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2006.03.29

FreeBSD portupgradeの悩み

ココログのバージョンアップ後の重さが、予想以上でなかなか厳しいものが。

それはともかく、自分の運用しているマシンの方もシステムのアップデート中。 最近、FreeBSDは、cvsupで、アップデートしたいメジャーバージョンの系列の最新版に、ソースを同期して、makeすれば、OSそのものは問題なくアップデートできている。

問題は、portsで入れたアプリケーションの方。 そもそも、いろいろなアプリケーションを入れる場合、アプリケーション間の依存関係とか、コンフリクト関係とか、いろいろあって、なかなか悩ましい状態になる。

むかしむかし、現在のようなパッケージ・システムがなく、Makefileを変更して、ソースからビルドしてインストールするのが当たり前だった時代。 そんな時代に、NTTの日本語LaTeXとASCIIの日本語LaTeXの両方を入れて、ベクトルフォントを使って、なるべく共有可能なファイルは共有して…なんてことで悩んだことがあれば、この面倒くささはわかってもらえるかもしれない。 って、そんな人は、今では天然記念物のように希少かも。

いずれにせよ、非常にややこしいパズルのようなものを、簡単にインストールできるように、パッケージ化したり、OS専用のインストール手段が用意されるようになった。 しかし、必ずしもうまくいかない。 依存関係の処理がおかしかったり、バッティングの情報がわかりにくかったり、ものによってはパッケージの出来が悪かったりすることがある。

今回も、portupgradeというportsをアップグレードするアプリケーションを使って、自動でアップデートしようとしたら、KDE関係でかなりはまってしまった。 うーん、結局、一回クリーンにして、入れ直した方が確実ですか、そうですか…。

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2006.03.27

白き狼の歌

マイクル・ムアコック著、中村融訳、「白き狼の歌」、文藝別冊「ナルニア国物語」所収、河出書房新社、2006年を読む。

これは、「時の果てのエルリック」などのようにエルリックの番外編の短編。 今回、文藝別冊「ナルニア国物語」に掲載されたというので、購入してみた。 ちなみに、オースン・スコット・カードの「王女様と熊」、ジェイン・ヨーレンの「闘竜」も掲載されている。

「白き狼の歌」のお話は、エルリックが、多元宇宙のどこかに漂着して、『堕ちた天使』などのフォン・ベックと出会い、元の世界に帰還するというもの。 これまた、初期に書かれたエルリックの物語のファンには、ちょっとつらい作品かも。 読んでいるものを幻惑させるようなディテール、思わせぶりな会話、同一存在が役回りと背景を変えて登場する、全体像は断片的にしか語られない…。

…って、書いていて何かに似ていると思ったら、アルファシステムの〈七つの世界〉シリーズに似ているんだ。 アルファシステムの「世界の謎」が好きな人にはおすすめのシリーズか? ただし、ムアコックの関連作品が全部訳されるとは、到底思えないのだけれど。

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2006.03.25

1/18 スコープドッグ

「DMZ-01 1/18 スコープドッグ with ミクロアクションシリーズ キリコ・キュービィー」、タカラ、2006を衝動買いする。

これは、装甲騎兵ボトムズのキリコ・キュービィーとスコープドッグのセット。 1/18で非常に大きい。

キリコの方は、ミクロマンのシリーズで過去に出ていた。 しかし、今回付属しているのは、ウェザリングが施されていて、オプションの武器はアーマーマグナムしか付いていないもので、多少異なっている。

スコープドッグの方は、ウェザリングが施されており、膠着姿勢、アームパンチ、ターンピック、ローラーダッシュ(回転するのみ)、ターレット、操縦桿などのギミックが付いている。 プロポーションも、おかしいところはない。 非常によくできている。

タカラから昔出ていた1/24のプラモデルは、当時としては非常によくできていた。 当時、このプラモデルを買って、ちょうど今回のギミックと同じようなものを、不完全ながら付けたりしていた。

それで、再販されたプラモデルを見て、何度か、衝動買いしそうになった。 しかし、実際には買うまでに至らなかった。 というのも、作るのがあまりに大変だったからだ。

もちろん、当時の水準からすれば、十分作りやすいものだった。 普通に、接着剤で接着し、パテで隙間を埋めたり整形し、塗装して完成。 ギミックを追加したければ、斬ったり、削ったり、穴を空けて鉄線を通したり、プラスチックの板を重ねたりすればいい。 これは、十分、当時としては普通の作業だった。

