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2005.01.31

ダグラス・エンゲルバート

「ビジネスイノベーションを発見するテクノロジー誌」というふれこみでリニューアルした「iNTERNET magazine」の2005年3月号を買う。

一時期、Weblogの雑誌となっていた「iNTERNET magazine」だったが、ネットに関係した新しいテクノロジーの情報誌にリニューアルした。 誌名に即した内容になったとは思うけれど、この種の情報を求めている人の母数は果たしてどのくらいなのだろうか。 また、同時に、iNTERNET magazineのWebサイトでバックナンバーをPDF形式で公開しており、発売後3年以上たったものは誰でも閲覧可能で、定期購読者は全部閲覧可能になった。

ところで、今回の冒頭の記事は、ダグラス・エンゲルバートのインタビュー。 ダグラス・エンゲルバートと言えば、先駆的にマウス、グラフィカルな表示、ハイパーテキスト・システム、ネットワーク技術を実装したNLS(oN-Line System)/Augmentで有名。 SRI(Stanford Research Institute)のARC(Augmentation Research Center)で、「コンピュータによる人間の能力の増大」を目指して開発を推進していたことで知られている。 と同時に、そのカリスマ的なスタイルは、議論も呼んできた。

ティエリー・バーディーニ著、森田哲訳、『ブートストラップ -- 人間の知的進化を目指して -- ダグラス・エンゲルバート、あるいは知られざるコンピュータ研究の先駆者たち』、コンピュータエージ、2002年には、その辺の事情が詳しく紹介されている。 特に、研究が行き詰まったARCの末期に、自己啓発セミナーのestが流行して、研究所内が混乱した様子が、ジャック・ヴァレの"The Network Revolution -- Confessions of a Computer Scientist"(Ronin, 1982)を引用しつつ、描かれている。

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2005.01.30

ウェブクリエイターのハローワーク

月夜野凛子著、『ウェブクリエイターのハローワーク』、毎日コミュニケーションズ、2004年を読む。

本書は、「Web Designing」の連載をまとめたもの。 Webデザイナーとして仕事をするというのは、一体どういうことなのかを、赤裸々に描いた本。

いわゆるフツーの就職活動の本やビジネス書とは全然違っている。 普通、そういう本だと、「わたしはこうして成功した」とか「これがイケてる今時の仕事の方法だ」という感じに書かれている。 ところが、本書は「ダメダメだけど、なんとかそれなりに仕事してます」というスタンス。

時給は安い、労働時間は長い、昼夜逆転、フツーの結婚がうまくいかない、なかなか仕事に取りかからないダメっぷり、etc. ・・・あまりにリアルすぎる仕事風景。

ほんの一握りの「成功者」な人の仕事の話は、ほとんど大多数の普通の人にとっては、お話としては楽しめても、現実的には参考ならないことを思えば、むしろ真っ当な内容と言えるかも。 本書を読んで、普通のWebデザイナーのしあわせって何だろうと、改めて考えた。

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2005.01.29

細木数子 地獄への道

細木数子被害者の会著、『細木数子 地獄への道』、鹿砦社、2005年を読む。

本書は、六星占術でかつて一世を風靡し、最近テレビなどでリバイバルしている細木数子のバッシング本。

本書で描かれているのは、細木数子の生い立ち、兄、弟など。 それから、芸能界でいかにのし上がってきたか。 安岡正篤とのゴタゴタ。 占いと予言と因縁と墓石関係の販売。 芸能界での予言や言動など。 単純に言うと、占いは当たっているとは言えない感じで、コアな信者さんから高額なお金を取っているという感じ。 個人的には、以前から不思議に思っていた、安岡正篤との話が興味深かった。

なお、第二弾を計画していて、被害者からの告発集になる予定らしい。 巻末には、告発をしたい人向きに連絡先まで載っている。

追記

占いとしての、細木数子の六星占術のダメさは、志水一夫著、『改訂版 大予言の嘘 -- 占いからノストラダムスまでその手口と内幕』、データハウス、1997年に解説されている。

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2005.01.28

ぼくのためのきみときみのためのぼく

きづきあきら著、『ぼくのためのきみときみのためのぼく』、ぺんぎん書房 SEED! COMICS、2005年を読む。

本書は、以前取り上げた、おたくサークルのダークサイド・ストーリー『ヨイコノミライ』のきづきあきらの新刊。 といっても、同人時代に描いた作品を集めたもの。

相当初期の作品らしく、絵の技術は最近の作品と比べると低く、人物は一瞬、版画で描かれたようにも見えた。 しかし、ストーリーというか、描いている内容は、遜色ない。

現在連載中の『ヨイコノミライ』では、主人公が、おたくサークルに集まる連中の内面のダメというか、ダークというか、どうしようもない(この言葉の持つ多義性にそのまま相当する)部分を炙り出して、壊していく様子が描かれている。

本書に収録された作品も、そういった部分がテーマになっていて、この世界からはみ出してしまっている感覚に、圧倒される。 中には、はみ出して、そして、救いようがない結末を描いた作品がいくつかある。 それらの殺伐として、ストンと落ちて、やり切れなさが漂う感覚に、妙にリアリティを感じてしまう。

初期の作品から、こういうテーマを描いていたのかと、ちょっとびっくり。

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2005.01.27

流行り神 警視庁怪異事件ファイル0

山下卓ほか著、『流行り神 警視庁怪異事件ファイル0』、エンターブレイン ファミ通文庫、2004年を読む。

本書は、都市伝説ホラーアドベンチャーなPlayStation2用ゲームソフト「流行り神」の関連商品。 ノヴェライズではなく、同じ舞台設定と登場人物を用いたアンソロジー。 収録作品は、蕪木統文「ケサランパサラン」、瀧本正至「ベッドの下の男」「パッシング」、林直孝「死体洗いのバイト」、山下卓「虚儀式」。 このうち「ベッドの下の男」「パッシング」「死体洗いのバイト」の3つは、短い話で、ソフトバンクから出ていた「ザ プレイステーション」に掲載されたものを改訂したもの。

わたしはゲームの方はプレイしていないが、ケサランパサランの話が目をひいたので買ってみた。 一応、小説単独でも読める内容だが、ゲームをプレイしていない人には、登場人物がいまいち明確に理解しにくいかも。 それから、都市伝説の料理の仕方はいろいろあると思うが、本書の場合は怪談仕立てになっている。 この辺は、好き嫌いが分かれそう。

なお、収録作品のうち、「虚儀式」は、伏線で話が大きく前後するので、ぼーっと読んでいると、読み返す羽目になる。

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2005.01.26

風邪っぽい?

