンプ率(タイトルと本文の文字サイズの比率)などの要素を、どういうふうに組み合わせると効果的かを説明している。

なんか、こんな雰囲気で画面を構成したいのだけれど、どうも実際にレイアウトすると違うような気がするとか、迷う人には結構いいかも。

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2004.09.27

パネルの制作

展示を行うためにパネルを制作する。

パネルを制作するには意外とお金がかかる。 広告会社に頼んでパネルを作成してもらうと、かなりな金額になるので、版下作業を自分でやることにして、出力とパネル貼りのみを発注することにした。

印刷会社に問い合わせたところ、B0程度で3万円近くになってしまうことが判明。 ネットで検索してみたところ、およそ半額くらいで受け付けてくれるところがいくつか見つかったので、そちらにすることにした。

サイズは結局A1で作ることにして、Illustratorで実物大で作成することにした。 えっちらおっちら、原稿を書きながら、画像などを用意。 CMYKモードに変換して、配置して、フォントのアウトラインをとって、効果をかけたり、色を指定したりして、あっという間に時間と体力を使い果たす。

印刷系の業界の場合、結構、古い環境がそのまま使われていて、データを渡すのに古いバージョンのソフトを要求されることがある。 たとえば、Illustratorは現在CS(=ver.11相当)だが、ver.9でとか、効果はver.7までの範囲の機能でとか、そういう話がよくある。 DTP系の雑誌では、MacOS XでInDesign CSやQuarkXPress6を使ったり、Acrobat 6でPDF/X1aでカラーマネージメントして、CTPとかいう記事が結構前から賑わっているのだが、いざ入稿しようとするとなかなかそういうわけでもなかったりする。 こうなると、巨大な紙に印刷できるEPSONのMAXARTシリーズが欲しくなるところだが、A1サイズで20万代後半、B0サイズだと50万代後半以上になってしまって、ちょっと手が出ない。

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2004.09.26

僕たちの嫌いなガンダム

「ウラBUBKA」2004年11月号、コアマガジン社を買う。 今回は、総力特集「僕たちの嫌いなガンダム」で、雑誌の約半分のページがこの特集に費やされている。

記事は、雑誌のカラーに沿って、ゴシップ的なものが多い(ので、そういうのが嫌な人はやめておいた方が無難)が、結構、読み応えのある内容。 なかなか笑えたのが、1st、Z、ZZ、逆襲のシャアの恋愛関係を中心とした人物相関図。 こうして見ると、ものすごい人間関係だったのがよくわかる。

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2004.09.25

休息

ハードなイベントが終わった後も、しばらくの間、気持ちのたかぶりがとれず、眠れなかったり、感情が極端な方向に走ったり、体のコントロールがおかしかったりした。 やっと、そろそろ感覚が戻り、普通に眠れるようになってきた。

今日は、疲れが出て、食事をした以外は、ほぼまる一日眠ってしまった。 体はだるく、呼吸も深くできないことに気づいた。 こういうことがあると、極端な催しへの参加というものが、結構、体や精神状態に大きく作用することを改めて実感する。

議論したりすることやその内容が、仕事の一部として結構な重みを持つことが増えつつある。 自省してみると、議論における発言や、発想、思考や嗜好には、かなり精神状態というものが大きく寄与するし、仕事の能率にも大きく関係する。

自分の発言や行動の正当性というのは、結構、この世の中では重要なことだけれども、そもそも、それがどれだけ自分の精神状態や議論の際の集団の構成員などといった、バックグラウンドに左右されてしまうものなのかを考えると、とても微妙な気分になってくる。 調子がよくないときに見たものは、かなり評価や判断が変化するだろうし、発言内容も適切ではない可能性があるだろう。

