彼の地
彼の地は、今日は蒸しっぽかったが、概ね平和な気候だった。
それはともかく、今日、2006年5月24日のイベントを記録したとある本を買ったが、奥付の日付が2006年3月18日になっていた。
うーむ。
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彼の地は、今日は蒸しっぽかったが、概ね平和な気候だった。
それはともかく、今日、2006年5月24日のイベントを記録したとある本を買ったが、奥付の日付が2006年3月18日になっていた。
うーむ。
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ちょっと、連日、体力消耗系イベントが続いたので、今日は"Programming in Objective-C"はお休み。
自分の名前や昔の知人の名前で検索をかけたことがあるだろうか? わたしはある。 そして、ネットでそれなりに活動していれば、検索にかかるのは当然だ。
検索してみると、幾人かの知人は、2ちゃんねるで実名でスレッドがたっていたりして感慨深い。 それで、当然というかなんというか、それらでは、ウォッチングの対象になっていたりする。
彼らは、いずれも極端な人物で、思い出してみるに、たとえば無闇にけんかを売りまくるとか、あるいは言動が一般的常識の範疇をはずれていたりした。 それで、今現在のスレッドを読んでみると、ああ、未だにあなたはあの頃のあなたのままなんだねと、そういう思いがわいてくるのだった。
そんな思い出の一人は、とうとう、自分でスレッドをたててしまった。
むかし、彼は自分のことを天才だと思っていた。 いや、でも、当時、同級生の一部は、自分のことを天才…かどうかはともかく、少なくとも秘めた才能があるくらいには思っていたと思うし、そして世界的な人物になるつもりさえあったと思う。 かくいうわたしも、そういう自惚れた連中の一人だった。 そんな自惚れは、今にして思えば、思い上がった若者の青臭さ以外のナニモノでもないのだけれど、それでも、いろいろなことに一生懸命取り組む原動力にもなっていた。
しかし、そんな妄想は長くは続かない。 実際にいろいろやってみれば、恥ずかしい失敗はするし、自分よりずっとできるヤツはいるし、あれれれとなってくる。 それでも、もがいた分は何がしかを残してはくれるものだけれど。
ところが、彼は変わらなかった。 冷静に見て、彼は同級生の中では、決してその道の専門的才能にあふれていたわけではなかったし、成功もしていないと思う。 彼が他の人と大きく異なっているところは、それでも自分が優れていると思い続けているところだ。
今後、彼にとっては、パウロに相当する人物が現れるかどうかが、ポイントになるだろう。
そして、それは必ずしも客観的には幸せなことではないだろう。
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なんというか、今年は余裕なさ過ぎ。 やっと復活できたというか、余裕が出てきた。
とりあえず、しばらくStephen G. Kochanの"Programming in Objective-C -- A Complete Introduction to the Objective-C Language"でも読もうという気分になっている今日この頃。
きっかけは、画像を処理するプログラムを書き直そうという気になったこと。 元々はCで非常にまじめに低水準の入出力関数を使って書いてある短いプログラムをもらって使っていた。 これは、Power PCのMacでMac OS X 10.3 Pantherの上でコマンドラインから使っていたのだが、Intel Macに乗り換えたところ、エンディアンが異なったり、Mac OS X Tigerでリソースフォークの扱いが変わったりして、ぼちぼち書き換えた方がいいかもという気になってきた。
ちょうど、Eric Freeman他著、佐藤直生監訳、『Head Firstデザインパターン -- 頭と体で覚えるデザインパターンの基礎』、オライリージャパン、2006年を読んでいたので、Javaで書いて、その練習にでもと思った。 ところが、Javaでバイナリ・ファイルを読み書きするプログラムを書いてみたところ、90MB程度のファイルを読み込んでバイト数を数えるだけで6分近くもかかる。 Cで似たようなプログラムを書くと4秒程度だ。 いっそ、Objective-C勉強しちゃおうかという気になったというわけ。
はっきり言って、この本はプログラミング初心者向けの本なので、斜め読みでも十分理解できそうなんだけど、久しぶりにCの本をまじめに読んでみるのもいいかもしれない。 英語だし。
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スティーヴィン・D・レヴィット、スティーヴン・J・タブナー著、『ヤバい経済学 -- 悪ガキ教授が世界の裏側を探検する』、東洋経済新報社、2006年を読む。
本書は、シカゴ大学の経済学の教員レヴィットとジャーナリストのタブナーによる統計を通じて見えてくるアメリカ社会を描いた本。 経済学というよりは、社会学ではないかという感じもする。
取り上げられている話題は、全国統一テストや日本の相撲などにおけるインチキ、ク・クラックス・クランに大打撃を与えたもの、麻薬の売人組織の経済構造、90年代アメリカで犯罪が急激に減った原因、学校の成績のいい子の親の特徴、子どもの名付けの背後にあるものなど。 相撲の八百長の分析以外は、アメリカの話題が中心で、麻薬や人種問題などが、いろいろな側面から見えてくる。 非常に読みやすい本で、興味深い。
