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2005.05.31

ハツカネズミの時間 1

冬目景著、『ハツカネズミの時間 (1)』、アフタヌーンKC、2005年を読む。

これは、管理された学園を舞台に、思わぬことから自由になるための戦いへ赴かざるをえなくなった少年少女の物語。 管理と言っても、蒼崚学園は、多大な力を持った製薬系の企業に統治され、生徒はみんな(少なくとも記憶の範囲では)外に出たことがない。 英才教育機関であると、生徒には信じさせているが、実際の正体は不明だ。 そして、そこに暮らす少年の前に、かつて外の世界に逃亡した少女が帰ってきたことで、昔の記憶がよみがえり、学園の偽りの姿が垣間見えてくる。

わたしにとって、管理された学園ものは、どことなくレトロな雰囲気がして、懐かしさを感ぜずにはいられない。 本作品は、そういう意味でバッチリ。 恩田陸の『ロミオとロミオは永遠に』(早川書房、2002年)以来な感じ。 もっとも、こういう設定の場合、理論的に破綻したり、支配側がお間抜けになってしまったりすることがあるので、期待と不安が半分半分でもあるのだけれど。

次巻に期待。

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2005.05.30

自分と向き合う! 究極のエンカウンター

國分康孝、國分久子編著、片野智治、岡田弘、吉田隆江編集協力、『自分と向き合う! 究極のエンカウンター -- 國分康孝リーダーによる2泊3日の合宿体験』、図書文化、2004年を読む。

本書は、2003年3月27-29日に行われた、國分康孝をリーダーとして46人が参加した構成的グループエンカウンター(SGE)の記録(注・セッションの詳しい記録ではない)、振り返り、解説で構成された本。 当日はビデオも撮影されており、発売するつもりもあるらしい。

國分康孝と言えば、構成的グループエンカウンターの大家であり、河合隼雄と並んでいろいろな意味で話題になる人。 個人的には、『カウンセリングの理論』(誠信書房、1981年)はわかりやすくてよかったと思う。 その國分康孝が元気なうちに、構成的グループエンカウンターの実際を記録しておこうとして企画されたのが、本書とビデオである。 なお、構成的グループエンカウンターとは、普通のエンカウンターはとにかく今の自分に正直にグループと接するというセッションだが、これはいろいろと使いにくいので、エンカウンターの姿勢はそのままで、エクササイズを行い、それを通じて自分に出会ったり、他人と触れ合うというものだ。

本書は、たぶん、この種のものに出たことがない人には、わかりにくいだろうと思われる。 また、基本的に、完全な初心者向きの本でもなく、ロジャーズ派、交流分析、ゲシュタルト療法、理性感情行動療法などに関して、何の説明もなく唐突に話が出てくるので、これらに関して少なくとも初歩的な知識は必要である。 なお、このようにいろいろな理論を折衷して使用することは、『カウンセリングの理論』でも推奨しているが、國分康孝の特徴だと思う。

どんなセッションだったのかは、結局、その場に参加しないと理解するのは難しいが、本書には、どんな体験を通じて、どんな気づきがあったのかについては、かなり明確に記載されている。 一人一人が、それぞれのセッション終了後に振り返りを紙に書いた(と思われる)ものが、引用され、それに國分夫妻のコメントがつけられている。 この振り返りの中には、同じ出来事を別人の視点から書いたものも含まれ、多層的にセッションを描き出している。 参加者が、非常に構成的グループエンカウンターに慣れている人たちであったこともあるのだろう、紹介されている体験や気づきは、読んでいて「いいなあ」と思えるくらい豊かだ。

その一方で、このセッションの記録を読むと、「形式上」は、非常に自己啓発セミナーに類似したところが見られる。 典型的には、本書の冒頭にあるセッションの様子を記録した、10点ちょっとの写真だ。 写真だけ見せられたら、ほとんど、区別がつきそうにない。 また、エクササイズ自体もよく似たものが見られる。

もちろん、リーダーの思想、目的、背景、技量などは全然違うし、それ故、形式上は似ていても、内実は異なったものになっている。 しかし、それは逆に言えば、リーダー次第では、同じような道具を使っても、十分にアレな内容に転化することを物語っているのだろう。

では、その違いを生むものは何なのか? いや、本質的には思想の方向性が異なるだけで同じものなのか?

使う場合には、体験的なセッションや学習が持っている有効性/危険性(それはコインの裏表だろう)を認識して、使って欲しい。

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2005.05.29

スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー

「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー 初回限定スペシャル・プライス版」、ジェネオン・エンタテイメント、2005年を観る。 評判がアレだったので、特典映像のディスクがついているプレミアム・エディションではない方を購入した。

「スカイキャプテン」は、2004年の秋に日本でも公開された映画。 ストーリーは、1939年に連続科学者失踪事件の発生する中、ニューヨークに巨大飛行ロボットの大群が来襲。 新聞記者のポリーと、その元(?)恋人スカイキャプテンが事件に立ち向かうというもの。

予告編などを観ると、レトロSFアドベンチャー感動巨編のように思えるが、実際にはそんなことはない。 そういうものを期待して、この映画を観た人は、きっと怒っただろうと思う。 この作品は、パルプ・フィクションの世界をCGを駆使して映像化。 豪華なキャストを配しながら、そういうものを全部活かさないで、すべりまくったラブコメをやっている。