なにげに風邪っぽくて、喉がいたい。 風邪をひいている人の近くにいたのでうつったのか。

養生しないとまずそう。

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2005.01.25

幻影博覧会 1

冬目景著、『幻影博覧会 (1)』、幻冬舎 バーズコミックス、2005年を読む。

本書は、冬目景の最新作。 大正時代が舞台の探偵と助手の物語。 探偵は、資産家の次男だが、いろいろあって、母方の姓を名乗っている。 助手は、大学時代の恩師に紹介された孤独で大人顔負けに聡明な少女。 少女の両親は、彼女を置いて、遠くに行ってしまっている。 そうした二人のところに、奇妙な事件が持ち込まれるというストーリー。

本書の場合、ほとんど少女が、どんどん事件の謎を解いてしまうため、ややこしい事件でも、袋小路に迷いこまずに話がするすると進んでしまう。 なので、普通の推理物とは随分印象が異なり、少女や探偵の過去や秘密の方がミステリアスに感じられるという不思議な感じ。 また、他の冬目景作品と同様に、事件を通じて描かれている人間模様が味わい深い。

次巻にも期待。

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2005.01.24

オントロジー工学

溝口理一郎著、人工知能学会編集、『オントロジー工学』、オーム社、2005年を買う。

本書は、タスクオントロジーの提唱者の溝口理一郎氏による、オントロジーの入門書。 オントロジーとは、人間の世界の捉え方を整理してコンピュータが理解できるように記述したもの。 WWWの情報を、現状よりは人間にとって的確な形で、コンピュータを利用して、活用することを目指しているセマンティックWebとも関連が深い話だ。

とは言え、理屈の上では、モデル化したい対象の意味的な関係を記述したら、いろいろと物事が整理されるだろうなあとは思えても、結局のところ、オントロジーとは、具体的に何で、どんなことに使うもので、具体的にこういうことに使うと、使わなかったときよりもこれだけよくなるのだとか、そういうことがよくわからなかった。

そんなわけで、オントロジーに関して解説されている本があったら、読んでみたいと思っていた。 本書は、そこへ現れた最新の本だったので、早速購入して、二部構成の第一部を読んでみた。

本書では、最初にオントロジーとは何かを説明し、そのつくり方やツールなども紹介している。 まだ読んでいないが、後半では、より突っ込んだ議論や事例などが紹介されるらしい。

とりあえず、本書を読んで、オントロジーとは何かがおぼろげにイメージできるようになったし、構築用のソフトにどんなものがあるのかも理解できた。 しかし、これでオントロジーが構築できるかというと、ほとんど無理そう。 概略はともかく、実際の構築には、熟練と練習がかなり必要そうな雰囲気。 また、構築したオントロジーの活用方法も、いまいちダイレクトではなさそう。 なんか、結構、壁は高そう。

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2005.01.23

ソーシャル娘。萌絵ちゃんのスパイ大作戦

hacksection著、『ソーシャル娘。萌絵ちゃんのスパイ大作戦』、データハウス、2005年を読む。

本書は、萌え系の本の一つで、構成は、高校1年生でハッカーの萌絵ちゃんが、お兄ちゃんの恋愛を応援するというストーリーを通じて、以下の技術が紹介されていく。 尾行、ゴミから情報を得る方法、コードレスフォンの傍受、鍵開け、ソーシャル・エンジニアリング、キー入力記録、無線妨害、電話盗聴、メールの偽装、etc.。 機材やソフトなどについては、実在のものが例示されている。

読んで思ったことは、このような技術を使うのには、ものによってはかなり根気と思考力がいるということだ。 それから、使われた場合のリスクというのが、具体的によくわかるように書かれていて、ものによっては完璧な防衛は事実上困難なことがあるというのも悩ましい。

どの辺でコストと効果がバランスすると考えるかは、微妙な問題。 うーん。

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2005.01.22

ぱたん

どうも疲れているらしく、突然、眠くなって、落ちてしまう。

先月は体調がかなり悪かったが、考えてみると、よく眠れないというのが、原因の一つらしいところがあった。 実際には、どちらが鶏で卵かわからないけれど、いずれにせよ体調が回復しつつあるということなのかも。

むしろ、現在は、目が覚めにくいという問題があるのだが、うまく乗り切りたい。

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2005.01.21

《教皇》がiを説く 真・運命のタロット1

皆川ゆか著、『《教皇》がiを説く -- 真・運命のタロット(1)』、講談社 X文庫ティーンズハート、1997年を読む。

本書は、昨年、長い空白期間をおいて、とうとう完結した〈真・運命のタロット〉シリーズの1巻目。 これは、以前とりあげたむらかわみちおの『虚数霊』で触れられていた、世界は複素数でできていて、虚数部が意識に関係しているという、虚数意識論をベースにしたファンタジー小説。 このシリーズおもしろそうなので読みたいと思っていたが、シリーズ完結当時、前の方の巻は入手不能状態だった。 実は、夏頃に重版されており、現在は入手可能になっていることに、この間気がついた。 この前のシリーズの〈運命のタロット〉シリーズも重版してくれるとうれしいところ。

本書は、どうやら〈運命のタロット〉シリーズの話の後日談らしい(が、時間移動の話もあり、前のシリーズを読んでいないのではっきりしない)。 前シリーズでは高校生だった登場人物たちの同級生は既に30才前後になっている。 そこへ、時間を越えて、虚数意識論の提唱者のゴーリキー博士を巡る歴史の改変を防ごうと戦っていた主人公が、傷ついて、記憶を失った状態で現れる。 それで、記憶の回復と戦いの全貌の秘密が焦点になって、ストーリーが進んでいく。

ちょうど、この巻では、主人公がfMRIにかけられるというシーンがあり、PETやCTやfMRIなどの話も出てくる。 先日、MRI検査をしたので、なかなかおもしろかった。

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2005.01.20

セマンティック・ウェブのためのRDF/OWL入門

神崎正英著、『セマンティック・ウェブのためのRDF/OWL入門』、森北出版、2005年を買う。

神崎正英さんと言えば、『ユニバーサルHTML/XHTML』(毎日コミュニケーションズ、2000年)やRDFの話がわかりやすく書いてあるThe Web KANZAKIが有名。 今回、そのRDFに関する本が出た。