しかし、最近のガンダム・シリーズの完成度や作りやすさに慣れてしまった体には、もはや完成させることは叶わない。 何しろ、これらは、接着剤も塗装も不要。 もちろん、昔ながらの方法で作れば、非常に完成度の高いものを作ることができる。 しかし、そうしなくても、そこそこ十分なものができてしまうのだ。 CADなどを設計の段階で使っており、形がおかしかったりすることも少ないし、ギミックの設計上のミスなども激減している。 これに慣れてしまっては、もう昔のような作業はできない。

そんなわたしには、今回のスコープドッグは、まさに渡りに船だった。 ちょっと耐久性に不安もないわけではないが、梱包を解いただけで、こんなものが手に入ってしまうのは、すごすぎ。 ここまで便利になっていいのかという、気もしないでもないけれど。

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2006.03.24

特盛! SF翻訳講座

大森望著、『特盛! SF翻訳講座 -- 翻訳のウラ技、業界のウラ話』、研究社、2006年を読む。

本書は、SF翻訳家(?)大森望による、SF翻訳に関するアレコレを綴った「S-Fマガジン」の「SF翻訳講座」の連載を中心に、単行本化したもの。 フツーの翻訳のノウハウ本だと思えば、翻訳とは関係ない話もいっぱい書かれていて、どうかと思う構成だろう。 でも、買うのはきっとSFファン。 そう思えば、非常にターゲットにマッチした内容になっている。

翻訳の話としては、まずは基本として買ってくれる読者のための翻訳になっていることが大事であるというのが、本書のスタンスだろう。 それからSFの場合は、自分もSFが好きで、SFファンに読ませたいという作品を選び出せるということも重要。 後は、人脈と段取りという感じだろうか。

そもそもSF翻訳者なんて、パイも小さいわけで、翻訳関係のノウハウがどのくらい役に立つかは、微妙なところ。 でも、エッセイとして、楽しめるので、海外SFファンにはおすすめだと思う。

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2006.03.23

そんな健康診断

健康診断を受けた。

ある病院の健康診断用に新たに作られた別館で健康診断を受けた。 公立の施設と異なって、いろいろとサービスがついて来るところがポイントだった。 たとえば、オプション料金を1万円くらい払うとMRIとかも取ってくれたりする。 それはともかく、強烈だったのが、無料の「食事サービス」と「温泉サービス」…。

「食事サービス」はバリウム飲んだ人向けだったのだが、一体、何人くらい平気で食べられたのかは不明。 その他の人にも、ジュースなどを1杯オプションで付いていた。 一方、「温泉サービス」も、採血した後だったりするので、かなり微妙な気が。

え、それでわたしですが、例によって、採血で気持ち悪くなって、寝る羽目に。 随分時間がたっても、気持ちが悪い。 今回、採られた量も多かったし…。 水着着用の混浴の温泉は、一体どんな感じだったのか、非常に気になるところだけれど、今回は遠慮した。

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2006.03.22

メルニボネの皇子

マイクル・ムアコック著、井辻朱美訳、『永遠の戦士エルリック1 メルニボネの皇子』、ハヤカワ文庫SF、2006年を読む。

これは、昔、ハヤカワ文庫SFで出ていた〈エルリック・サーガ〉に新作を加えて、新たな構成で再出版されたシリーズの1巻目。 どうも、7冊構成で、2ヶ月に1冊くらいのペースらしい。

この1巻目は、昔のシリーズで言うと『メルニボネの皇子』と『真珠の砦』の2つを収録している。 これは、物語の時系列で出版しようということなのだと思うが、問題もないわけではない。 というのは、〈エルリック・サーガ〉は、物語の進行順に書かれたわけではない。 短編群が最初に書かれ、その後で長編が書かれている。 長編に関しては、物語の時系列と書かれた順番がかなり異なっている。 そして、かなりムアコックの心境を反映してか、テーマというか、哲学が、書かれた時代とともに推移している。 なので、たとえば、この『メルニボネの皇子』の収録作品のように、少なくとも書かれた時期が十数年離れていると、読んだときの雰囲気が随分異なっている。