巨大な飛行ロボット、オーニソプター、触手ニュルニュルのロボット、謎の女性、これらは非常にかっこいい。 何でできているのか謎な強度をほこるP-40戦闘機、飛行船、飛行要塞もすごくかっこいい。 カットだけみれば、かっこいい映像が繰り出される。 さらに、荒唐無稽なストーリー、薄っぺらいコテコテな登場人物も、パルプ・フィクションを思わせる。 でも、それが組み合わされた作品は、笑えないラブコメ・・・。

これらの素材を組み合わせれば、感動巨編だって、できた可能性がある。 いや、予告編がまさにそんな感じなんだけど・・・。 もしも、あえてこんな展開にしているのだったら、すごすぎる。 なにしろ、主役(?)のスカイキャプテンが、張り子の虎に見えるくらいなのだ。 普通の映画を期待する人向けではないと思った。

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2005.05.28

星は、すばる。

日渡早紀著、『星は、すばる。』、白泉社文庫、2005年を読む。

本書は、作者と同姓同名(だが、特に意味があるわけではない)の高校生の女の子が活躍する、恋愛ものの連作コミックを全一冊にまとめたもの。 第一作目は、作者のデビュー作でもあり、SFっぽいコメディ作品になっている。

本シリーズの主人公の日渡早紀は、天体観測が好きで、思い立ったら即実行系の女の子。 ストーリーがすすむと、彼女は、星野くんという、饒舌に感情を表現するようなことはしない男の子と付き合うことになる。 この組み合わせは、動と静の好対照になっていて、それがいろいろな行き違いを生じる。 しかし、この行き違いを通して、相手のこと、そして自分を知っていくというプロセスが、この作品では丁寧に描かれている。

本作は日渡早紀の初期作品で、少女マンガの絵と、少女マンガの約束で構成されている。 後に、彼女は大きく独自の世界を切り拓くことになるのだが、本作にもその予兆のようなものが感じられた。

それから、単行本に初収録の「猫なんか大嫌い」は、個人的には好きな作品。 うまくいかなくて、痛くて、夢が壊れて、色褪せた現実にもどり、それでも・・・という、ダークなトーンが、かっこよく描かれている。 とは言え、あまり「花とゆめ」っぽくないというか、ちょっと前にエンディングを迎えたばかりのシリーズとカラーが違いすぎるというか、連載当時、読者から拒否反応があったというのもわからないでもないような。

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2005.05.27

よくわかる現代魔法 たったひとつじゃない冴えたやりかた

桜坂洋著、『よくわかる現代魔法 -- たったひとつじゃない冴えたやりかた』、集英社 スーパーダッシュ文庫、2005年を読む。

本書は、以前取り上げた『よくわかる現代魔法 -- jini使い』の続編。 《魔女のライブラリ》編の完結らしい。

《よくわかる現代魔法》シリーズは、古典的な魔法の他に、コンピュータの普及にともなって、大規模な並列処理プログラムとして魔法を操る現代魔法が発達したという設定。 《魔女のライブラリ》編では、転生(?)を繰り返し、その度に災厄をもたらしてきた魔女ジギタリス。 そのライブラリを奪取しようとする魔法使いたちと、主人公たちの戦いを描いてきた。 主人公側には、現代魔法、古典魔法のスペシャリストがそろっていて、それでも対処が困難な強力な敵と戦う。

しかし、当のシリーズの主人公は、はっきり言って、魔法がうまく使えない。 できるのは金たらいを出現させることくらい。 その友だちも、コンピュータは使えるけれど魔法は使えない。 この巻で最も活躍する人物に至っては、魔法なんて信じたくないし、嫌いだ。

そういう連中をキーに据えることで、単なる力による魔法バトル合戦でない豊かさを獲得している作品になっている。 ゲームの上級プレイヤーには見えてこない、ルールの外側にある世界がそこにはある。

「S-Fマガジン」の2005年7月号には、桜坂洋の短編とインタビューが掲載されていた。 なお、インタビュー中で、インタビュアーが「オンラインの対戦格闘ゲームは現実にはまだない」という話を出して、桜坂洋は「MMO格闘はありそうでない」と返している。

いまいち、どういうゲームを話題にしているのかよくわからないけれど、いわゆるオンライン対戦格闘ゲームであれば存在している(もちろんタイムラグのために、ゲームセンターよりもかなりもっさりしたプレイ感覚になる)。

たとえば、手持ちのゲームでは「CAPCOM VS. SNK 2 ミリオネア ファイティング 2001」という2001年に出たPlayStation2用のものが、KDDIの「マルチマッチング」サービスを使用して対戦できた。 知っている限りで古くはDreamcastの「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム」1999年(当時はKDDI DOD)、最近ではPlayStation2の「機動戦士ガンダム ガンダム VS. Z ガンダム」など。

マルチマッチングは、当時はモデムで電話回線を使ってサーバに接続する形式で、現在ではブロードバンド接続にも対応している(それでも、ゲームセンターでやるのに比べるともっさり)。 電話回線の方は、チャットが3分10円、対戦が1分10〜13円という金額設定で、廃人になると信じられないくらいの金額になるのがポイントだったが、これはブロードバンドで定額になり、解決された。