いやあ、注意したいものだ。

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2004.09.24

アクセスログ解析の教科書

石井研二著、『アクセスログ解析の教科書 -- 儲かるサイトにするためのWebマーケティング入門』、翔泳社、2004年を買う。

Webサイトのアクセスログの解析は、Webサイトを改良するのにとても参考になる。

たとえば、状態が404のものをチェックすれば、サイト内でリンク先のURLを書き間違えているものを発見するのも簡単だ。 同一人物によるものと思われる連続したアクセスを辿れば、Webサイトの読者がどのような情報を求めてサイトを訪れ、どのように誘導されたかを推測することができる。 これを、うまく活用すれば、ユーザに適切なものをわかりやすく提示することができるようになる可能性がある。 検索エンジンを経由したアクセスは、リファラーを解析することで、どんな単語をサーチして飛んできたのかがわかる。 これをたとえばSEO的な知識と組み合わせれば、マーケティング的に有利な展開をしやすくすることができる可能性がある。 また、その他にもリファラーは、自分のサイトのコンテンツが、どこからリンクされているのかを示すので、リンク元を調べに行けば、どのようにリンクされているのかを知ることもできる。

本書は、マーケティング的な観点を主眼として、アクセスログの読み方と活用方法を紹介した本だ。 アクセスログを解析ソフトで解析する方法を紹介するのではなく、どうユーザがナビゲーションされているかを調べて、それをもとにサイトを改良する方法がメインに書かれている。

普通、この手の本は、アクセスログの解析というよりは、統計解析をするフリーソフトであるAnalogWebalizerのインストールや使い方を紹介しているものが多い。 ところが、本書では、アクセスログの解析ソフトの紹介は、巻末におかれ、しかもそのほとんどは商品として売られているものであり、高価ものが多いといった点も特徴的だ。

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2004.09.23

エマージング 1

外薗昌也著、『エマージング (1)』、講談社 モーニングKC、2004年を読む。

これは、日本における新型ウイルスの感染症の出現を描いた作品。 主人公は医者だが、どのように感染し、どのように治療できるのかもわからない病気を前に、自分の身の安全さえ確保できない。 大事な知人まで発病してしまい、もはやどのように対応していいのか検討している余地もなくなってしまうという、息詰まるお話。

どうなるのか全く先は見えない。 次巻に期待。

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2004.09.22

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

買ったけれど、読む時間がなかった本、J・K・ローリング著、松岡佑子訳、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、静山社、2004年を読む。

ハリー・ポッターは全部で7巻の予定で、その中で7年分の成長物語をやるということが決まっているという物語。 不幸な少年が、実は魔法界のスターで、すごいヤツだったという1巻。 そこからはじめて、友情や冒険や恋や成長を描いて、最後の7巻で年相応の青年を描こうとすると、どこかで物語の趣向を変える必要が出てくる。 その転機となり、スカっとする冒険小説の体裁を取っていた少年時代に終わりを告げたのが、この5巻目だった。

この巻では、プライドや猜疑心、形成されていく自我により、昨日までわかりあえていたと思っていた、親友だと思っていた人たちとのちょっとした会話さえ、何かのはずみでとげとげしく苦痛に満ちたものになるのが、延々と描かれる。 今まで抱いていた少年らしい理想の父親像さえ、あっけなく破壊される。 英雄的な活躍ではなく、行き違いや愚行が禍を呼ぶ。 ここまでやるのであれば、理不尽な権力支配や物語の決着を単純化して描くのは、バランスが悪いとさえ言えるかもしれない。

いずれにせよ、読んでいる側もかなりな苦痛が予想される物語。 読むときにはそのつもりで。

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2004.09.21

歯医者

虫歯の治療で歯医者に行く。

虫歯が痛んできたので歯医者に行った。 数年ほど行っていなかったので、ついでに一通り見てもらった。 すると、左右の同じ位置に虫歯が発見。 とりあえず、痛んでいるところを治療してもらう。 なんだかんだ言って、1時間近くかかって、体力がなくなって、ぐったり。

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2004.09.20

アフターダーク

買ったけれど、忙しくて読めなかった本を消化中。 というわけで、村上春樹著、『アフターダーク』、講談社、2004年を読む。

これは双子の姉妹の物語。 対照的な双子の姉妹の間の葛藤を描いた作品は多く、たとえば最近だとドラマ「彼女が死んじゃった。」(派手な姉と地味な妹で、姉が死んでしまう。妹の視点から描かれ、姉の恋人と冒険し、最後に姉に対して和解するという形式は、本作と通じるところがある)とかもそうだった。

