「社会の敵」度
会社の場合、社員を評価したい場合があり、成果主義とか、コンピテンシーだとか、なんだとか、ダイヤモンド社あたりの雑誌を見れば、なんだかいろいろ取り揃えて紹介されている。 その一方で、城繁幸著、『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』、光文社、2004年のような話もあって、なかなか難しい。
そもそも、どれだけ実質貢献しているかを計測したいのか、それともどれだけ真面目に勤務しているのかを計測したいのか、あるいはどれだけ活動の妨害になっているのかを計測したいのか、またはどれだけさぼっているのかを計測したいのか、何を計測したいのかによって、全然、方法が変わってくるし、計測が難しいこともいっぱいある。
というか、そもそも何のために評価したいのかということがポイントだ。 すばらしい人を表彰して、取り立てて、その一方でダメな人を指導するのに使いたいとか、そういう何にでも使えるような評価方法はたぶん存在しない。 すばらしい人を評価したいのであれば、能力と実質的な成果を評価する必要がある。 人事を考えるのであれば、その人に適した役割が何なのかを評価する必要がある(そして、必ずしもエラくなることが適切とは限らないのが皮肉なところ)。 指導したいのであれば、指導により改善可能かつ意味がある事項にしぼって、評価する必要がある。 もっと極端に、やめさせるべき人を見つけたいなら、「ただ乗り」する人や、仕事の妨害になる人や、仕事に向いていない人というのを計測する必要があるだろう。
と、そんなことを、ふと考えた。
世の中には、ものすごーく迷惑な人がいる。 集団内でアンケートをとれば、ほとんど全員が迷惑だと答えるくらいのレベルであることもある。 しかし、そういう人は、仕事の成果や勤務状況などを評価しても発見できず、別な人がひっかかることだろう。
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