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2005.05.26

出会い系サイト(?)のSNSっぽい勧誘メール

出会い系サイト(?)からのSNSっぽい勧誘メールが届く。

昨年くらいから、アダルト・サイトの宣伝メールが、釣りっぽいものになってきた。 たとえば「わたしがナンパしてエッチした」という設定の女の子が、「また会おう」と言ってくるメールを装ったもの。 「エッチな出会いを求めている女性のサークル」や「男性が少ない出会い系サイト」に招待しますというもの。 「わたしが登録している出会い系サイト」からのメールという設定で、「わたしが指名された」というもの。 「一万円分無料でお試しできる」というもの。 中には、From:やReply-To:、X-Mailer:を見ただけでも笑えるものも多い。

というか、そもそもあり得ないシチュエーションなんだけど・・・。 あり得たり(多いんでしょうか? まさかね)、撒き餌とわかって喰いついてみる人って、どんな人かを想像すると楽しい。 って、そういえば、「真剣に」出会い系サイトに登録し、かつすすめるような人物にも会ったことがあるので、世の中、まだまだわからないことが多いのかも。

それで、今日来たメールは「○○さんから紹介メールが届いています」というもの。 なんでも、○○さんがわたしを、コミュニティサイト△△に招待しているのだそうだ。 一瞬、Subject:を見ただけだと、SNSかなんかかに見えた。 文面を読めば(いや、Subject:からもかなり明らかだが)、明らかにアダルトサイトか(メールの文面が真実なら)出会い系サイトなんだけど、どことなくSNSっぽい雰囲気をかもしだしている。 いや、そもそもSNSの招待メール自体が、どことなく出会い系っぽい書きっぷりになっているんだろうけど。

今回の場合は、そもそも苗字が書かれていない招待メールだったので明らかだった。 だけど、FOAFのデータみたいなものを掻き集めて、知人を装い、SNSへの招待メールみたいな感じでSPAMが来るようになると、かなりウザくていやかも。

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2005.05.25

ウラBUBKA 2005年7月号

「ウラBUBKA」2005年7月号、コアマガジン社を買う。 これが最終号とのこと。

オタク系のサブカルに関するウラ記事が多い月刊誌だった「ウラBUBKA」が9冊目にして終わりを迎えた。 個人的には、「毎回ネタを見つけられるのか」と読者の方が心配しちゃうような雰囲気が漂う、ドキドキ感がおもしろかった。 って、ほめてないな。

ちなみに今回のメイン特集は『ドラゴンボール』。 クルクルレバーを回転させて気を溜めて、必殺技を撃つという、SEGAのアーケード版のゲームの話が懐かしかった。

それから、エロ漫画の特集もあった。 この特集の「消えた(?)エロ漫画家」という記事で「一時はエロ漫画誌の編集長まで勤め」「コミケの米沢代表すらもはや連絡が取れない」と書かれている蛭児神建は、「Comic 新現実」Vol. 4、角川書店、2005年から、「自伝 魂の彷徨」というカミングアウトしまくりの連載をはじめていたりする。

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2005.05.24

式神の城 ねじれた城編 1

アルファ・システム、キッズステーション原作・企画、是空とおる脚本、たかなぎ優名漫画、『式神の城 ねじれた城編 (1)』、マガジンKC、2005年を読む。

本書は、シューティング・ゲーム「式神の城 II」に相当するストーリーのコミック。 本作は、前作「式神の城」で、神を滅ぼしたために、自身が神になってしまった熱血バカ少年探偵の玖珂光太郎が、世界と一体化した自分の兄と戦うことになるというのが、おおまかなお話。

このように、話の大枠は最初から決まっていて、たぶんそれを知っている人がメインな読者層になっていると思われる。 一方で、ストーリーの細かいところはゲームの方では提示されておらず、マンガ化のポイントの一つはそこにある。 本書は、前作から、ゲームの制作元の監修を受け、登場人物一人一人と語られていなかったディテールを描き込んでおり、けっこういい感じ。

個人的には、「式神の城 II」のポイントとなるキャラクターは、立ちふさがるすべてを打破し、惚れた先輩を追いかける女・ニーギだと思う。 本書には、ニーギの挟持、生き様に根ざした自信が魅力的に描かれている。

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2005.05.23

ずばっと図解 一気にわかるデータベース

小泉修著、『ずばっと図解 一気にわかるデータベース』、日本実業出版社、2005年を読む。

これは、データベースの知識を、一通りすっきり解説した本。 同じ著者で、同じ出版社から出ている本に『図解でわかるデータベースのすべて』があるが、これよりはかなり短くまとめている。 各項目ごとに見開きになっているので、全体の構造は見やすい。

非常に短時間で、一通り勉強したい場合には適当な本だと思う。 逆に言えば、SQLの書き方、データベースの設計など、特定の目的を持っていて、それを詳しく学ぶには向かない。 また、ちょっと図に情報が詰め込まれ過ぎていたり、図がわかりにくかったりするところも。

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2005.05.22

風神秘抄

荻原規子著、『風神秘抄』、徳間書店、2005年を読む。

本書は、《空色勾玉》シリーズや《西の善き魔女》シリーズの荻原規子の最新作。 舞台設定は、《空色勾玉》シリーズに準拠しているが、独立に読むことができる。 時代は、平家の天下の時代の終焉を予感させる平治の乱から始まる。