ぱらぱら見てみた感じ、おもしろそう。 少しずつ読んでみるつもり。

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2005.01.19

神社のススメ 1

田中ユキ著、『神社のススメ (1)』、講談社 アフタヌーンKC、2004年を読む。

これは、神社を継ぐことになった青年が、修行として他の神社ではたらくというお話。 主人公の里見信二郎は、本当は家を継ぐことになっていた兄が失踪してしまい、そのため、神社を継がなければならなくなってしまう。 修行に行った先で、ビジネスとしての神社、勤める人たちの実像などに直面することになる。 また、4人の巫女に囲まれ、その中で、若い巫女との恋愛感情に悩むお話でもある。 神社の豆知識なども紹介される。

神社や巫女さんを描いた本は、最近いくつか出ている。 たとえば、『平成の巫女』(佐野裕著、原書房、2003年)や『「ジンジャの娘」頑張る!』(松岡里枝著、原書房、2004年)、そして以前取り上げた『神社若奥日記』(岡田桃子著、祥伝社黄金文庫、2004年)などなど。

本書の場合、主人公を若い青年にして、兄の失踪というスキャンダルをからめたことで、一風変わった視点から物事が描かれていて、けっこう、おもしろかった。

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2005.01.18

月刊「ムー」2005年2月号

月刊「ムー」2005年2月 第291号、学研を買う。

「ムー」を買ったのは久しぶり。 今回は、おもしろそうな特集がいくつかあったので、購入した。

まず、総力特集 魔法のカードに隠された古代叡智の暗号「タロットは世界創造の書だった!」

ライターは、本格的な魔術の翻訳書のある松田アフラ氏(マイケル・ムーアの『アホでマヌケなアメリカ白人』(柏書房、2002年)やオカルトものなどの翻訳をしている松田和也氏のペンネームの一つとの噂)。 もちろん、この特集の内容は、アレなんだけど、とにかく構成がすごい。

最初は、フィリップ・カモワンによるブッシュ再選と9.11テロのタロット占いからはじまって、エリファス・レヴィ、黄金の夜明け、アレイスター・クロウリーなどの魔術の話、そこからシンクロニシティにユングにミクロコスモスとマクロコスモスの相関、タロットのエジプト起源説、モーセとカバラ、グノーシス主義にフリーメイソン、マグダラのマリアに伝えられた秘儀、そして最後はペンローズとボームの量子論で締め。

とにかく、つかみのインパクト。 そして、次々と展開されるでかくて「秘密」の話。 『タロット大全』(伊泉龍一著、紀伊国屋書店、2004年)や『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著、越前敏弥訳、角川書店、2004年)などの最近の話題に、科学っぽい味付け。 うわぁ、ここまでいくかという、アクロバットが見られる。

それから、連載「南山宏の綺想科学論」の今回は、マインド・コントロール兵器。 海外の疑似科学批判サイトの、マインド・コントロールのページなどでおなじみの超音波、電波、レーザー、マイクロ波、埋め込みチップなどが取り上げられている。 もちろん、冷戦とMK-ULTRAなどの話もある。 特におもしろかったのが、2003年にマインド・ジャスティスとかいう団体がまとめたという「マインド・コントロール作用の新証拠」。 それを元に描いた人体部位ごとの「マインド・コントロールの被害状況」とかいう図が掲載されている。 この図、たとえば、「頭部」「マイクロ波が頭の中で音声として聞こえる。」とか、「全身症状」「「あちらへ行け、こちらへ行け」と命令されたように、体や手足が意味もなく勝手に動く。」などなど、多数書かれていて、すごすぎ。

この他にも、金属棒でなぞって病気を治すというメスメルを彷彿とさせる話、NHK大河ドラマにあわせたと思しき、義経が北へ逃げのび、チンギス・ハンになったという話の特集などもあった。 もちろん、お金がもうかったり、異性にもてたり、病気が治ったりするとかいう謎のアイテムや、セミナーの広告も健在。

久々だったが、ちゃんと時節に沿った特集等もあったりして、楽しめた。

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2005.01.17

封印作品の謎

安藤健二著、『封印作品の謎』、太田出版、2004年を読む。

本書は、主に制作側で封印された作品を取材したルポルタージュ。 取り上げられている作品は、特撮テレビ番組の『ウルトラセブン』の「遊星より愛をこめて」と『怪奇大作戦』の「狂鬼人間」、映画『ノストラダムスの大予言』、コミック『ブラック・ジャック』の「植物人間」ほか何作品か、0-157予防ゲーム『水夏〜おー・157章〜』の前身(?)。

著者は、元産経新聞の埼玉県庁担当の記者で、現在はフリーライター。 記者だった頃、記事にしたO-157予防ゲームが問題になって埼玉県が監修を降りるという事件に関わる。 また、大学生の頃に、神戸児童連続殺傷事件の報道規制に対しておかしいというWebページをやっていたとのこと。

本書の特徴は、一言で言って、特撮などのサブカルチャーに偏っていること。 巻末には、戦後の主な封印作品というリストが載っているが、これも概ね同様の傾向がある。 そして、その多くが古い話だということ。

本書のつくりは、基本的に関係者に取材し、経緯をまとめ、インタビューなどを通じて「著者が読者に考えて欲しいと思う」問題を提起するというもの。 これは、報道としては、ベーシックな作りであり、努力も感じられる。 でも、こういうサブカルチャーのような濃いメディアを扱う方法として、適切かどうかはちょっと疑問。 なんとなく、報道番組を見ているみたいに、対象と著者との距離が遠く感じられ、全体に薄味な印象になってしまう。 取り上げられた作品も、封印された経緯が、なんとなく不注意に作ってしまったところを、その問題に敏感な人たちから抗議を受けて、腰砕けな対応になってしまったという雰囲気のものが多い。 なんとなく、ダウン系な読後感。

表現の妥当性を争ったとか、抗議自体がトンデモとか、そういう話がもしあれば、もっと読みたかった。

追記 その1

この著者の安藤健二氏(他にも「芝姫つばさ」名義)は、1997年に「まな」名義で神戸児童連続殺傷事件に関する「反動!」というページを開設、後に「あやしいわーるど」の名を冠したいくつかのサイトの管理人をしていたらしい。 その辺の歴史を本にして欲しいかも。