旧シリーズで『メルニボネの皇子』の方は、伝統の破壊者で、運命に翻弄されて、魔剣ストームブリンガーと微妙な愛憎関係にあるエルリック。 一方、『真珠の砦』の方は、自己実現してしまっているエルリックなのだ。 これは、全然違う。 ちなみに、メソメソしている前者の方が、説教臭くなっている後者よりも、お話としては楽しめる。

とは言え、楽しみ方のベクトルは随分異なるものの、それぞれおもしろい作品だと思う。 『真珠の砦』の方は、新約聖書外典で『使徒ユダ・トマスの行伝』の中に出てくる「インド人の国における使徒ユダの歌」、別名「真珠の歌」みたいに、真珠を取ってこいと言われる作品。 「真珠の歌」では、真珠は真の自己の魂みたいなもの。 『真珠の砦』の真珠は、これとは設定が異なるけれど、「眠り」など、共通するモチーフも興味深い。

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2006.03.20

完全覇道マニュアル

架神恭介、辰巳一世、君主論太郎著、『完全覇道マニュアル -- はじめてのマキャベリズム』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2006年を読む。

本書は、マキャベリの『君主論』を、小学校のクラスの中のお話として翻案して、紹介したもの。 非常に読みやすくて、わかりやすい。

お話は、小学校のあるクラスで、クラスの勢力をまとめて、トップに躍り出ようと、牙をとぐ小学生たちがいる。 彼らは、自分の仲良しグループのメンバーを制御しながら、他のグループを崩壊させたり、勝負を挑んだりして、引き抜きや吸収合併を狙っている。 その群雄割拠の果てに見たものは?というもの。

作品の舞台は小学校なのだが、作中で描かれている小学生たちの幼稚で残酷で現金で愚かで狡猾な集団力学は、はっきり言って、大人の社会でよく見られるものだ。 読んでいると、あるあるって感じで、実際に見た場面が次々と甦ってきた。 というか、今、目の前で繰り広げられていたりして…。

マキャベリは、こういう覇権争いで、いいポジションを得るにはどうしたらいいと思うのかを、著したわけだが、それは非常に結果優先的だ。 ある意味、モラルはない。 そのことを考えた上で、書かれていることの内容を吟味した方がいいだろう。

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2006.03.19

物理学校

馬場錬成著、『物理学校 -- 近代史のなかの理科学生』、中公新書ラクレ、2006年を読む。

本書は、夏目漱石の『坊ちゃん』で主人公が卒業したということにされていることで有名な、東京理科大学の前身である物理学校の、明治14年の誕生から昭和26年の終わりまでの歴史を紹介した本。 非常に熱い創設のメンバーの思いと、あまりに特殊な位置にあり続けた物理学校の歴史がよくわかる。

現在の東大に相当する機関で、フランス語で物理を学んだ、将来を渇望されるエリート22名が、習ったことを広く日本語で伝え、日本の発展に寄与しようという、熱い思いを持って、自分達の持ち出しで設立したのが物理学校だ。

(教員は昼間は別な職を持っていて)夜間に授業し、授業料は安く、希望者には広く門戸を開くが、卒業は非常に厳しく、初期の頃は2、3%程度。 実験器具は、特例で東大から毎晩借り出し、その日のうちに返却する。 気持ちだけが空回りして時には生徒が1人になったり、天災で校舎が瓦解したり、それでも教員達で資金を出して、学校を維持する。 到底常識では測れない、むちゃくちゃな学校と言えるだろう。

自分の母校が、これほど破天荒なところだったとは、思わなかった。 伝統の一部は、昭和の終わりにも受け継がれており、それはわたしのとっては、いろいろといい方向に作用したようだ。 理科大関係者にはおすすめの本。

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2006.03.13

萌えろ営業マン

萌えろ営業マン制作委員会著、野口明美、津川幸三監修、『萌えろ営業マン 〜悩める営業マンへの営業指南書』、晋遊舎、2006年を読む。

本書は、リクルート出身の2名が監修する、営業の入門書。

営業は基本的にコミュニケーションなわけだが、うまくいくかどうかは、相性や時期の問題などもあり、それでいて実績がものを言うので、いろいろと悩みを抱えることが多い職種だろう。 そんな営業の基本から、トラブルシューティングまでを紹介したのが本書だ。