主人公の草十郎は、平治の乱の敗者である源義朝の側の武者。 独特に笛を吹き、身のこなしは軽く、さらに鳥の王の一族の言葉を理解する能力を持っていた。 もう一人の主人公は、糸世(いとせ)。 富士の麓で生まれ、今は遊人として舞を舞う。 偶然出会った、この二人の笛と舞は共振し、時空をよじらせる力を持っていた。 それが、永く背後から政を牛耳り、また遊び人としても悪名高い後白河上皇の謀に巻き込まれ・・・というお話。 なお、この物語には、源頼朝も登場し、その後の鎌倉幕府への長いどろどろした歴史も暗示されている。

その一方で、この物語は、人を知らない少年が、少女への恋を通して、人を知る物語でもある。 草十郎は、人間でありながら、根本的なところでは人の世界には属していない。 それでいながら、不思議なくらい草十郎が選ぶのは、人の世界だ。 仮に人の世界を選ばなければ、神代の再現さえ、あり得たかもしれないことも暗示される。 このような選択は、感性のなせる技なのか、少女への想いのゆえなのか・・・。 いずれにせよ、人の世界の大切さをうたいあげるところが、非常に荻原規子らしい作品にしている。

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2005.05.21

荒野の恋 第一部 catch the tail

桜庭一樹著、『荒野の恋 第一部 catch the tail』、エンターブレイン ファミ通文庫、2005年を読む。

本書は、現代の鎌倉が舞台の少女の成長を描いた恋愛小説。

主人公の名前は山野内荒野、恋愛小説家・山野内正慶の娘にして、中学1年生。 昨日までは、恋や愛なんて他人事だった眼鏡の少女。 その荒野が、大人の世界へ気がついたら踏み込んでいくのが、この物語。 その過程が、実にていねいに、みずみずしく、奇跡のように描かれていて、驚き。

友だちとのたわむれ。 背伸びした少年。 恋多き父親。 大人の女。 体の成長と性徴。

と、やぶうち優の『水色物語』のようにも思えるが、全然、ベクトルが違う。

SFでもファンタジーでもない。 しかし、それでもライトノベルのエッセンスというか、イデアのようなものが確かにある不思議なすごい作品だった。

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2005.05.20

関節の痛みと吐き気

治ったと思って仕事をしていたら、いきなり体の節々が痛くなり、気持ち悪くて吐きそうになる。 日ごとの温度差が結構あって、体調を崩したらしい。

体が熱を持っているような自覚があるんだけど、測ってみると37度もなかったりする。 うーん、一体なんなんだろう。

とりあえず、薬を飲んで寝る。

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2005.05.19

ペンギン革命 1

筑波さくら著、『ペンギン革命 (1)』、花とゆめCOMICS、2005年を読む。

これは、芸能モノのコミックで、やぶうち優の『少女少年』のように異性装系なお話。

主人公の藤丸ゆかりは、スターの才能を持った人物の背中に鳥の羽根を幻視する能力を持っている。 彼女は、父親が仕事に失敗して夜逃げしたために、働かなくてはならなくなり、タレントをやっている同級生のマネージャーになるというストーリー。

ここまでだったらよくある話。 問題は、この藤丸ゆかりも同級生でタレントの葛城涼も、所属事務所の意向により、強制的に変装させられることになり、しかもそれが異性装だということだ。

藤丸ゆかりは学校に通っているときは本来のジェンダーである女性だが、それ以外は素性を隠すため男装(小さくてかわいい)。 一方、葛城涼の方は、本来のジェンダーは男性であり、これで仕事をしているが、学校に通うときは、女装させられている(きれいな生徒会副会長)。 なにやら、結果的に、これまでのこの種のストーリーの中でもっとも極端なパターンをやっているような・・・。

マンガとしても、普通におもしろい感じ。 今後に期待。

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2005.05.18

ぱたん

出張、イレギュラーな仕事続きでぱたん。 なにやら、めまいが。

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2005.05.17

わたしはあい 01

外薗昌也著、『わたしはあい (1)』、講談社モーニングKC、2005年を読む。

これは『電波男』系のコミック。

主人公は、萌えゲーの売れっ子ゲームクリエイターで、かつては人工知能の研究者であった、イケメンの紺野マコト。 彼は、現実の女性をモデルに、脳内妄想で理想化、それをゲームのキャラクターとして創り上げる。 そうして創られたゲームは、絶大な支持を集めている。 そして、紺野は、モデルにしたリアルな女性よりも、自分が妄想で創ったキャラクターの方が上なためか、ゲーム完成後にはモデルの女性のことは頭から消去するという、ナイス・ガイでもある。

これって、もしかして、『電波男』の一つの理想形なのかも。

そんな彼が、唯一、心に残った女性が、実はアンドロイドで、そのソフトウェアの制作を依頼されるが・・・、というのが、本書のストーリー。 外薗昌也のコミックで、「萌え」な話やコミカルな表現がいろいろ出てくるという、異色作になっている。

しかし、扉の著者の言葉にも書かれているように、なぜか主人公に捨てられた女性・理子が一番萌えポイントが高かったりするんだけれど。

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2005.05.16

こころ

夏目漱石×榎本ナリコ、『こころ』、小学館、2005年を読む。

本書は、夏目漱石の『こころ』を、榎本ナリコが現代の時代設定でコミック化したもの。 わたしは、『こころ』に対する思い入れがあったせいか、なんとなく違和感を感じてしまった。

『こころ』と言えば、朴訥とした青年Kと「私」の苦すぎる青春を、年を取り「先生」と呼ばれている「私」の視点から語った作品。 わたしは、はじめて読んだときに、若者らしい迫力に満ちた生真面目さ、立ちはだかる不完全な現実、たぎるような情念が、文に定着させられているすごさを感じた。

