ロドルフ・カッセル他編著、『原典 ユダの福音書』、日経ナショナル ジオグラフィック、2006年を読む。
本書は、「ユダが裏切っていない」などの扇情的な広告で報道された「ユダの福音書」の翻訳とさまざまな解説がついた本。
今回の出版は、非常に計画的に行われたように思える。
まずは、「ダ・ヴィンチ・コード」の公開前後に時期を合わせたこと。
それから、扇情的なキャッチで、マスコミを活用したこと。
先に「ナショナル ジオグラフィック」誌で特集を組んだり、発見のドキュメンタリーである『ユダの福音書を追え』を出版したことなどだ。
この順番はうまい。
実は、単に「ユダの福音書」の内容を知りたいだけの人には、今回の本だけで十分だったりするのだが、思わず全部買ってしまいそうになるではないか。
もっとも、1970年代に発見されたもののいろいろな紆余屈曲を経ていた写本を2000年に購入し、専門家のチームを編成し、保存と解析を行い、実に短期間で翻訳の出版にこぎつけたわけで、その文化的な功績には、きちんとお金を払ってもいいとは思う。
あまりに出版に時間がかかったために、バチカンの陰謀だ!とかいうトンデモ本まで出た死海文書に比べれば、文書の量は少ないとは言え、非常にテキパキとしていたと思う。
ただ、個人的には、このような、微妙な順番で発行されたことはちょっと残念だった。
そんなことをしなくても、ちゃんと買うのにと思ってしまうのだけれども(実際、全部買ったし)。
それは、ともかく、肝心の内容だが、端的に言えば、イエスがユダに語るこの世の真実であり、グノーシス的な世界観だった。
この世は愚かな神性の支配するところであり、他の弟子たちはそこに属しており、救われないというものだ。
なぜに、ユダがイエスを売らなければならなかったのは、明白ではないが、そのことにより、すべての弟子を超えるものになると伝えられる。
ナグ・ハマディ文書とかを読んだことがあれば、だいたい雰囲気は想像がつくかもしれない。
これが、真実かどうかは不明だ。
イエスが、肉体を捨て、この邪悪な世を去るだけなら、何もわざわざ十字架にかけられる必要もなく、自殺するという手段だってある。
そもそも、「ユダの福音書」以外にも、真の叡智を伝えると称し、いわゆる聖書に含まれない文書というのはいくつもあるが、それらの間でも、むしろ内容は食い違っているように見えるし。
また、たまたま、現在の新約聖書を正統と見なす人たちが主流派になったのであれば、逆に、たまたま「ユダの福音書」を正統と見なす人たちが主流派になった世界もあったかもしれない。
その世界では、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネなどの、名前だけは伝わっていたが、誰も見たことがない異端と呼ばれる福音書が、20世紀になって砂漠から発見され、これまでの定説を覆すと、センセーショナルに取り上げられるかもしれないではないか。
いずれにせよ、こういう変わった、貴重な文書が発見され、かなり乱雑に扱われた結果、損なわれる部分もかなりあっただろうが、それでもその一部を読むことができるようになったのは、うれしい気分。
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