なんというか、読んでみて、「出直す」、「やり直す」というモチーフと、それと対照的な「うまくいっている」ことの醜悪さが印象的だった。

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2004.09.19

あなたを護る反論術

萩谷雅和、栁澤崇仁、松江協子著、『あなたを護る反論術』、NHK出版 生活人新書、2004年を読む。

本書は、いろいろなトラブルの際に、どんな反論が可能かを、事例紹介した本。 議論の勝ち方を書いた本は結構出ているが、弁護士の方が書いていて、議論に勝つというよりは、処世術としての側面が大きいところが、本書の特徴。

そもそも議論や反論は何のためにするのか? それは物事を解決して、よりよい社会生活を手に入れるためだというのが、本書の基本的な姿勢だ。 筋を通すためだけの議論や、議論に勝つための議論ではなく、護るべきものを護ることを前提としながらも、必要以上に事を荒立てず、時には譲歩もし、トラブルを回避しつつ、社会的な慣習や構造と自分の信念や生活状況との折り合いを見つける。 ただ、どうしてもという場合や問題によっては、裁判や法的な争いも考えられ、その際にはどのようなことがポイントになるかということも、いくつかの事例においては紹介されている。

常識的な感覚に支えられた本だったと思う。

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2004.09.18

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 4

夢枕獏著、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ四』、徳間書店、2004年を読む。

とうとう、この巻で完結。

玄宗と楊貴妃に、アラビアの魔術師や李白や安倍仲麻呂や三蔵法師が絡まり、それが50年後の空海の入唐と帰還に深く関係していく様を描いたのが、この物語。 権力の渦巻く唐の政界で、さまざまなものが抱いた想い。 その一人一人の想いが、ちょっとずつ運命の舵を狂わせていく。 キーとなる人物の一人一人の、語りを通して、その全貌が語られていくのだが、これが非常に見事に構成されている。

少しずつ、そして最終的には大きく狂ってしまった運命は、かつて玄宗と楊貴妃が栄華の日々を送った華清宮で、50年後に空海が催した宴に集束する。 それが、本書のタイトル『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』。 この最終巻では、一人一人の物語のピースが大きな物語のパズルを完成させ、物語のクライマックスである、鬼との宴が描かれている。

非常に大きな物語だった。

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2004.09.17

脱力? 緊張?

何やら、どっと疲れる。

先日までのイベントによる昂った精神状態から、通常の精神状態に戻りつつある。 神経の反応が落ち着いてくると、どっと疲れが出てきた。 しかし、心はいろいろとやりたいことでいっぱい。

この乖離状態の度合いの大きさから、ストレスの多さを実感するのだった。 どれからやろうかと楽しめるだけの心の余裕を希望〜。

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2004.09.16

記憶鮮明

日渡早紀著、『記憶鮮明』、白泉社文庫、2004年を読む。

本書は、〈ぼくの地球を守って〉シリーズで有名な、日渡早紀の作品集。 〈記憶鮮明〉シリーズの作品が、「記憶鮮明」「そして彼女は両眼を塞ぐ」「CIBI-01のYA!YA!YA!」「偶然が残すもの -- 記憶鮮明II」「BIRTH -- 記憶鮮明III」の5編収録されている。 〈記憶鮮明〉シリーズとは、巻末の著者あとがきによれば、EPIAという超能力者の組織が関係する作品で、〈ぼくの地球を守って〉シリーズもこのシリーズに含まれるという。

本書に収録された作品は、昭和59年から平成11年までに発表されたもので、「偶然が残すもの」以前と以降では10年以上も描かれた時期が異なっている。 絵柄も作品の構成も、丁度この隔たった時期に大きく変化して独自の世界を切り開いたので、〈ぼくの地球を守って〉以降の作品になじんでいると、いわゆる当時の少女マンガの文法で描かれた初期の作品を見るとびっくりすると思う。