これは「私」の視点からの物語で、今にして思えば、雰囲気には、視点が大きな役割を果たしていたような気がする。 しかし、マンガという表現では、「私」として「S」という人物が描かれ、その結果、「私」の外部に視点移動して、3人称的な語りになってしまう。 また、わたしは榎本ナリコの絵から、性や背徳感に独特な印象を感じてしまう。 その辺が、変わった感じをかもしだしているのかもしれない。

改めて読み返してみると、あくまでも原作は『こころ』だが、がっちりと榎本ナリコの作品になっていると感じた。

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2005.05.15

月迷宮 恋月姫人形展

浅草橋の近くのLucite Galleryで17日までやっている恋月姫の人形展「月迷宮」を見に行く。

これは、恋月姫という、人形作家の方の作品を何十体も展示している催し物だ。 飾られている人形は、ビスク、すなわち焼き物で、球体関節を持ち、少女の形をしている。 人形は、基本的にゴシック系の服を着せられている。

会場のLucite Gallery(ルーサイト・ギャラリー)は、元は芸者の市丸の家で、古き昭和のおしゃれな感覚が呼び覚まされる空間。 窓からは隅田川が見え、近くを走る総武線の震動が伝わってくる。 この不思議な空間に、ふしぎできれいでこわい人形たちが、たたずんでいる。

恋月姫さんの作品を、写真ではなく実物で見たのは、今回がはじめてだったが、すごかった。 眼、肌、指。 特に睫毛や、足の指一本一本にまでこだわって作られているのだが、これが圧倒的な情報量で迫ってくる。 また、足の裏や、なかなか普通の状態ではわからない腰の様子がわかる展示作品もあったが、これもこだわり具合がすごい。

実物を見て、いろいろと驚いた。

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2005.05.14

信仰が人を殺すとき

ジョン・クラカワー著、佐宗鈴夫訳、『信仰が人を殺すとき -- 過激な宗教は何を生み出してきたのか』、河出書房新社、2005年を読む。

本書は、"Under the Banner of Heaven -- A Story of Violent Faith(神の御旗のもとに -- 激しい信仰の物語)"(2003)の翻訳。 内容は、末日聖徒イエス・キリスト教会ことモルモン教、その原理主義者たちによって、1984年7月24日に行われた殺人事件のルポ。 なお、7月24日は、むかしむかしモルモン教徒たちがソルトレーク到着した日で、開拓者祭の日でもある。

本書が描いているのは、殺人事件を起こしたものたちの、殺人に至る信仰の道のり。 モルモン教、そしてモルモン教原理主義の歴史。 殺人事件の法廷の様子など。

モルモン原理主義とは、創始者ジョセフ・スミスの言葉に従おうとするものたちのこと。 たとえば現在のメイン・ストリームのモルモン教が、19世紀の終わりにアメリカ議会による一夫多妻制度の禁止に対して、妥協したことなどに、異議を唱えている。 この辺、日蓮系の教団間の争いも彷彿とさせる。

そして、モルモン原理主義者は、神聖な信仰の実践として、一夫多妻結婚を行っている。 場合によっては、女の子が14才くらいになるとすぐに信仰の名のもとに妻にしたり、更にそれが自分自身の娘だったりすることもあるという。 それから、いまなお神の啓示を信徒が受け取り、預言者を名乗るものたちが存在し続けているという。 そんなモルモンの分派がいくつも存在している。

本書で描かれているモルモン教は、メインストリームの話も、分派の話も、街中で二人連れの宣教師に「トモダチになりましょう」とか、道を教えて欲しいというくだりからはじまって、勧誘されても、聞かされることはないだろうし、本人たちも知らないのかもしれない。 そんな、非常に血なまぐさい話は、高橋弘著、『素顔のモルモン教』、新教出版社、1996年や、コリン・ウィルソン著、関口篤訳、『カリスマへの階段』、青土社、1996年などにも書かれているが、本書には非常にわかりやすくまとめられている。 また、短いものとしては、ジョセフ・スミスを継いだブリガム・ヤングのインタビューと、その解説などがネットで読める。

さて、そもそもの殺人事件だが、パンピーから見れば社会的に成功していたモルモン教徒の男性が、あるとき、モルモン原理主義の教えに触れたことからはじまる。 そして兄弟ぐるみで、その教えに感銘を受け、引き込まれていく。 それとともに、社会的なこまごまとしたことが信仰によって失敗したり、おろそかになったりして、生活がおかしく、苦しくなっていく。 それでも、本人は極めて重要かつ神聖な人生を送っているつもりになっている。 最終的に結婚生活が破綻してしまうと、兄弟の妻らが、自分の妻のこまごまとした相談にのっていたのだが、それが原因で、悪であり、しまいには殺害するようにというお告げがおりてくるようになってしまう。 そして・・・。

この事件の裁判では、犯人の精神が異常かどうかという問題も争われた。 この答弁では、そもそも信仰とは何なのか、信仰と精神の異常との関係はどうなのかなど、非常に考えさせられる問題が浮き彫りにされている。