参考: あやしいわーるどグループ & 歴史編纂委員会による「あやしいわーるどの歴史」 http://f16.aaa.livedoor.jp/~stwalker/

追記 その2

まなさんによると、上記の「反動!」は、「まな」名義ではなかったそうです。 訂正させていただきます。

参考: 放置新聞1.20の記事。

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2005.01.16

再魔術化へ

スーパードルフィー公式設定に関するまとめサイト(ARTIFACT-人工事実-「すごいことになっているスーパードルフィー公式設定」経由)を読んで茫然とする。

ちょっと大きくて精巧で、本体だけで数万円する人形・スーパードルフィー。 ガレージキットで有名なボークスが売り出した商品だ。 ダッチワイフのようなものではなく、アンティーク・ドールの現代版・・・、いや、この説明も実像をあんまり正確に伝えていないと思うが、ほかには適切な言葉が思い浮かばない。 この愛らしく、それでいて鋭利な印象を残す、このスーパードルフィーには、女性を中心にコアなファンがついている。

もともと、「ドール」の趣味には、本体、各種のカスタマイズ、服、ケアと、お金が湯水のようにかかる。 ほとんど、パソコンを自作して、次々に増設するようなお金のかかり方。 ドールを購入すること自体、高い障壁を持っている。

そんな趣味性が高く、購入者の思い入れも半端ではないドールに、いきなりある日、「すごい公式設定」があることが告げられたら、それは驚くだろう(スーパードルフィー公式設定に関するまとめサイト内の【問題のパンフレット画像:心美しきあなたからの訪問者】 参照)。

非常に高額な商品であり、そういう商品の場合、たしかに「大きな物語」と「個別性」というのが、展開としてはとても重要だろうと思う。 たとえば、同じくボークスで販売している永野護のコミックス『F.S.S.』のモーターヘッドやキャラクターのガレージキットも、スーパードルフィーほどではないが高額商品。 これも、造型の高度さはもちろんだが、販売上、その背後にある「F.S.S.」という物語自体の力が無視できないと思う。 そういう他人が既に用意した物語がないドールの場合、造型の力と、購入者の個別の思いが、ムーブメントの牽引力になってきたような気がする。 ここに、「物語」を用意できれば、最強と思ったのか、それとも思いが暴走してしまったのか・・・。

ふと、よく内閉化してコアになっていく団体で、ありがちな話を思い出した。 最初は、ちょっと趣味的ではあったがいいサークルだった。 それで、人が集まって活気が出てきた。 あるとき、とんでもない話が出る。 ついていけない人がやめて、ついていける人だけ残る。 より高額で極端な方向に走る。 またついていけない人がやめて、それでもついていける人だけ残り・・・。

ボークスの作品は、スーパードルフィー以外にもいろいろあって、これまで目を楽しませてきてもらっただけに、今後の展開には注目したい。

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2005.01.15

ライトノベル☆めった斬り!

大森望、三村美衣著、『ライトノベル☆めった斬り!』、太田出版、2004年を読む。

ライトノベル関連のムックは結構、店頭で売っている、昨今。 その中で、本書は、刊行当時から現物を見た上で購入しようと探していたが、結局、店頭で発見できなかった。 最終的にはネット書店で購入した。 ところが、今日、読み終わったところで、店頭で発見。 完全にすれ違いだったらしい。

さて、本書は、SFファンの有名な人、大森望と三村美衣による、ライトノベルの紹介書。 というわけで、話は中高年のコアなSFファンからの視点になっている。 これは本書の強みでもあり、弱みでもある。

本書では、平井和正の『超革命的中学生集団』(現在は、講談社青い鳥文庫fシリーズから『超人騎士団リーパーズ』)がライトノベルのはしりとして提起され、その少し前からの、およそ30年ちょっとのライトノベル関係の歴史を、振り返って紹介している。 この時代は、「宇宙戦艦ヤマト」などのテレビ番組が放送される少し前、アニメがブームになりつつあった頃だ。 ここから、ジュブナイル、SFアニメ、コバルト文庫、ゲーム、ファンタジー、メディアミックス、・・・、そして現在へ、と変遷の様子が対談形式で紹介される。 その中では、コアなSFファンであり、またそういう業界に関わってきた2人による蘊蓄が語られ、それが興味深いと思える人には、非常におもしろい一冊になっていると思う。

ライトノベル系のムックでよくあるのが、いろいろな人(主にライトノベル作家とかメディアミックス業界の人)に、自分の好きな作品とその理由を挙げてもらったり、投票形式で今年一番のライトノベルを決めたりする企画だ。 それから、現在、人気のある作品を紹介する企画もよくある。 これらは、現在進行形のムーブメントを把握して、その中からおもしろい作品を探そうとするのに役に立つ。 とは言え、この方法は、どうしても現時点での、ばらばらの個人個人の意見の集約にすぎない。 時には、ある視点で切り取った一連の流れを見たいこともある。 本書は、そういう本であり、視点は偏っているけれど、ムックなどとは相補的なポジションを占める。

また、対談形式以外に、書評もあり、紹介されているシリーズは100シリーズ。 ほとんどのシリーズが10巻とか20巻出ていることを思えば、2人の人間が数百から千近くの本を紹介しているわけで、その評価の嗜好が理解できれば、非常に役にたつ。 そもそも、どんな人気シリーズであろうと、全20巻とか言われたら、読むかどうかとても悩むところだ。 更に、そんなシリーズが信じられないくらいたくさんあるんだから、読むのか読まないのかの参考になるような書評がまとまっていれば、どれだけありがたいことか。

しかも本書の場合、現在進行中か、完結してる作品なのかも明記されていて、これがとてつもなく助かる。 というのも、本書を読んで気づいたのだが、人気の大作の中には、10巻とか20巻になっているシリーズがある。 ところが、「これから謎が解き明かされて、結末へ向かう(はず)」というところで・・・、「もう何年も新刊が出ていない」という、まるで『ガラスの仮面』のような状態になっているシリーズが数多くあるのだ。 これがインフォームド・コンセントされているかどうかは、けっこう、重要なことだと思う。

なお、本書で紹介されている特に初期の作品は、かなりの割合が入手不能だろうと思う。 その出版点数と、書店の売り場面積を考えれば、すぐにわかるが、これまでに出版されたライトノベルで、現在入手可能なものの割合は非常に小さいからだ。 今や、下手をすると、新刊であっても書店にならばない。 もう、ライトノベルは、見たら買っておかないと、入手できないという事態さえありえる。