本書は、日渡早紀の軌跡が見える1冊だった。

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2004.09.15

矢追純一 UFO機密ファイル

矢追純一監修、『矢追純一 UFO機密ファイル』、竹書房 バンブー・コミックス、2004年を読む。

本書は、矢追純一の本をマンガ化したアンソロジー。 コンビニなどで最近見かける、紙質が週刊マンガ雑誌と似たようなコミックスだ。 収録されているマンガは全部書き下ろしらしい。 元になったのは以下の本だ。

これだけの本の内容が凝集されている(?)ので、結構、お得か?

なお、元の本の出版年を見るとわかるが、かなり古い本が多いので、ネタとしては微妙かもしれない。 内容は、不思議なUFOがらみの事件が起こって、宇宙人とコンタクトしたり、さらわれたり、逆行催眠で思い出したりという典型的なネタ。 個人的には、「メキシコでは住民の80%がUFOを目撃している」というネタが大爆笑。 すごすぎ。

ところで、マンガは8本収録されているが、一部を除いて、それぞれ別な漫画家さんが描いている。 矢追純一の風体が全部違うので、章が変わる度に、どれが矢追純一なのかを見分けるのが、なかなかショッキングな体験。

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2004.09.14

あるイベントの風景

とある非常に大きな規模のイベントの舞台裏は・・・。

陰謀論の市民運動家、すべてを説明してしまう理論を作ったと主張するエラい人、参加者に回覧せよとマフィアの陰謀を訴える文書を送りつけてくる人、野望を達成するためにエラい人とお近づきになろうと画策する人、etc. ・・・。

えーと、これって何のイベントでしたっけ? ぐったり。

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2004.09.13

現代アメリカの陰謀論

マイケル・バーカン著、林和彦訳、『現代アメリカの陰謀論 -- 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』、三交社、2004年を読む。

本書は、原題が"A Culture of Conspiracy -- Apocalyptic Visions in Contemporary America"で、原書は2003年に出版されているという非常に新しい本。 9.11の話題までフォローされた最新情報満載の、陰謀論の文化を論じた本だ。 なお、本書で繰り返し取り上げられている爬虫類人の話は、まぎれもなく本書を出版した三交社から出ているし、訳者の林和彦氏自身も陰謀論者のマイケル・ベイジェントの本を訳したりもしているというところが、なんとも興味深い。

陰謀論というのは、結果的に反証不能だ。 なんでもかんでも勝手に、政府や異星人や秘密結社や左翼や右翼やカルト団体や・・・以下なんでも自分の嫌いな団体が、謀略を巡らしており、秘密の意図のもとに秘密の技術を用いて秘密の活動を行っていると主張する。 そして、大衆はだまされているが、自分とその少数の支持者だけは、その真実に気づいているという。 仮にこの主張が覆されても、その覆されたこと自体が、陰謀の証拠だとさえ主張する。 悪の敵対勢力はあまりに強敵で、そんな巨悪と正義のために闘うという、実にスリリングな日々が主張者と賛同者を待っている。

本書は、そんな陰謀論の世界を詳しく紹介している。 聖書の記述を強く信じ、キリストの再臨が本当に近いと考える人たちがいて、そういう人たちにとっては、今、まさに新世界秩序という黙示録的世界が展開しているように思える。 すると、世界は正義と悪の二大勢力の戦いが繰り広げられているはずだが、それは見えないところで途方もないスケールで行われているというのが、陰謀論の背景の一つ。 そこから、ユダヤやフリーメイソンの陰謀→機械を埋め込むタイプのマインドコントロール技術の実用化→異星人との密約といった、トンデモ陰謀論への展開は非常に素直だ。 そして、それは、本来非常に仲が悪いはずの、神智学の流れを汲んだオカルト文化、そしてそれを引き継ぐニューエイジ・精神世界的な文化とも徹底的に交じりあっていく。

