憎悪の宗教
定方晟著、『憎悪の宗教 -- ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』、洋泉社 新書y、2005年を読む。
本書は、仏教学者の定方晟が、ユダヤ、キリスト、イスラム教を、憎悪を宿した「ヤルダバオト」の宗教であるとして、批判した本。 たとえば、旧約聖書では、どう考えても、残酷や不道徳や不条理なことにしか思えないことが、書かれていて、しかも賞賛される人物がそういうことをしていたりする。 神も妬む。 愛や平等や寛容なども説かれる一方で、それと正反対にしか見えない話も堂々と説かれる。
正統のキリスト教が排斥したグノーシスの人たちの主張の方が、むしろ現代的で理性的に見えるくらいだ。 更に本書では、ユダヤ教もキリスト教も、当時のローマの知識人の目から見ると、迷信、有害な教え、などなどに見えたという証言も引用されていて、興味深い。 更に、これらの宗教の間で、互いに批判や嫌悪や排斥しあっている様子なども紹介されている。
筆が暴走していたり、恣意的に見えるところもあるが、全般的にはそんな感じでまとめられている。 著者は、「ひとは自分に欠陥があることを知るとき他に対して寛容になる」ので、ユダヤ、キリスト、イスラム教が寛容になるために批判したと、あとがきで書いているが・・・、この試みが成功したかどうかはよくわからない。
この種の矛盾をたくさん抱えていたのに普及してしまったために、それをどう理性的に納得するかという問題が発生し、そのため複雑でアクロバティックな教理を構築してきて、一大文化遺産とでも言うべきものにまで発展してしまった宗教。 それに対する、ナイーブな批判に重みはどのくらいあるのだろうか。
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