モルモン教に限らず、非常に考えさせられるところの多い本だった。

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2005.05.13

ななこSOS 3

吾妻ひでお著、『ななこSOS (3)』、ハヤカワコミック文庫、2005年を読む。

もとのコミックスは5巻まで出ていたが、ハヤカワ版は、全3巻に構成しなおされている。 さらに、後日、同人誌で描かれたものもあり、それは本書に3編収録されている。

よくみると、台詞が変わっていたりするところも。 たとえば、本書だと「YOU」と書かれていたところが、「真剣十代しゃべり場」に置き換わっている。

いや、まあ、そうかしれないが。 うーむ。

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2005.05.12

落丁・乱丁

最近、落丁や乱丁の本に連続して遭遇する機会があった。

一番最近は、ヴォルテール著、植田祐次訳、『カンディード 他五篇』、岩波文庫、2005年。 この本は、「ミクロメガス」「この世は成り行き任せ」「ザディーグまたは運命」「メムノン」「スカルマンタドの旅物語」「カンディードまたは性善説」の6つの風刺作品が収録されている。 岩波書店のページによれば、「第1刷で518ページの記述が脱落したものが一部生じました」とのこと。

参考: 岩波書店 ホットニュース

わたしの手元の同書も、確かに518ページが真っ白だった。 着払いで送れば交換してくれるようなので、早速送ることにした。

この他にも、ハルマゲドンな小説に、ページの脱落と重複があった。 これも問い合わせたところ、交換していただくことができた。

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2005.05.11

トリポッド4凱歌

ジョン・クリストファー著、中原尚哉訳、『トリポッド 4 凱歌』、ハヤカワ文庫SF、2005年を読む。

これは、以前、紹介した《トリポッド》シリーズの最終巻。 《トリポッド》シリーズは、3本足の鋼鉄のマシンを駆る、異星からの侵略者に地球が支配され、人々は大人になると頭に思考をコントロールされるキャップをかぶせられているという世界が舞台。 キャップをかぶせられる前に、逃亡し、支配を逃れた人たちと出会ったウィルたち少年が、侵略者と立ち向かうというお話。 後に書かれた1巻では侵略のはじまり、2巻ではウィルの逃亡、3巻ではウィルの侵略者の都市への侵入といった内容になっていた。

本書4巻では、侵略者への反撃が描かれる。 これは、地球全土の支配者に、少数の人間で攻撃をかけるという話で、そもそも普通に考えたら無理な話。 そういうわけで、侵略者たちが、基本的に油断していることと、拠点は全部で3つ、さらに幸運にも弱点が発見されたという設定により、なんとか光が見えてくるという、結構苦しい展開だった。 読んでいて、侵略者に反撃する話を書きながらも、著者は実際には、地球を取り返してからのことに気持ちが傾いていたのではないかという気がした。

著者は、地球を取り返しながらも、結局、国々が侵略前のように、互いに仲違いして分裂してしまうという終わりを用意した(希望は残しながらも)。 作品の中でも、侵略されて、心を支配されているけれど、争いのない世界。 そして、侵略前の、人々が戦争していた世界。 それら2つのどちらがいいのだろうかという、問いが発せられている。

それから、ハリー・ポッターの場合にも似ているのだが、本作の主人公のウィルは、ねたんだり、うらやましがったり、浅慮から暴走したりする。 それでいて、結果的にはうまく行く。 ストーリーをスリリングに展開させるためのテクニックの一つなのだろうけれど、主人公は必ずしも優等生ではない。

自由になると争ってしまう人類や、ダークな感情を抱いている主人公など、人間の影の部分が書かれてしまっているところが、独特な読後感として残る。 とはいえ、著者は、そんなダメダメな人間にも希望を持っているんじゃないかと、思えてならないのだけれども。

過去の記事: 『トリポッド1襲来』『トリポッド2脱出』『トリポッド3潜入』

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2005.05.10

mystery classics 〜甦る名探偵達〜 アルセーヌ・ルパン編 I

森元さとる著、『mystery classics 〜甦る名探偵達〜 アルセーヌ・ルパン編 (I)』、講談社コミックス、2005年を読む。

本書は、ミステリーの古典を、コミックス化するという企画のシリーズ。 ちなみに同時刊行は『ブラウン神父編 (I)』だった。

子供の頃には、古典的な探偵小説を短く簡単にしたものが、子供向け雑誌のふろくなどに付いてきた記憶がある。 それを読んだのがきっかけで、図書館できちんとしたバージョンを借りて読んだりしていた。 このシリーズは、そんな記憶を甦らせてくれるような気がする。

本書におさめられているのは、「赤い絹の肩掛け」「バカラの勝負」「テレーズとジェルメーヌ」「七人のきこり」の4編。 「七人のきこり」はルブランの作でもないし、ルパンものでもない。 タイトルが『アルセーヌ・ルパン編』となっているので、できれば、全部ルパンものにして欲しかったような。

この作者の方、絵柄に特徴があって、ときたま口を描き忘れたようなコマがあるのだが、これって意図的にこうしているのかな??? なお、本書は、あくまでダイジェストなので、そこには限界があるので、それは納得の上読んだ方がいいだろう。

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2005.05.09

新世紀オタク清談 電波男

「創」2005年6月号を読む。

「STUDIO VOICE」の6月号でも「最終コミックリスト200」という、マンガの特集をしているけれど、今回の「創」も「徹底検証! 日本マンガはどこへ行く」という特集が組まれている。 かわぐちかいじや荒川弘のインタビューのほか、『NANA』や『ドラえもん』に関する記事もある。