まずはできる範囲で最大限の効果を上げるための基本的な事柄、コミュニケーションの取り方、うまくいかないときの気の持ち方などが解説されている。 ある種、リクルートっぽさを感じるところもあったが、本質的に精神的に負荷のかかる仕事での気の持ち方という部分では、参考になるところもあった。 前から個人的には疑問に思っていた、営業において、職業倫理的な葛藤が発生した場合の対応については、悩ましさが解消されなかった。

萌え入門書としての形式は、オレンジと紫の髪の少女の2人組に、いじられながら成長し、最終的には仕事のできる人になるというもの。 オタクの社会人的な更正物語っぽく感じられるところが、微妙に自分のコンプレックスかなんかにひっかかるところも。

それにしても2月発売だったのに、奥付の日付が2006年4月1日というのは、何か意味でもあるんでしょうか。 日付が日付だけに。

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2006.03.12

おんなのこ物語 1〜3

森脇真末味著、『おんなのこ物語 (1)〜(3)』、ハヤカワコミック文庫、2006年を読む。

本書は、1980年代前半に連載された、ロックバンドの中の人間関係を描いた少女マンガを文庫化したもの。 タイトルは『おんなのこ物語』だが、内容は全くかけ離れている。

ストーリーは、コミックバンド「桃色軍団」のドラマー・八角(やすみ)を中心に展開する。 しかし、次々と勝手にキャラクターが動きだし、サイドストーリーだらけになる。 というか、完結した状態で作品を眺めてみれば、むしろ、魅力的なキャラクターによって構成されたオムニバス作品と言った方がいいかもしれない。

八角は、元々、ステッカーという伝説のバンドのドラマーだった。 ステッカーは、天才肌でカリスマな仲尾というボーカルが中心のバンドだったが、八角の秘められた才能が開かれていくに連れ、メンバー間に緊張感が高まり、亀裂が走るようになる。 しかし、八角は、仲尾の庇護の下で音楽をやることに、非常に大きな満足を感じており、いつまでも続いて欲しいこの輝かしいステッカーの日々が失われてしまうことに、いつまでも大いにこだわり続けてしまう。

この人間関係の描写が、凄過ぎる。 80年代に描かれた作品なのに、90年代のX Japanをはじめとする様々なバンドの解散の顛末などが、まるで出来の悪いパロディのようにさえ見えてくるくらいだ。

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2006.03.11

機動戦士ガンダム クライマックスU.C.

PlayStation2用のソフト「機動戦士ガンダム クライマックスU.C.」、バンダイ、2006年をプレイする。

これは、ファースト・ガンダムから、F91までの8作品の名場面をプレイできるアクション・ゲーム。 モードは、歴史順に代表的なパイロットになって戦えるクロニクル・モード、オリジナル・キャラクターを2世代に渡って育成するプログレス・モード、特殊なシチュエーションでプレイできるエクストラ・モード、対戦できるモードがある。 敵をうまく倒したりすると、カードが出現し、このカードによって、機体やパイロットなどが増えて行く。

いいところは、アニメ・パートとモビルスーツのアクションを3D CGで描いたパートのムービーが非常によくできているところ。 特に、モビルスーツのアクションを描いた3D CGは、これまでのゲームなどの中で、最高峰の出来かもしれない。 ただし、モビルスーツの表面がテカテカな質感でこれは好き嫌いがわかれそう。 また、一部に、いかにも単純な立体にテクスチャーをはっているだけなのが、明確に見えてしまう場面もないわけではない。 人物を描いたアニメ・パートも、かなりかっこよくなっているが、そのテイストには好き嫌いがわかれそうだ。 また、多作品にわたって機体が遊べるところもよい。

よくないところは、「ためて打つ」という攻撃が強力で、戦闘がこればかりの作業になりがちというところ。 ゲーム性は、たとえば「連邦VS.ジオン」などの方が、高いような気がする。 また、非常にたくさんの機体が出てくるが、それでも到底すべてではなく、期待していたものが出てこないこともあるだろう。 ストーリーやステージのバリエーションに関しても、あまりにもダイジェストになってしまっている。