本書を読むと、「ムー」などのオカルト雑誌(=「隠された知識」を紹介するという形式を持つ)の文化は、そもそも陰謀論と極めて密接に絡んでおり、不可分であることがよくわかる。 たとえば、「誰も知らなかった秘密」の記事が載らない「ムー」なんて、絶対にあり得ない。 そして、そういったノリでおもしろく読めるような真実のネタはそんなに存在しない。 すると、必然的に、極端で、刺激的な根拠がアヤシい陰謀ネタが満載になるというわけだ。

そういう陰謀論が、いかに豊穣でダメダメな世界を展開しているのかが、非常によくわかるのが本書だった。

また、黙示録の世界が進行していく様を現代的に描いたティム・ラヘイとジェリー・ジェンキンズの〈レフトビハインド〉シリーズ(いのちのことば社)は、ぶっとんでいておもしろそうなので読んでみようかという気分に。

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2004.09.12

ビートのディシプリン SIDE3

上遠野浩平著、『ビートのディシプリン SIDE3[Providence]』、電撃文庫、2004年を読む。

これは、〈ブギーポップ〉シリーズの1冊だが、ブギーポップは全く出て来ない。 〈ブギーポップ〉シリーズは、人間の中から、特殊な能力を持ったものが出てくるのを阻止しようとしていると言われている統和機構という組織が存在しており、この組織の擁する合成人間と、特殊な能力を持ってしまったものたちとの戦いを描いている。 一種の超能力・超人類もののSFだ。

ビートのディシプリンは、3巻からなる作品で、統和機構から追われる立場になった合成人間ビートが、統和機構に対抗する組織や、周辺の人物の中で、カーメンという謎の概念を巡って、生死をかけてかけまわる話だった。 シリーズものの常で、どんどんとんでもない能力を持った連中が出現してくる。 さらに、他の巻の登場人物が入り乱れて、だんだん、誰が誰だかこんがらがってくる。 一時は、統和機構の支配は絶対かに見えたが、だんだんそうでもない雰囲気になってきた。

ブギーポップは、世界が危機に瀕すると、宮下藤花という女の子の多重人格として出現する存在で、肉体の能力はリミッターをはずして使うことができるという設定だった。 とは言え、あくまでも普通の人間に過ぎない。 一方、統和機構の合成人間たちをはじめとして、どんどん強力な存在が出現してきている。 今後、果たして、ブギーポップにどれだけ活躍する余地が残っているのか、話はどこへ向かうのか、非常に興味深いところ。

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2004.09.11

グラディウスIII&IV

買ったままになっていたコナミ殿堂セレクション「グラディウスIII&IV -- 復活の神話」、コナミ、2004年をプレイする。

プレイしたのだが・・・。

あまりの難易度の高さにびっくり。 昔は、これを平気でプレイしていたのだから、ちょっと驚き。 1回100円や50円も払っていたのだから、真剣さも異なっているだろうが、それにしても・・・。

そもそも、最近のシューティングゲームは、当たり判定が小さいことが多い。 つまり、自分の機体やキャラクターは大きく描いて、グラフィックスのきれいさを見せる一方で、敵の弾が当たるのは、自機の中心の非常に狭い範囲だけだったりする。 ところが、グラディスIIIの時代は、画面に描いてある機体全体に、当たり判定が存在していた。 ついでに、昔は困難なシューティングをユーザも好んだので、ゲームのバランスの面では、お手軽で便利な助けも期待できなかった。

何にせよ、時代を感じた瞬間だった。

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2004.09.10

一回休み

疲れてぱたん。

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2004.09.09

「社会の敵」度

会社の場合、社員を評価したい場合があり、成果主義とか、コンピテンシーだとか、なんだとか、ダイヤモンド社あたりの雑誌を見れば、なんだかいろいろ取り揃えて紹介されている。 その一方で、城繁幸著、『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』、光文社、2004年のような話もあって、なかなか難しい。