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というわけで、「伝説巨神イデオン」を観たので、次は中島紳介他著、『イデオンという伝説』、太田出版、1998年を、と言いたいところなのだけれど、スケジュールがハードすぎなので、これは後日。
それはともかく、今日は、「不遇」が形成されるのを見た。 いやなんというか、まわりの人は「不遇な方」を援助したいのだけれど、ご本人がフォローのしようのないことをされて、いかんともしがたい状況になり、チャンスが流れてしまうという…。 こうしてまた歴史が繰り返されてしまう。
うーん、しかし、派閥や利権やコネのために「不遇」なのか、自分で「チャンス」をつぶしまくっているのかは、外から見ている場合、区別がつきにくそうだ。 悩ましい。
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竹内薫、藤井かおり文、モリナガ・ヨウ絵、『脳をめぐる冒険』、飛鳥新社、2006年を読む。
本書は、ファンタジー仕掛けの脳科学の入門書。 お話は、アキラと名乗る少年と出逢ったことで、自分の脳の中に入り込んでしまったカオルが、アキラと一緒に脳の中を探検するというもの。 『脳の国のアリス』といった感じだろうか。
本書の場合、脳の機能はそれぞれ擬人(動物)化され、機能に応じた特徴を持っている。 この特徴の説明はわかりやすかった。 しかし、一方で、全体としては意識を形作るけれど、それぞれの部分に分解すると意識を形成しない脳の各部が、それぞれ人などの意識をもったものとして描かれているので、それで結局、全体としてはどうなのかはよく見えなかった。
この辺は、相性がありそう。 個人的には、もうちょっとオーソドックスな解説書を選んだ方がよかったかも。
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映画「嫌われ松子の一生」を観る。
これは、同名の小説の映画化で、「下妻物語」の中島哲也監督作品…なのだが、「下妻物語」のような作品を期待する人向きではない。
お話は、中学教師の松子が、ちょっとした事件から退職し、次々と転落の人生を歩み、最後に荒川で死体が発見されるというもの。 映像は、CGなどが活用され、「下妻物語」以上にパワーアップし、非現実的な世界を描き出す。 主演の中谷美紀も、捨て身の演技。
…なのだが、とにかく話が、悲惨すぎ。 どんなに、映像で飾っても、ダメな男にほれて、人生をかけてしまい、救いようのない状態が続くので、観ていて気分がかなり落ち込む。 映像はすごいのだが、その辺は覚悟して観た方がいいと思う。
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非常にまともな料理が、リーズナブルな値段で出てくる小さなレストランがあった。 そこが、今日で閉店だというので、出かけてきた。
きちんとした料理人のおじさんの作る魚料理、ちょうどよく焼けたパンを食べて、平和な気分…のはずなのだが、業務改善の議論になる。 ま、それもいいかなと。
レストランは、バックがついて、移転して、大きくなって再開店らしい。 小さいながらもいいお店が、大きくなってどうなるのか、ちょっと楽しみ。
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博物館や美術館のグッズを制作している京都の便利堂のお店「美術はがきギャラリー 京都 便利堂」が3月末に神田にできた。 岩波書店の本屋さんである岩波書店アネックスの2Fの一角で営業している。
主には、博物館や美術館の所蔵物のはがきやクリアファイルを販売しているのだが、変わったグッズも販売されている。 たとえば、「鳥獣戯画」の巻物、ストラップ、汲み出し、小皿などのグッズ。 巻物に関しては、原寸大のものと、縮小版があり、コロタイプ印刷された墨の刷り上がりは非常に美しい。 ちなみに、コロタイプ印刷というのは、ガラスの版を使った版画だ。
これらは、京の逸品老舗モール 京都 便利堂のサイトでオンラインでも購入できるが、やはり美術品関係のグッズは実物を実際に目で見て確認したくなるわけで、こうして手に取れるように置いてあるショップはうれしい。
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斉藤ひろし著、『青いうた -- のど自慢 青春編』、キネマ旬報社、2006年を読む。
本書は、青森と東京を舞台に、非常に泥臭く青春を描いた同名の映画のノヴェライズ。 映画の方を見に行く時間が取れないので、先にこちらを読んでみた。
お話は、むつ市で、いつの間にか不良ということになってしまった達也、知的障害を持った弟の良太、達也に思いをよせる恵梨香、陸上部の後輩で医者になることを決められている俊介の青春を描く。 達也は、故郷でうまく行かなくなり、東京でビッグになってやろうと上京するが、どんどんだめになっていく。 決してうまく行っていたわけではないが、それでもそれぞれを大切に思い、大事にしていた4人の関係も、美しい思い出を裏切って、汚れていく。 そんなとき、良太の好きな「のど自慢大会」が、故郷で開催されて・・・というもの。
ある意味、非常にベタでヒューマンなストーリー。 平成の時代に「東京でビッグになる」のような夢はなかなか持てないだろうし、「のど自慢」に大きな意味を見いだすのも難しいと思う。 失われた昭和の幻像のようなものを描いた『雲のむこう、約束の場所』などでも青森を舞台にしていたが、そういう意味で、本州の北端には「失われてしまった何か」が感じられるのかもしれない。 実際に、むつ市でロケをしたというこの作品、どのくらい風景がマッチしているのか興味深い。
ちなみに、この作品は『雲のむこう、約束の場所』とは対照的に、登場人物は方言でしゃべるようだ。
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