トータルとしてみると、ライトなゲーマー向けのバラエティ・ゲームだと思う。 取り上げられている作品が一通りふつうに(ディープではなく)好きならおすすめだと思う。

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2006.03.10

カリスマ 4

新堂冬樹原作、八潮路つとむ構成、西崎泰正作画、『カリスマ (4)』、アクションコミックス、2006年を読む。

以前に1巻を取り上げた本書は、同名の小説のコミックスで、この巻で完結。

最初は、概ね、原作に沿った展開だったが、この巻に来て、急展開。 概略はだいたい原作の通りなのだが、いきなり終わってしまった。 ここまでの巻では、風采の上がらない主人公の妻がカルト宗教に巧妙に誘い込まれ、洗脳される過程を比較的ていねいに描いていた。 ところが、ここに来て急展開したため、あまりにあっけなく、洗脳が解けてしまい、ちょっとなんだかなという感じになってしまった。 元々、原作でも、洗脳を解く部分はあまり触れられていないのだけど、これはいくらなんでも簡単過ぎるような。

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2006.03.08

Sound Horizon Elysion〜楽園パレードへようこそ〜

Sound Horizonの『Elysion〜楽園パレードへようこそ〜』のDVDを観る。

これは、中世風の物語に寺山演劇のような雰囲気を持たせた詩物語で活動しているSound HorizonのコンサートのDVD。 スクリーミング・マッド・ジョージのアヤシい演出に、ノリノリの主演者たちということで、楽しそうだった。 およそ110分の長いコンサートだが、その時間を感じさせない。

それにしても、見れば見るほど、小劇場の演劇っぽい演出と合う作風だと思う。 DVDでなく、ライブで観たい作品だ。 しかし、こういう作風で、これだけの観客を集めてコンサートが開けてしまうというのが、不思議。

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2006.03.06

脱線好きな人のための理論物理のはなし

高橋康著、『脱線好きな人のための理論物理のはなし』、日本評論社、2006年を読む。

本書は、解析力学や場の理論という、まじめに物理をやる人にとっては大事な枠組の中の、基本的なのだがなかなかわかりにくいところを、わかりやすく書いた教科書を書いているということで、物理学を学んだ人には有名な高橋康の最新刊。 もっとも、場の理論を学んだ人にとっては、どちらかというと、ウォード・高橋の恒等式の高橋康として印象深い人であろう。

本書は、もう随分いい年になられた高橋康が、自分の若い頃の話を交えながら、場の理論(の発展)について書いたエッセイである。 意外と、教科書を読んでいると、本当に肝心なところがサクッと書かれていて、その意味や重要さに気づかないことがある。 そういうところを、含蓄深く語ってくれる本があると、見落としていたところに気づいたり、視点が変わって理解が深まったりするものだ。 本書もそういう意味で、場の理論の理解があやふやな人には、結構、意味のある本だと思う。 ただし、系統的な話でもないし、書いてあることの範囲は非常に狭いので、普通に場の理論を学びたい人には全くすすめない。 ちょっと、視点を変えてみたいと思っていて、若き高橋康の肖像を描いたエッセイを読んでみたいのであれば、ぴったりの本だ。

読んでいて気になったのは、いくつかの現在では当たり前に使われている物理的な手法に対する著者の抱いている違和感だ。 わたしは、朝永振一郎の弟子で、大変年をとられた先生に、まさにこの本に書かれている分野を習ったことがある。 その先生も、同様に、近年の物理的な手法に疑問を呈しておられた。 年を取られた方々が、新しい手法に違和感を抱くことは、時代の常なのかもしれない。 後進の人々は、それまでの物理学的なセンスでは、違和感を抱くような概念に慣れ親しめたからこそ、それが主流になった世界で活躍できたはずだ。 そうでなければ、その分野では、頭角を著せなかったか、新しい方法を提示しただろう。 研究には、時流があり、そのトレンドにセンスがあうかあわないかというのは、職を得るのが困難な研究者にとっては、結構、重要なファクターだったりする。