そもそも、どれだけ実質貢献しているかを計測したいのか、それともどれだけ真面目に勤務しているのかを計測したいのか、あるいはどれだけ活動の妨害になっているのかを計測したいのか、またはどれだけさぼっているのかを計測したいのか、何を計測したいのかによって、全然、方法が変わってくるし、計測が難しいこともいっぱいある。

というか、そもそも何のために評価したいのかということがポイントだ。 すばらしい人を表彰して、取り立てて、その一方でダメな人を指導するのに使いたいとか、そういう何にでも使えるような評価方法はたぶん存在しない。 すばらしい人を評価したいのであれば、能力と実質的な成果を評価する必要がある。 人事を考えるのであれば、その人に適した役割が何なのかを評価する必要がある(そして、必ずしもエラくなることが適切とは限らないのが皮肉なところ)。 指導したいのであれば、指導により改善可能かつ意味がある事項にしぼって、評価する必要がある。 もっと極端に、やめさせるべき人を見つけたいなら、「ただ乗り」する人や、仕事の妨害になる人や、仕事に向いていない人というのを計測する必要があるだろう。

と、そんなことを、ふと考えた。

世の中には、ものすごーく迷惑な人がいる。 集団内でアンケートをとれば、ほとんど全員が迷惑だと答えるくらいのレベルであることもある。 しかし、そういう人は、仕事の成果や勤務状況などを評価しても発見できず、別な人がひっかかることだろう。

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2004.09.08

仕事場所閉鎖

職場に行ったら、部屋がいきなり工事で使えなくなっていた。

今、大きなイベントの準備で、非常にハードな状態にある。 本来やるべき仕事も、かり出されたこのイベントの業務のために、ほとんどできずに、かなり心配な状況。 それでも、それを心配する余裕もないくらいハードで、期日も迫っていたりする。

そんな状況なのだが、職場に行ったら、いきなり部屋の中で工事がはじまっていて、1日くらい使えないという。 今日1日、何もできなかったら、はっきり言って、終わりなんですが・・・。

仕方がないので、とにかく工事を一時中断させ、必要な資料と機材を急遽搬出した。 ハードな作業が連日続いていたので、これだけで残りの体力を使い切ってダウン。 とにかく一旦休養して、作業を開始したが、能率が悪すぎ・・・。

明日はどっちだ?

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2004.09.07

ヒーラー、超能力者の資質

世の中には、どうしてそのようなものに、そんな効果があるなんて、思いつくのだろうということを主張する人がいる。

たとえば、フツーの人は、ツボをたたくとトラウマが治るとか、眼を左右に高速に動かしたらトラウマが治るなんてことを、そもそも思いつかないだろう。 ツボをたたくことや、眼を左右に高速に動かすことは、あまりにトラウマの治療と距離が離れているからだ。 仮に、偶然、ツボをたたいていて、トラウマが軽減されても、その2つの間に因果関係があるとは、フツーは考えないし、原因は何か他のところに求めるだろう。

逆に言えば、そういうことを主張する人には、どうしてもそういうことを思いついて、主張せずにはいられなかった何かがあったのかもしれない。 それは衝撃的な体験だったのかもしれないし、その人の資質なのかもしれないし、それとも何か別な要因かもしれない。 非常に、興味深いことだと思う。

また、事実はどうあれ、発見のエピソードは後日再構成され、「ある日、ふと、ある患者さんに試したら、劇的に効いた! そして、その後いろいろな人に試したところ、これまた効果があって、今ではどんどんひろまっています!」みたいな感じで語られる。 さらに場合によっては、認可されていない大学の学位しか持っていなかったりしても、発見者は博士と呼ばれたりすることもある。 そして、効果や、理論的根拠や、資格を販売するといった商売の方法などが、しばしば議論の対象となりながらもひろまることもある。

なんとも、人間の不思議さを思わずにはいられない。

何かが起こったとき、気にもしなかったり単に偶然だと思うのが普通の人、どうしてもそこに奇跡を見いだしたり、世の中すべてのことに意味があると思ったりせずにはいられないのが能力者なのかもなあと思った。

