再魔術化へ
スーパードルフィー公式設定に関するまとめサイト(ARTIFACT-人工事実-の「すごいことになっているスーパードルフィー公式設定」経由)を読んで茫然とする。
ちょっと大きくて精巧で、本体だけで数万円する人形・スーパードルフィー。 ガレージキットで有名なボークスが売り出した商品だ。 ダッチワイフのようなものではなく、アンティーク・ドールの現代版・・・、いや、この説明も実像をあんまり正確に伝えていないと思うが、ほかには適切な言葉が思い浮かばない。 この愛らしく、それでいて鋭利な印象を残す、このスーパードルフィーには、女性を中心にコアなファンがついている。
もともと、「ドール」の趣味には、本体、各種のカスタマイズ、服、ケアと、お金が湯水のようにかかる。 ほとんど、パソコンを自作して、次々に増設するようなお金のかかり方。 ドールを購入すること自体、高い障壁を持っている。
そんな趣味性が高く、購入者の思い入れも半端ではないドールに、いきなりある日、「すごい公式設定」があることが告げられたら、それは驚くだろう(スーパードルフィー公式設定に関するまとめサイト内の【問題のパンフレット画像:心美しきあなたからの訪問者】 参照)。
非常に高額な商品であり、そういう商品の場合、たしかに「大きな物語」と「個別性」というのが、展開としてはとても重要だろうと思う。 たとえば、同じくボークスで販売している永野護のコミックス『F.S.S.』のモーターヘッドやキャラクターのガレージキットも、スーパードルフィーほどではないが高額商品。 これも、造型の高度さはもちろんだが、販売上、その背後にある「F.S.S.」という物語自体の力が無視できないと思う。 そういう他人が既に用意した物語がないドールの場合、造型の力と、購入者の個別の思いが、ムーブメントの牽引力になってきたような気がする。 ここに、「物語」を用意できれば、最強と思ったのか、それとも思いが暴走してしまったのか・・・。
ふと、よく内閉化してコアになっていく団体で、ありがちな話を思い出した。 最初は、ちょっと趣味的ではあったがいいサークルだった。 それで、人が集まって活気が出てきた。 あるとき、とんでもない話が出る。 ついていけない人がやめて、ついていける人だけ残る。 より高額で極端な方向に走る。 またついていけない人がやめて、それでもついていける人だけ残り・・・。
ボークスの作品は、スーパードルフィー以外にもいろいろあって、これまで目を楽しませてきてもらっただけに、今後の展開には注目したい。
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