しかし、この状況って、新書にも起こりつつあるるような気が・・・。

関連サイト: ライトノベル☆めった斬り! Official Site

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2005.01.14

トリポッド 2 脱出

ジョン・クリストファー著、中原尚哉訳、『トリポッド 2 脱出』、ハヤカワ文庫SF、2005年を読む。

本書は、以前取り上げた『トリポッド 1 襲来』の続編。

三本足の鋼鉄の侵略者トリポッドは、前巻で襲来が描かれた。 それから随分たち、もう世界中にいて、人々の生活にとけ込んでいる。 大人たちはみんな洗脳キャップをかぶせられていて、疑問にも思わない。 子どもは大人になるための通過儀礼の際に洗脳キャップを被せられる。 トリポッド以前の時代のことは、タブーになっている、というよりは忘れ去られている。

そんな中で、一つ年上の仲の良かった友だちが、大人になり、キャップをかぶり、変わってしまったことがきっかけで、ウィルという少年の心に疑問が生じる。 キャップのせいで頭がおかしくなってしまった「はぐれ者」、それを装ったオジマンディアスから、ウィルは真実を告げられ、トリポッドに支配されていない人たちのいる場所へ逃亡することを決意する。 その逃避行を描いたのが本書だ。

本書では、キャップをかぶることと、かぶらないことの、人間にとっての意味が、ウィルの目を通して問いかけられる。 キャップをかぶっていても、すばらしく見える人たちはいるし、楽しく、ほとんど自由に暮らしているように見える人たちもいる。 ただ、トリポッドの意向に沿わないことは考えないし、疑問に思わなくなり、その命令には喜んで従うだけだ。 それと、キャップをかぶらない生活とどこが違うのか。

次巻に期待。

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2005.01.13

ミナミノミナミノ

秋山瑞人著、『ミナミノミナミノ』、電撃文庫、2005年を読む。

本書は、『イリヤの空、UFOの夏』シリーズが今度アニメ化される秋山瑞人の最新刊。

秋山瑞人の作風には、クセがある。 それは、人物(主に主人公)の思考を描く場面や、形容において顕著で、「普通、そういう表現しないよね」と思わせる、濃くて変な描写が数多く出て来る。

要領の悪い父親の仕事の関係で、転校を8回も重ねた中三の少年、藤田正時。 彼のやたらにすれっからしになった対人関係スキルの描写は、まさにそんな感じ。 そんな正時が、伯母のリカ姉(人格破綻者)に誑かされて、辺鄙な南の島で夏休みを過ごすことになったのが、今回のお話。 そして、変な少女・春留との出会いを描いている。

登場人物の特徴は、前作『イリヤの空、UFOの夏』のラインを継承している。 たとえば、春留は、友だちがいない少女で、島の因習というか、秘密というか、使命のために、心が頑なになっていて、これは前作のヒロインに通じる。 他の幾人かの登場人物も、ある種の類似性を見つけることができる。

なお、まるでシリーズものに見えないタイトルなのだが、実際には次巻に続くになっている。 電撃文庫は、シリーズものにはそうとわかるようなタイトルかサブタイトルをつけて欲しいところ。

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2005.01.12

グノーシスの薔薇

デヴィッド・マドセン著、大久保譲訳、『グノーシスの薔薇』、角川書店、2004年を読む。

本書は、"The Memoirs of a Gnostic Dwarf"(1995)の翻訳。 カタリ派のリヨンの儀礼書などを伝えるグノーシス派の教えに誘われた、ペッペ(ジュゼッペ・アマドネッリ)が、レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)の側近を勤めた顛末を記した回想録の翻訳という体裁を取っている。

ペッペは、1478年にローマの一角生まれた。 体が曲がり、小さい。 父は不明で、母は貧しく、苦しく暗い生活。 そんな中で、ラウラという少女に出会い、グノーシスの教えに触れる。

この物質世界は、ソフィアの過ちによって誕生した愚かなヤルダバオトに創造されたダメダメな世界。 肉体という牢獄に囚われたわたしたちが、聖なる知識によって真の神の元に回帰するのだという教えは、ペッペにとっては、非常にリアリティのある話だった。 ペッペは、ラウラから、グノーシスの教えや様々な学問の手ほどきを受けていく。

しかし、その幸せの日々は、長くは続かない。 そして、底辺から、天上までの生活を流転していくことになる。 ペッペ自身、この回想録の執筆からそう遠くない将来に死因不明で亡くなっている。

時代的には、1500年前後の30数年間。 ちょうど、冲方丁作、伊藤真美画、『ピルグリム・イェーガー 』、少年画報社と同じ時代設定。 登場人物も、レオ10世、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、etc.と重なっている。 ちなみに、本書の表紙は、ラファエロの描いたレオ10世の一部だ。

教皇レオ10世に、気の効いたおもしろい奴として側近に取り立てられたペッペが、そんな時代を描き出す。 ペッペの記す、教皇のレオ10世は、どんちゃん騒ぎが大好きで、文化的なものに大量の金をつぎ込む浪費家、小心者、男色家。 スペインとフランスとの外交に頭を悩ませ、ルターに怒りまくる。 醜いまでに俗っぽい。 レオ10世だけでなく、偉人も大衆も、グロテスクでスキャンダラスな趣味にまみれている。 更に、自分の信奉する、グノーシスの儀礼や、師も、理想とは裏腹な側面を表す。 しかし、そんな聖俗美醜まみれた世界を、寛容に平静に記している。

これって、グノーシスの二元論的な世界観の信奉者としては、ちょっと不思議な神経の持ち主だなと思った。

ところで、帯には「『薔薇の名前』の荘厳さに『ダ・ヴィンチ・コード』の面白さが出会った!!」とあるが、そのようには期待しない方がいいと思う。

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2005.01.11

憎悪の宗教

定方晟著、『憎悪の宗教 -- ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』、洋泉社 新書y、2005年を読む。

本書は、仏教学者の定方晟が、ユダヤ、キリスト、イスラム教を、憎悪を宿した「ヤルダバオト」の宗教であるとして、批判した本。 たとえば、旧約聖書では、どう考えても、残酷や不道徳や不条理なことにしか思えないことが、書かれていて、しかも賞賛される人物がそういうことをしていたりする。 神も妬む。 愛や平等や寛容なども説かれる一方で、それと正反対にしか見えない話も堂々と説かれる。