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2004.09.06

フロイトと作られた記憶

フィル・モロン著、中村裕子訳、『フロイトと作られた記憶』、岩波書店、2004年を読む。

世の中には、クライアントが幼いときに虐待されていて、それがあまりにつらいことだったので、大したことがなかったと思い込んでいたり、あるいは記憶自体を抑圧して封印してしまっていたりするのだなんていう、強い信念を抱いてセラピーを行うセラピストがいる。 そういうセラピストに誘導されて、家族による性的虐待、しかもそれがご近所一帯が悪魔教のカルト集団でその儀式の一環だったなどという、ありもしない記憶を作り出してしまい、裁判にまで訴えて、あわれな老齢の父親が懲役になってしまったという事件がアメリカであった。 この辺の事情は、エリザベス・F・ロフタス、キャサリン・ケッチャム著、仲真紀子訳、『抑圧された記憶の神話 -- 偽りの性的虐待の記憶をめぐって』、誠信書房、2000年や、ローレンス・ライト著、稲生平太郎、吉永進一訳、『悪魔を思い出す娘たち -- よみがえる性的虐待の「記憶」』、柏書房、1999年や、矢幡洋著、『危ない精神分析 -- マインドハッカーたちの詐術』、亜紀書房、2003年あたりに詳しい。

本書は、岩波のポストモダン・ブックスというシリーズの一冊で、100ページ程度の非常に薄い本。 ありもしない記憶を甦らせてしまった偽記憶症候群に関して、それを巻き起こしたセラピーを批判する際に、抑圧記憶というのはそもそもフロイトが提唱したものであるという批判が行われることがあるが、本書では積極的にフロイトを弁護している。 そもそもフロイトはそんなことは言っていなくて、悪いのは勝手に記憶を蘇らせているセラピストたちや、勘違いしてフロイトを批判している連中だという主張。 それ以上でも、それ以下でもない内容だった。

あくまで本書に引用された範囲では、フロイトは、甦ってきた記憶は、必ずしも真実かどうかはわからないということも言っていたようだ。 しかし、その一方で、著者の引用する数少ない範囲でさえ、フロイトは病状を「抑圧」という反証不能な概念でもっともらしく解釈してみせたり、さらには性的虐待は多いなどと主張してみたりしているんですが・・・。 どこまでこの著者を信用していいのか・・・。

ふと、思い立って、著者名で検索してみたところ、The Association For Meridian Energy Therapies(経絡エネルギー療法協会)などというアレな団体のページがマッチ。 この団体には、EFT、TFT、TAT、etc. などのタッピング(ツボを叩くこと)による心理療法を行っている人が集まっているようだ。 たとえば、TFTとは、思考場療法(Thought Field Therapy)の略で、簡単に言えば、ツボを叩くとトラウマが治るというんだけど・・・。

それで、フィル・モロンのページによると、この方、METやEFTというタッピング系のセラピーの上級の資格までお持ちとのこと。 さらに、"EMDR and the Energy Therapies -- Psychoanalytic Perspective"という、EMDRとタッピング系のセラピーを精神分析の視点から読み解こうという本の著者でもあるとのこと・・・。 ちなみに、EMDRというのは、眼を高速に左右に動かすとトラウマが治るとかいう・・・。

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2004.09.05

誰にだって朝陽は昇る

プレゼンをして帰ってくると、郵便局から代引き郵便物の連絡がポストに入っていた。 郵便物は、 クレヨン社の新アルバム『誰にだって朝陽は昇る』。 このアルバムは、現在のところ通販のみだ。 さっそく受け取り、聞いてみた。

ひじょうに懐かしい気がした。

最後のアルバムが出てから随分たっている。 そもそも、クレヨン社がCDをメインに出していたのは90年前後。 そして90年代の後半はライブ活動を行っていた。 所属事務所の変更をはじめとして、いろいろな荒波にもまれたのかもしれない。 夢を語ること、めぐりあわせ、できること、できないこと、どうしようもないこと、それでもそこからはじめてみること。 円熟が感じられた。

