グノーシスの薔薇
デヴィッド・マドセン著、大久保譲訳、『グノーシスの薔薇』、角川書店、2004年を読む。
本書は、"The Memoirs of a Gnostic Dwarf"(1995)の翻訳。 カタリ派のリヨンの儀礼書などを伝えるグノーシス派の教えに誘われた、ペッペ(ジュゼッペ・アマドネッリ)が、レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)の側近を勤めた顛末を記した回想録の翻訳という体裁を取っている。
ペッペは、1478年にローマの一角生まれた。 体が曲がり、小さい。 父は不明で、母は貧しく、苦しく暗い生活。 そんな中で、ラウラという少女に出会い、グノーシスの教えに触れる。
この物質世界は、ソフィアの過ちによって誕生した愚かなヤルダバオトに創造されたダメダメな世界。 肉体という牢獄に囚われたわたしたちが、聖なる知識によって真の神の元に回帰するのだという教えは、ペッペにとっては、非常にリアリティのある話だった。 ペッペは、ラウラから、グノーシスの教えや様々な学問の手ほどきを受けていく。
しかし、その幸せの日々は、長くは続かない。 そして、底辺から、天上までの生活を流転していくことになる。 ペッペ自身、この回想録の執筆からそう遠くない将来に死因不明で亡くなっている。
時代的には、1500年前後の30数年間。 ちょうど、冲方丁作、伊藤真美画、『ピルグリム・イェーガー 』、少年画報社と同じ時代設定。 登場人物も、レオ10世、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、etc.と重なっている。 ちなみに、本書の表紙は、ラファエロの描いたレオ10世の一部だ。
教皇レオ10世に、気の効いたおもしろい奴として側近に取り立てられたペッペが、そんな時代を描き出す。 ペッペの記す、教皇のレオ10世は、どんちゃん騒ぎが大好きで、文化的なものに大量の金をつぎ込む浪費家、小心者、男色家。 スペインとフランスとの外交に頭を悩ませ、ルターに怒りまくる。 醜いまでに俗っぽい。 レオ10世だけでなく、偉人も大衆も、グロテスクでスキャンダラスな趣味にまみれている。 更に、自分の信奉する、グノーシスの儀礼や、師も、理想とは裏腹な側面を表す。 しかし、そんな聖俗美醜まみれた世界を、寛容に平静に記している。
これって、グノーシスの二元論的な世界観の信奉者としては、ちょっと不思議な神経の持ち主だなと思った。
ところで、帯には「『薔薇の名前』の荘厳さに『ダ・ヴィンチ・コード』の面白さが出会った!!」とあるが、そのようには期待しない方がいいと思う。
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