とは言え、個人的には、どっちかというと目を引いたのは、和光大学と松本智津夫の三女の裁判の話と、唐沢俊一と岡田斗司夫の「新世紀オタク清談」。 「新世紀オタク清談」の今回のネタは、以前取り上げた本田透著、『電波男』、太田出版、2005年

『電波男』は、「恋愛」←→「オタク」という、一部の人にとってはどちらも捨てがたく、現実的には対立しやすい構造をテーマにした本だった。 そして、ギリギリの境界線を踏み越えて、敢えて「オタク」万歳と叫んでみた本だった。

これは、「恋愛」と「オタク」の両方に大きな価値を認めているからこそ、成立している議論なわけで、この「新世紀オタク清談」では、その現実的には微妙な部分をザクザクと音をたてていじってみせている。 特に最後の部分で、ヨン様現象とオタクを対比しているところのインパクトが強烈。

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2005.05.08

魔法遣いに大切なこと 太陽と風の坂道 3

山田典枝原作、よしづきくみち作画、『魔法遣いに大切なこと 太陽と風の坂道 (3)』、角川コミックス ドラゴンJr.、2005年を読む。

《魔法遣いに大切なこと》シリーズは、地方にスポットをあて、魔法が一般に認知された世界で、不器用な少女が、自分で持っているけれど、うまく遣いこなせていない魔法との折り合いをつけていく成長の物語・・・のはずだと思っていた。 ところが、この長崎を舞台にした「太陽と風の坂道」は、ここ、3巻に来て、もはやほとんど魔法が出てこない状態になっている。

この巻で描かれるのは、高校生の複雑に絡み合った三角、四角、・・・N角関係。 誤解が誤解を呼んで、こじれていく。 しかも、登場人物のうち、一人もうまくいっていない。 今後、多くの登場人物にとっては、諦念な結末が待っていそうな気配が漂う。

うーん、大丈夫なんでしょうか。

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2005.05.07

Mac OS X 10.4へのアップグレード

手持ちのPowerBookをMac OS X 10.4にアップグレードしてみた。

当初、Weblogの一つで、ファイルが消失するというバグがあるという話が流れたが、それ以上は同じような報告が見当たらなかった。 一応、念のために、バックアップをとった上で、上書きインストールに挑戦した。 バックアップは、「t」を押しながらターゲットディスクモードで起動して、FireWireで別のマシンに外付けディスクとして接続し、ファイルをコピーした。

それで、インストールに取りかかったのだが、何度やっても、インストールの途中で止まってしまう。 ログを確認してみると、ハードディスクのデータに異常があり、インストールが停止してしまっているようだった。

仕方がないので、リカバリーディスクから購入時の状態に戻して、そこからインストールを再開した。 ディスクを消去した上で新規インストールしなかったのは、バンドルされていたソフトを使いたいから。 いずれにせよ、アップグレードする前にとったバックアップが、はからずも活用されることに。

インストール終了後に、バックアップからファイルをコピーしなおして、必要なものだけ元に戻した。 結構、「MacPeople」6月号の別冊付録の「Tigerインストール Perfect Guide」が役に立つ。

それから、Mail.appにGPGMailという組み合わせで使っていたが、アップグレードしたら、GPGMailのバージョンが対応しなくなっていたので、こちらもMac GPGとセットでアップグレード。

また、主にコマンドラインやX Window Systemで使うUNIX系のフリーのソフトを、とても簡単にインストールできるEasyPackageがあるが、ちょっとバージョンやパッケージの依存関係が趣味と異なっているので、自分でmakeしようという気に。

いろいろと新機能があって、おもしろい。 とりあえず、Dashboardで、現在の天気や気温と、数日分の天気予報がグラフィカルに見えるWeather Widgetがお気に入り。

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2005.05.06

ぱたん

ハードなスケジュールがたたってぱたん。

その上、OSのアップデートでもはまって、さらにぱたん。

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2005.05.05

Microsoft Accessの方言

Microsoft Accessの方言で悩む。

SQLを使おうと思っても、データベース間では、けっこう方言がある。 Microsoft Access 2002の場合の、四則演算の演算子を調べようとして、ヘルプで探していきなりはまる。

式の使用例の算術演算の操作例というのを見ると+、-、*、/の4つが載っている。 しかし、式ビルダを起動してみるとˆ、¥、Modもある。 「¥」が商に相当するんだけど、これはヘルプのキーワードで「¥」や「商」で検索しても出ないのだった。

結局、関数リファレンスみたいな本を買う必要があるのだろうか。

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2005.05.04

理屈は理屈 神は神

かんべむさし著、『理屈は理屈 神は神』、講談社、2005年を読む。

かんべむさしと言えば、70年代にデビューした、ハチャメチャな内容のSFを書く作家として有名。 本書は、なんと、そのかんべむさしが、いきつもどりつ、金光教の玉水教会を信仰するようになった経緯、教団や指導者や教義について考えたことなどを、書き綴った本。 青い鳥文庫fシリーズの関係で出版されたのか、愛読者カードの宛先は「児童図書第二出版部」になっていた。

かんべむさしが入信に至った理由は、出版不況、関西大震災、身内のトラブルによる大きなストレスなどと思われ、それは本書で紹介されている。 また、本書を読むと、金光教のことを非常に警戒しながらも、だんだんと入信し、ラジオの番組で桂九雀と対談したときには、かなりの信者になっている様子が、非常によくわかる。 教義や説教の内容をいろいろと考え、自分なりの理屈で解釈し、身の回りの出来事などと照らし合わせるという、おそらく一般的な納得の仕方ではあろうが、それを非常に丁寧に行っている様子が伝わってくる。