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2004.09.04

審判の日

山本弘著、『審判の日』、角川書店、2004年を読む。

これは、SF作家というよりは、世間的には「と学会」の会長と言った方が通りがいいかもしれない山本弘による短篇集。 この作品集も、昔ならSFと言ったかもしれないけれど、最近ではホラーというジャンルで売られるかもしれない。

それはともかく、同著者の『神は沈黙せず』は、「人の理解の及ばない神」(ある意味、「もしもすばらしい神が存在するなら何故この世に悪や報われないことが存在するのか」という神義論とも関係する)や「超常現象」などに関するSF的なアイデアによる、興味深い長編になっていた。 この『審判の日』も、「世界」に関するSF的なアイデアによる短篇が多く収録されている。 このスタイルは、最近キャプテン・フューチャー全集の刊行がはじまったエドモンド・ハミルトンの短篇とも、どこか通じるところがあるような気がする。

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2004.09.03

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 3

夢枕獏著、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三』、徳間書店、2004年を読む。

この巻では、玄宗皇帝と楊貴妃を巻き込んだ謀反事件のより深い真相が語られる。 この事件が発端となって、50年後の現在(物語中で)に、怪異が起こっている。

宮中の人たちのそれぞれの思惑が交差して、結果的に、とんでもない事件になっていくという過程が見事に描写されているのにはびっくり。 まだ、パズルのピースは全部そろっていないが、それは次の最終巻で明らかにされるはず。

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2004.09.02

語られない側面

「携帯注意し逆ギレされる 電磁波研究の東北大助手」を読む。

記事中には「東北大理学部の男性助手(39)」・・・「男性は理論物理学が専門で、携帯が出す電磁波の影響を研究しており」とある。 ここまで書けば、もう知っている人は知っている状態・・・。

もちろん、注意された方もイケナイのは前提のつもりでいる。 でも、この注意した某氏が「これまでも数回、車内で携帯使用を注意して逆上された経験があるという」部分に、なんとも秘められたニュアンスを感じてしまうではないか。

こうして、語られない側面がまた・・・。 いや・・・、ええ・・・。

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2004.09.01

消えたプレゼン資料

今度の土曜日に、プレゼンをする予定になっている。

このプレゼンの資料の提出の〆切は、先週の木曜だった。 この〆切を、数十分ほど過ぎてしまったが、資料をPDF形式に変換し、メールに添付して提出した。 そのはずだった。 ・・・というか、8月27日にココログの更新を一回休みしたのは、これでへばっていたからだったりする。

ところが、今晩いきなり、資料出ていないんですがという電話が・・・。

こういうとき、メールは再送すればいいので便利。 これが、郵送しかない時代だったら、大変なところだ。 というわけで、すぐに過去のメールを再送した。

しかし、最初のメールは一体どこへ? ふと、そんな疑問がわいてきた。

最近はあんまりないと思っていたけど、もしかしてメールの事故だろうか。 だとしたら、レアなケースだ。 それともSPAMの山に埋もれて、一緒に消去されてしまったのか。 ・・・って、もしかして変なSPAMフィルターなんか使っていたりして、それで勝手に消去されていたりなんてことがあったりすると、今回再送したのも届かない可能性が・・・。

急遽、さきほどのメールが届いたら、念のために返事を下さいというメールも送った。 これなら、返事が来なければ、届いていない可能性が高いことがわかる。 すると、受け取った旨、すぐに連絡があり、今回は無事に届いたことがわかって安心。

こういうとき、メールって便利なようでいて、不確実なのを思い出す。

SPAMの増加とともに、必要なメールと不要なメールを選り分けるのが面倒になりつつある。 ネットワークの事故でメールが消えることは、最近めっきり減ってきたけれど、このSPAMの影響で、間違って消されるというパターンが増えているのではないかという気がするのだった。 自分の側でどんなにまじめにSPAMをチェックして削除したとしても、それは自分に届いたメールをチェックしているに過ぎず、相手の方も同様でないとこちらから送ったメールは確実にはとどかないというのが・・・。

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