正統のキリスト教が排斥したグノーシスの人たちの主張の方が、むしろ現代的で理性的に見えるくらいだ。 更に本書では、ユダヤ教もキリスト教も、当時のローマの知識人の目から見ると、迷信、有害な教え、などなどに見えたという証言も引用されていて、興味深い。 更に、これらの宗教の間で、互いに批判や嫌悪や排斥しあっている様子なども紹介されている。

筆が暴走していたり、恣意的に見えるところもあるが、全般的にはそんな感じでまとめられている。 著者は、「ひとは自分に欠陥があることを知るとき他に対して寛容になる」ので、ユダヤ、キリスト、イスラム教が寛容になるために批判したと、あとがきで書いているが・・・、この試みが成功したかどうかはよくわからない。

この種の矛盾をたくさん抱えていたのに普及してしまったために、それをどう理性的に納得するかという問題が発生し、そのため複雑でアクロバティックな教理を構築してきて、一大文化遺産とでも言うべきものにまで発展してしまった宗教。 それに対する、ナイーブな批判に重みはどのくらいあるのだろうか。

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2005.01.10

唯理神之書 永遠之福音

ヰリヤム・ブレイク著、壽岳文章譯、『唯理神之書 永遠之福音』、沖積舎、1989年を買う。

本書は、ウィリアム・ブレイクの "The First Book of Urizen"(唯理神(=ユリゼン)之書)と"The Everlasting Gospel"(永遠之福音)の寿岳文章による翻訳。 それぞれ、初出は、昭和7年と昭和13年に、100部と80部という少部数を、和紙にコロタイプ印刷(ガラス版版画)したもの。 その活字をなるべく再現しつつ、普及可能な形で出版されたのが本書。

ブレイクといえば、『天国と地獄の結婚』、『無心の歌』、『有心の歌』が有名で、これらは岩波文庫角川文庫平凡社ライブラリーなどのバージョンもあり、それらは持っていた。 今日、本書を偶然に売っているところを発見した。 よく見ると、収録された作品は、持っていないものばかりだったので購入した。

レイ・ファラデイ・ネルスン著、矢野徹訳、『ブレイクの飛翔』、ハヤカワ文庫SF、1995年で、ユリゼン(ユリズン)の話は印象的だったので、読むのが楽しみ。 もちろん、『ブレイクの飛翔』のお話はあくまでSFなのだが。

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2005.01.09

WāqWāq 1

藤崎竜著、『WāqWāq -ワークワーク- (1)』、集英社 ジャンプコミックス、2005年を読む。

本書は、『封神演義』の藤崎竜の最新作。 異世界ワークワークに、神としてさらわれた少女を巡る物語。

異世界ワークワークは、機械と黒い血の流れる人が住んでいる。 人よりも機械の方が強く、人は襲われるのを恐れている。 ただし、この機械に対抗できる力を持った防人という連中が7名いる。 防人は、護神像というものと合体して、機械と戦う。 そして、この世界は、昔、赤い血の流れる神が創ったが今は不在であり、いつか再臨するという伝説がある。 それで、異世界に拉致された少女は、神の血を祭壇にささげて、願いを叶えようとする陰謀に巻き込まれるというお話。

藤崎竜の独特の絵とセンスが、この作品では、いい感じに出ている。 表紙の絵を見て、気に入ったら、おすすめかも。

ストーリーの方も、一筋縄ではいかなそうでおもしろい。 たとえば、赤い血の人間に機械は引き寄せられるが、黒い血の人間は憎悪を喚起されるとか、なぜか防人が合体する護神像はどう見ても機械そのものだとか、いろいろありそう。 更に、護神像には、Amsha Spentaという文字書かれているが、これはゾロアスター教の7人(あるいは6人)の精霊アムシャ・スプンタ(慈悲深い神々)を表していたりするし、この巻で出てきた護神像の名前もアムシャ・スプンタのものだ。 さらわれた少女の名前も松田だったりして、これまたゾロアスター教の神アフラ・マズダー(Ahura Mazdah)を連想させる。

次巻に期待。

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2005.01.08

貧血

仕事でお世話になっている方が、入院したので、お見舞いに行く。

年末に、いきなり、仕事でお世話になっている方が、心筋梗塞で入院された。 手術も終わり、リハビリに入っているというので、お見舞いに行った。

ところが・・・

治療というか、手術の話を聞いていて、気持ちが悪くなり、貧血を起こしそうに・・・

わたしだめなんです、血とかそういう話。

採血されると、それだけで貧血を起こしそうになるくらい。 というか、治療室で他人が治療されているのを見ると、それだけでも具合が悪くなってくる。

今回も、同行者や当人が、いたって平穏に会話していた中で、自分一人だけ、どんどん気分が悪くなっていき、吐き気がしてくるのだった。

ときたま、「医者って、やりがいや社会ステータスや収入の面でいいよね」って思うことがあり、憧れることがある。 けれど、自分が、血とか内臓とかそういう話がここまで苦手なので、適性はなさそう。

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2005.01.07

100人の魔法使い

久保田悠羅とF.E.A.R.著、『100人の魔法使い』、新紀元社、2004年を買う。

本書は、史実、伝説、SF、ファンタジーと分野を非常に広くとり、「魔法使い」という大きなくくりに入る人物を紹介した本。 「はじめに」にも書かれているが、実際には「100人」ではなく、大項目で38人。 その中の小項目で紹介されている人物を入れると100人を越えるという感じ。 具体的には、たとえば、大項目「アレイスター・クロウリー」で、その中の小項目で「マクレガー・メイザース」と「アラン・ベネット」が紹介されている。

オカルト的な史実や伝説と、現代のSFやファンタジーの登場人物を、ごちゃまぜに紹介しているのに、最初、違和感を感じた。 というのも、ある割合の人々が真実だと信じているものと、最初からフィクションだと思っているものは、やっぱり別の本で紹介して欲しいからだ。 たとえば前者だったら、いわば「オカルト人物録」で、後者だったら「ファンタジー案内」のような本を期待したい。

でも、読んでいくうちに、だんだん、その気分が薄れてきたのには、我ながらびっくりした(いや、それでもやっぱり違和感の方が大きいけど)。 たとえば、薔薇十字運動のクリスチャン・ローゼンクロイツは、完全に架空の人物。 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエの『化学の結婚 -- 付・薔薇十字基本文書』(種村季弘訳、紀伊国屋書店、2002年)も、ひょっとしてファンタジーと言えるかも知れない・・・。 でも、これは、ファンタジーではなく、オカルトの方で紹介して欲しい・・・。 そんな感じだ。