しかし、金光教はともかくとして、マクスウェル・マルツやジョセフ・マーフィーなどの願望達成法の本も読んでいたとは思わなかった。

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2005.05.03

ホゲゆに

中橋一朗著、『ホゲゆに』、秀和システム、2005年を買う。

本書は、UNIXまわりのあれこれを、実用度は低く、趣味度だけが異常に高く、とりとめもなく書いたもの。 たとえば、内容は、screen、viの使い方、コマンドラインから使えるメールソフトなど。 いや、考えてみれば、これらはけっこう実用的かも。

その他の内容がかなりキていて、PDP-11のエミュレータにUNIX Version 7や2BSD、Sigmarion IIにNetBSD、iPodやゲームキューブにLinux、Windows用のエミュレータQEMUにMINIXを入れてみる話など・・・。

・・・うーん。 教育的な意味はともかく、現時点では、実用上はあまり積極的な意味が見いだせない(いや、デフォルトで付いているInternet Explorerがとても重いSigmarionで、w3mが使えるのは便利かもしれない、個人的には)。

この内容に共感できる人限定の本かなと思った。

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2005.05.02

装甲騎兵ボトムズ AT Stories

岡島正晃作、曽根由大画、矢立肇、高橋良輔原作、『装甲騎兵ボトムズ AT Stories』、アクション・コミックス、2005年を読む。

本書は、30代前後の読者を想定していると思われる、ガンダムをはじめとしたメカの特集雑誌「GREAT MECHANICS」で連載されているコミックの単行本1巻目。 ストーリーは、基本的には毎回1話完結のアンソロジーで、TV版の「装甲騎兵ボトムズ」の同時代を描いている。 取り上げられる題材は、暗殺部隊、バララントの血をひくギルガメス兵、バトリングなど。

コミックス単体としては、十分に成立している作品だった。 ただ個人的には、TV版とはどこか雰囲気が異なっているような感じがして、気になってしまう。 もっとも、これは《青の騎士ベルゼルガ物語》や「ビッグバトル」《赫奕たる異端》などの場合にも同様に感じたことなので、致し方ないことなのかも。 TV版は、わたしの中では美化されている可能性が高そう。

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2005.05.01

とあるコーチング研修の現実とは

とある元自己啓発セミナー関係者によるコーチング講座を受講してみる。

この研修は、入門編ということで、ラポール(rapport)の形成の仕方に重点が置かれていた。 その内容は一言で言ってしまえば、コーチングといいつつ、実際には「神経言語プログラミング(NLP)」+「いろいろと聞きかじった話の断片」というものだった。

初期のNLPのセミナーの様子を紹介した、リチャード・バンドラー、ジョン・グリンダー著、『あなたを変える神経言語プログラミング(原題: "Frogs into Princes", 1979)』、東京図書、1997年という本がある。 今回の講座の内容は、この本の内容をかなり彷彿とさせるものだった。 なお、NLP関係者の中には、25年近く昔に書かれたこの本の内容と大差ないことをやっていながら、「最新の心理学」を標榜したりする人が見られるのはどうかと思う。

さて、講座の具体的な内容は、ペーシング(pacing: ペース合わせ)を中心にしていた。 まず、基本的に、ラポールが形成されていないと、話をしても聞いてもらえないという話を強調する。 それで、ラポールが形成されるのは、どんな場合かを受講者に考えさせ、発表させる。 その結果をモデリングして、共通要素を抽出する。 で、この結論は実は最初から用意されているのだが、要は「ラポールが形成されるのは、何かしら相手との間に「同じ」ような要素が発見された場合である」という主張を展開する。 そして、相手に合わせることをペーシングと呼ぶと紹介していた。

それで、ここがこの講座のメインとなる主張なのだが、「ラポールを形成する極意は、相手の呼吸にペーシングすること」だという。 このように、呼吸に対するペーシングが重要だというのは、NLP(やそれに影響を受けた著者)の本でよく見かける主張である。 しかし、実はここには大きな論理の飛躍があって、何で、呼吸にペーシングするとラポールが形成されるという話になるのかは不明だ。 この話の後、体験学習を通じて、ペーシングの効果を実感させ、ミラーリング(mirroring)、マッチング(matching)、リーディング(leading)へと展開させていった。

理論を学ぶのに体験学習を使うというのは、けっこう、くせものだと思う。 実際には、理論が間違っていても、そのときの環境により、十分実感を伴った体験が起こって、強く信じ込んでしまったりすることがあるからだ。 それで、そこで習った理論は、現実の場面では役に立たなかったり、理論とは関係ない効果が効いていたりするのに、形成された信念の方が強すぎて、そのことに随分後になるまで気がつかず、無駄な努力をしてしまう可能性がある。 最近、体験学習っぽい手法が、それなりに普及しているが、こういうことには注意したいものだ。

さて、この講座、更に上級のコースでは、プライマリー表象システム(primary representational system)、アンカリング(anchoring)、リフレーミング(reframing)などの話になるのだろうか。 NLPみたいに、効果に疑問が呈されているものを、コーチングと称して提供するのって、どうなんだろうという気に。

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