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2004.11.30

Comic新現実 vol.2

9月下旬にvol.1が出ていた「Comic新現実 vol.2」、角川書店、2004年を買う。 今回の特集は、みなもと太郎と「戦時下」のアニメとして「忘却の旋律」

実は、ここのところ体調が悪くて、薬を飲むと眠くなるという感じで、あまり本が読めていない読んでいない。 そんな中で、目についたのは、大澤信亮「マンガ・イデオロギー」の第二回「崩壊するビルドゥングス・ロマン」。 本稿では、江川達也の初期のものから、現在連載中の『日露戦争物語』までを取り上げて、成長物語の元祖として知られるゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(山崎章甫訳、岩波文庫、2000年)と対比している。

「ヴィルヘルム・マイスター」は、「修行時代」と「遍歴時代」(山崎章甫訳、岩波文庫、2002年)から構成されていて、岩波文庫では、それぞれ上中下の3巻で出ている。

「成長物語」と言われる「修行時代」の方は、こんな物語だ。 演劇にいれ込んだモラトリアムで頭の足りないボンボンが、女優に恋いこがれるが、肝心なところで裏切られて大ショック。 失恋のショックから、今までバカにしていたはずの、オヤジのような(つまんねー)商人になってやると一念発起して、そこそこ成功する。 ところが、仕事で地方を回っている途中で、芝居の一座と合流することになる。 そこで、忘れていた演劇青年の夢ひらき、ハムレットの公演を成功させていい気になったり、いろいろな女性に囲まれてうつつを抜かしたり、綾波レイみたいな少女になつかれてみたりと、実に腰の定まらない(「結局、ボクが本当に好きなのは、やっぱりキミなんだ」みたいなパターンを、何度もやったりとか)、まるで現代のラブコメ作品もかくやといった生活を送る。 ところが、いろいろと秘密が解き明かされていくと、芝居の才能なんて実は大したことなんかまるでないという現実を突きつけられる。 で、そういう「自己実現」しちゃいたいのも若いうちはいいけど、やっぱ人ってものは、大きなものの一部として生きるべきだろうという感じで説得されてしまう。 で、これら一連の出来事が、実は「塔の結社」の入社試験だったことが明らかにされる。

うーん、どこが「成長物語」なの、というかなんかヤバくない?、というのが今日的な感想だろう。 とは言え、現実には、こんな構造がいろいろありそうではある。

それで、本稿では、このような作品と、江川作品の大きなものによるマインド・コントロールの構図を対比させてみせる。 かつて、そのマインド・コントロールを超えた何かを描こうとした作品(『Golden Boy』)があったが、それは残念ながらいろいろな事情により描かれなかった。 そして、現在の江川作品は、これらを回避しているのではないかというのが、本稿の指摘だ。

個人的には、『Golden Boy』の続きに相当するものが、もしも描けるのであれば是非、読みたい。 また、江川達也とは関係ないが、ゲーテのヴィルヘルム・マイスターや、ファウストは、現代的に大胆に翻案しつつ、その本質をえぐった作品というのも読みたいと思う。

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