さらに、本書の特徴として、実在の人物の実像を容赦なく書いているということが挙げられる。 パラケルススやアグリッパ、ジョン・ディー、ニコラ・フラメルなどをはじめとして、結構、辛口で紹介されている。 まだ、フィクションの方が、最初から虚構な分だけ、実像を暴きようがなく、夢が壊れないとも言える。

なかなか変わった魔法使いの紹介書かも。

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2005.01.06

金魚屋古書店 1

芳崎せいむ著、『金魚屋古書店 (1)』、小学館 IKKI COMICS、2005年を読む。

本書は、マンガ専門の古書店・金魚屋を舞台にした物語。 古書店と言ってもいろいろあるが、金魚屋は、一見、町の小さな古書店。 しかし、店内には古いマンガがそろえられ、地下の倉庫にはたくさんのマンガが収められている、そんな古書店だ。 その古書店で、マンガへの熱い想いに支えられた出来事が起こるのを描いたのがこの作品。 出て来るマンガは、全部実在のものだ。 たとえば、本書の場合、杉浦日向子の『百日紅』やジャン・ジロー(メビウス)の『Blueberry』などなど。

なお、『金魚屋古書店出納帳 (上・下)』というのもあり、本書はこの続編。 一応、単独でも読めるが、『金魚屋古書店出納帳』を読んでおいた方が、登場人物のディテールがよくわかり、味わいが深くなると思う。

ちなみに、「月刊まんがの森」の2005年1月号、vol.84には芳崎せいむのインタビューが掲載されている。

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2005.01.05

市場の中の女の子

松井彰彦文、スドウピウ絵、『市場(スーク)の中の女の子 -- 市場の経済学・文化の経済学』、PHP研究所、2004年を読む。

本書は、なぜか大型パソコンショップで、イロモノの本が並べられたコーナーに置かれていたので、手に取ってみた。 内容は、ストーリー仕立てで、経済学を紹介するというもの。

お話は、『不思議の国のアリス』などのように、現実と幻(夢)の2層構造になっている。 現実側では、本が好きな路香(みちか)という少女、それから東大らしき大学院で近代経済学を勉強しているとかいうお姉さんの間でお話が進む。 経済学の図書館で眠り落ちた路香は、幻側に迷い込む。 幻側は、14世紀くらいの世界(地中海-中東-日本)が舞台だが、これは現実の14世紀ではない。 奴隷として売られるところを、アラビアのジャジーラという国の王子ギルに助けられる。 そして、お供のイブン、お姉さんそっくりなニーモシュネ姫の間でお話がすすむ。

これらのストーリーで語られることは、貨幣とは何かということ。 そして、貨幣をはじめとして、たくさんの人が使うことで、利便性が高くなるものがいろいろあるということ。 それと、市場のしくみ。 そして、文化についてなどなど。

これらは、経済の話のたぶん非常に一部分で、その範囲では、本書はわかりやすく書かれている。

ただ、どうも気になるのは、この物語で解説者の役割を果たしている、お姉さんのスタンスだ。 お姉さんは、既存の「市場の経済学」を越えた、新しい「文化の経済学」を志していて、その視点から、いろいろ語っている。 しかし、その「文化の経済学」の正体は、あいまいで比喩的な説明に終始していて、よくわからない。

わたしは、経済学のことをよく知らない。 そういう人にとっては、この本に書かれていることは、どういう派閥の人の意見に基づいたものなのか、偏向していないのか、妥当なのか、そういうことは判断できない。 一見、わかりやすくパッケージされた物語だけに、そういうところが気になった。

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2005.01.04

雲のむこう、約束の場所

新海誠監督作品、『雲のむこう、約束の場所』を観に行く。

新海誠は、『ほしのこえ』という25分のアニメ作品で有名。 『ほしのこえ』は、PowerMac G4を使い、個人で作成したということも話題になった。

今回の『雲のむこう、約束の場所』は、オルタナティブ・ヒストリーもののSFで約1時間半の作品。 やはりメインにMacを使って作成されており、メイキングが、Appleのサイトで紹介されている。

ストーリーは、1970年頃に、日本が津軽海峡で南北に分断され、緊張状態にある。 北海道は蝦夷と呼ばれ、ユニオンという国家になっている。 蝦夷の中心には、謎の高い塔がそびえている。 この塔は、場合によっては東京からでも見ることができる。 塔は、平行宇宙に関する機能を持っているらしいが、その詳細は日本側には不明だ。 青森の中学生、藤沢浩紀と白川拓也は、その塔まで行ってみたくて、ひそかに飛行機を作っている。 そして、その同級生の沢渡佐由理の3人組。 その青春の日々と、終わり、再生を描いたのがこの作品。

人が人を想う気持ちの豊かさを、淡々と、しかし熱く語っている。 見ていて、一人一人の人間の能力の範囲で、大きな物語を描こうとしたため、国家の統制のレベルが結構お粗末になってしまっているのが、ちょっと気にはなった。

ちなみに、作品の出来とは関係ないが、青森のネイティブの少年少女たちは、たぶん、この作品みたいな口調では話さないと思う。 これは、以前に、葛西伸哉の小説、『世界が終わる場所へ君をつれていく』のときにもそう思った。 もっとも、その辺をリアルにしてしまうと、相当違和感のある作品になってしまいそう。

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2005.01.03

秘密商会しすあど!

