人格障害をめぐる冒険
大泉実成著、『人格障害をめぐる冒険』、草思社、2005年を読む。
なんとこの本、表紙が桜玉吉。 全然気がつかなかった。
それはともかく、本書は、「人格障害」という言葉をキーにして、宮崎勤、麻原彰晃、酒鬼薔薇聖斗、長崎の駿ちゃん誘拐殺人事件、宅間守、NEVADA、JCOの東海村臨界事故などを取り上げた連載を単行本にしたもの。 特に、大泉氏は、家族が東海村で事件に遭遇しており、この事件の重さがじわじわと伝わってくる。
本書でライブ感覚で語られることの中で、責任の所在の問題というのが、心に残った。 何か事件が起こったとする。 それは誰の責任なのか。 本当に心の病なのか。 心の病だったので仕方なかったのか。 心の病だとすれば、それは遺伝のせいなのか、社会的環境のせいなのか、本人のせいなのか。 更正のための治療は、被害者の側から見れば、罪を償うというよりは、至れり尽くせりの林間学校のようなものではないのか。 すっかり更正しましたと言われても、どこか釈然としない。 いろいろな立場が交錯し、いつでもわからなくなってしまう。
あと、本書では、人格障害をはじめとして、ADHD、アスペルガー症候群などの言葉も出てくる。 一昔前だったら、自称・他称含めてなんちゃってアダルト・チルドレンが多かったけれど、PTSDや解離を経て、最近のはやりはADHDとアスペルガー症候群だ。 本当の人もいるのだろうけれど、人生がうまくいかないような気がしている人たちにとっては、自分や身近に当てはまりそうで、流行っていれば、心の病はキャラ作りの道具になってしまう。 そんな心の病がくりかえし消費されていくのが「心の時代」なのだろうかと思わずにはいられない。
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