久しぶりに場の理論の話を読んで、楽しかった。

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2006.03.05

機動戦士ZガンダムIII -- 星の鼓動は愛

「ZガンダムIII -- 星の鼓動は愛」を観る。

これは、TV版の「Zガンダム」を、新しい解釈の元に劇場版に構成しなおした3部作の最終パートだ。 TV版では、最後に敵のニュータイプのシロッコと戦った主人公のカミーユの気がふれてしまう…という、救いのない結末だったが、今回の劇場板では、そうならないと強く主張されていた。 当然、一体、どんな結末になるのか、期待と不安と好奇心が高まる。

第1作目の「星を継ぐ者」は、複雑なストーリーをなんとか短くまとめて、モビルスーツ同士の戦いや、「ガンダム」の主人公であるシャアとアムロの再会などの見所をうまく表現して、ファンの期待にギリギリこたえていた。

「Zガンダム」は、「ガンダム」の続編であり、「ガンダム」で描かれた「1年戦争」の戦後が舞台だった。 そして、地球連邦軍の中で先鋭化した「ティターンズ」、その対立ゲリラ組織「エウーゴ」、「1年戦争」の敗者ジオンの残党「アクシズ」、木星帰りのニュータイプ・シロッコの率いる部隊といった、実にややこしい利害関係が描かれていた。 これを、劇場版3作程度の時間で、説明するのは、困難の極みだ。 更に、強化人間の悲劇、女性を駒として扱うシロッコ、屈折したシャアの思い、地球vs.スペースコロニー、…、etc.といった、実に盛り沢山の要素が詰め込まれていた。

このため、どうしても、ダイジェストにならざるを得ないのだが、それでも劇場版の第1作は、健闘していたと言えると思う。 ところが、問題だったのが、第2作目「恋人たち」だ。 これは、「Zガンダム」のヒロインとも言える強化人間のフォウ・ムラサメと、主人公カミーユの心のふれあいを描くと思われたパートである。

もともと、TV版でも、思想改造された強化人間の感情の表現はわかりにくく、何故、フォウとカミーユが魅かれ合ったのかはよくわからなかった。 しかし、前作「ガンダム」において、アムロとララァのニュータイプ能力による、常識を超えた相互理解が描かれており、これはそのままフォウとカミーユに引き継がれていた。 また、フォウの生い立ちや失われた記憶や思想改造の悲劇という要素もあり、ギリギリのところで、ラブ・ストーリーが成立していた。 これが、劇場版では、声優の交代という先入観や、時間が短くてどうしてもダイジェストに見えてしまうストーリーや、重要な見せ場の一つだったキリマンジャロの戦いが割愛されたりということで、どうにも微妙なものになってしまっていた。

それらを受けての最終作だったが、結果としては、一番よく出来ていた。 強化人間の悲劇を描く部分をばっさり切り捨て、野望が交差する大局と個人の思いの葛藤にストーリーを絞り、要所要所の見せ場を活かした作品になっていた。

ただ、劇場版3部作としてみると、第2作目の問題があり、微妙なところ。 TV版と劇場版のいいとこどりで補完すると、いいような。 TV版を観ていれば、劇場版の第1、2作を観ていなくても、観ることができる作品なので、どのように解釈が変わったのかを知りたい人におすすめ。

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2006.03.02

迷宮の美術史

風邪で体力に余裕がないのだった。

岡部昌幸監修、『迷宮の美術史 -- 名画贋作』、青春出版社 青春新書、2006年を読む。 うーん、「監修」になっているけれど、これは「著」ではないのかと。

本書は、絵の贋作事件を紹介したもの。 フェルメール、ゴッホ、ロダン、キリコ、ピカソ、デューラーなどの贋作の話が、非常に興味深く書かれている。 特に、贋作家の話は、本書ではじめて読み、とてもおもしかった。

本書を読んで思ったのは、つくづく複雑な贋作の事情だ。 屈折した画家が作った贋作、間に入った画商の欲のせいで問題が拡大した贋作、鑑定家の権威の問題、徒弟集団による制作物の真贋問題と、贋作と言っても、様々な様相がある。

そもそも、何故、贋作が問題なのかと言えば、それは結局のところ、詐欺の問題、事実認定の問題、たった一つしかないオリジナルの存在の価値というところにあるのかもしれない。 真作の価値の根拠、著作権、複製の問題というのは、わたしの中では混沌としてよくわからない。 今後も考えていきたい。

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