しすあど!制作会著、『秘密商会しすあど!』、ローカス、2005年を読む。

本書は、萌え系の初級シスアド試験の参考書。 昼間は小学生で、放課後にご町内で悪をはたらく「ころころ団」の総統「ころな」が、大好きな隣にすむニートなお兄ちゃんを就職させようと、「ろーかす」という会社を乗っ取ろうとする。 それに対抗するは、学校では仲のよい「べるの」で、実は正義の味方「べるうぃんぐ隊」の総隊長。 二人はお互いにそのことを知らないが・・・というストーリーで、初級シスアド試験に必要な知識が紹介されていく。

本書のページ数はおよそ230ページで、フルカラー。 値段も1300円(税別)と手頃。 ただし、練習問題などはついていなくて、事項の短い解説のみ。 初級シスアド試験の非常に広い出題範囲を薄い本でカバーしようとすると、こうなるのかも。

解説には、さまざまなアニメやマンガの例が使われている。 ただし、20代後半から30代後半までくらいの人にぴったりなネタが多いような・・・。

資格試験の本を読み通すには、結構、忍耐が必要なので、短くて、ストーリー仕立て(もっとも、ストーリーとして苦しいところも)というのは総論として基本路線としてはいいかも。 ただし、各論として、この本だけで初級シスアド試験の対策になるかというと、微妙かもしれない。 なんとなく、問題集のようなものを別にやった方がよさそうかなという気が。

追記

技術評論社の株式会社ローカスの発刊書籍の著作権侵害についてによると、本書には、技術評論社の「平成16年度秋期 初級シスアド合格教本」(ISBN4-7741-2043-X)と同じ表記や類似点が30箇所以上発見されたとのこと。

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2005.01.02

カリスマ 上・下

新堂冬樹著、『カリスマ (上・下)』、徳間書店、2001年を読む。

本書は、カルト宗教のグルと脱会カウンセラーの戦い(?)を描いた作品。 先日、この本をコミックス化した作品を読み、興味を抱いたので、読んでみた。

著者の新堂冬樹氏は、当時、この本を書くまでは闇金融関係の小説が多かったらしい。 そのためか、セックスや個人のコンプレックスの表現などに関して、かなりエグい表現が多い。

ストーリーは、かつてカルト教団に母が入信し、その結果、家庭が崩壊。 そのことが原因で争いとなり、母が「悪魔に取り憑かれた」父を刺殺して、母自身も「悪魔をえぐり出す」ために内臓を切り裂いて自殺するという事件が発生。 その両親の子どもが、かつての出来事への執着から、自分でカルト教団を設立し、かつての事件の団体以上の組織を作り上げる。 そして、この教団、教祖の母の若い頃に似ていたためターゲットにされた女性の家庭、脱会カウンセラーの間の物語を描いたのが、この作品だ。

特徴としては、教祖や幹部、教団にターゲットにされた被害者たちの、内面の醜さをかなり書き込んでいること。 洗脳の方法とプロセス、そして洗脳された信者の思考内容を描いていること。 大どんでん返しがいくつも用意されていることなどだ。

本書で描かれている洗脳の方法論は、大きく分けて2つ。 1つは、勝手に信者がいろいろな矛盾を正当化して、かつ思考停止するための方便の活用。 もう1つは、隔離された空間で、粗末な食事と、少ない睡眠、疲労の状態で、同じことを延々と考えさせて脳をパンク状態にして、荒唐無稽な話を受け入れさせる方法だ。

前者は、たとえば、教団によくないことが起こったり、信者が教団に入信しても救済されなかったとしても「全知全能のメシアだから、本当はなんでもできる。でも、すべては信者の成長のために、敢えて試練を課している。これはお前が試されているんだ」という、オウムをはじめとして使われていたレトリック。 これは、教団の提供する救いが、実は空虚であることを隠蔽できる。 ちなみに、こういうレトリックは「信者の努力や修行の進度が足りないからダメだった」とかいうものにも代替可能だ。 それから、「この世のすべては、幻影(マーヤー)であり、我欲である。これに囚われていると地獄に堕ちる。それらの執着を捨てる必要がある」という、仏教っぽいレトリック。 これは、世間常識や、他人に対する迷惑を慮る気持ちを抑え込み、教団に入ったことで、今までの生活が破壊されることを、よしとさせるテクニックだ。 実は、これらのレトリックは、カルトに限らず、宗教等、他の団体などでも、用語は異なっても使われている場合がある。 特に宗教とある程度深く関わるつもりの場合には、その危険性には十分に留意しておきたいものだ。 このような団体の責任回避と日常生活の破壊のレトリックが極端に濫用され、その結果、ひどい事態が発生するというのが、この種の問題のポイントになる。

それから後者の洗脳のメカニズムは、米本和広がヤマギシ会を取材して書いた『<増補・改訂版> 洗脳の楽園 -- ヤマギシ会という悲劇』(宝島文庫、1999年)だったと思うが、神経生理学者の澤口俊之が提示した脳のワーキングメモリーがパンクして洗脳されるという「仮説」に依拠している。 洗脳のメカニズムが本当にそうなっているのか、どうなのかはよくわからない。 しかし、方法論として、経験的に、極限状態で同じことをくりかえし考えさせるというのは、有効ではあるのだろうと思う。

なお、脱会の過程は、資料がなかったのか、ほとんど描かれない。

これまでの自分を否定され、カリスマに依存するしかない状況におかれた信者。 それが、なんらかの原因により、その信じる対象がなくなったり、教団を追い出されたりすると、信者は宙ぶらりんになり、回復には時間がかかることだろう。 教団にいても、やめても、度合いや質の差はあれ、精神的にきつい状況であることには違いがないような気がする。 そういう意味では、ヤバい団体に対しては、関わらないようにする予防が本来は重要だろう。

さて、本書では、ネタバレになってしまうので書かないが、脱会カウンセラー側にもかなりトンデモない設定があり、相当に救いのない結末が描かれる。 全編を通じてかなりエグい小説だった。

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2005.01.01

新年企画 易占 2005

解→恒

昨年の1月1日に続いて、易を立ててみた。

易占の結果は、本卦が雷水解、之卦が雷風恒。

概論として本卦と之卦を見る。 本卦の「解」は、「困難が解消する。西南の方向にいいことがある。行くところがなければ戻り、行くなら早く行くとよい」という感じ。 之卦の「恒」は、「恒を守る。うまくいく。あぶないことはない。首尾一貫していればいいことがある。実行することはうまくいくだろう」という感じ。

次に、各論である爻辞。今回は、1つしか爻が変化していないので、本卦の変化しているところの爻辞を読んだ。 「六三。荷物を背負ったもの(小人)が車(位の高い人の乗り物)に乗り、狙われる。正しくてもあぶない」という感じか。

比較的いいことが書いてある解と恒。 それを繋ぐ解の六三に警告が出ている。 この警告は、もう少し詳しく解説が書いてある象を読んでみると、「荷物を背負って車に乗ることは、醜いこと。自ら狙われたようなもので、誰を責められよう」という感じ。

分不相応なことはやばいよというニュアンスがある。 ・・・って、既に、昨年末に分不相応なお願いを2件されていたりするんですが・・・。 むむむ。

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